メンタルにゅーすヒエダ
自立生活A
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2005年10月 Vol.10
発行責任者 SAM
地域生活支援センターヒエダ
Tel(0832)-51-6161
FAX(0832)-51-6177
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私は平成15年11月に援護寮ヒエダを退寮して、一人暮らしを始めました。平成14年の12月に一般就労して、援護寮から11ヶ月間外勤をして職場や同僚にも慣れてきたときに、援護寮に入寮して2年9ヶ月後に退寮して自立しました。
幸い仕事の上司や同僚に恵まれて就職して、今年の12月で4年目になります。上司や同僚が精神障害に理解があったので仕事も少しずつ覚えて何とか勤務しております。
私が勤めているCIL(自立生活センター)下関は、身体・知的・精神の3障害の自立生活支援がメインの仕事です。私はCIL下関でこの3年間何をしたかと考えてみると、精神の病気と障害について職場の仲間に少しずつ個別に伝えて理解してもらったことが第一のポイントだったと思います。山口県内には三つのCILが下関、宇部、周南にありますが精神の当事者職員は私が第一号です。第二のポイントは、2年間かけてピアカウンセリングの講座に参加して勉強してピアカウンセラーになりました。「ピア」とは「仲間」という意味で同じ背景を持つ人同士が、対等な立場で話を聞きあうことがピアカウンセリングです。ピアカウンセリングは当事者が将来の自立に向けてと自立生活を継続していくことが目的で、私は自分自身の自立生活で大変役に立ちました。
私がこの3年間働き続けられたのは、調子が悪くなると時間差就労・短縮就労・休みが取れるシステムをそれとなく上司に伝えて認めてもらったことです。私の後に女性の当事者職員が新しい仲間となって、「この職場はすごく働きやすい」と言われたとき、私は嬉しかったです。
CIL(自立生活センター)のスタンスは自己決定・自己実現・自己責任を担うという考え方で、私もこのスタンスで自立生活をしています。私は他人にあれこれ言われて自立生活するのは基本的に嫌いなのですべてのことを自己管理しています。自己管理がすぐにできるようになったのではありません。生活訓練施設援護寮ヒエダで2年9ヶ月、指導を受けて少しずつ身についてきたのです。援護寮ヒエダに入寮してから1年間は一人で外出することができず、必ず寮生を誘って一緒に外出していました。
私には残存した症状が二つあり、それらは「幻聴」と「妄想」です。周りの人に悪口を言われているとか被害妄想があることで社会生活の中で辛い面があります。幻聴や妄想は一日のうちに特定な状況や場所・人などで間欠的にあるのが最近分かり、ある程度慣れてきました。援護寮にいて一番よかったことは「自己覚知」して病気や障害を勉強して、少しずつ「病識」をもてるようになったことと職員が病気や障害について教えてくれたり、本を貸してくれたりしたことです。わりと自由な雰囲気の施設で、いろんなことを援護寮の職員から教わりました。あとひとつ大切なことは2年9ヶ月の寮生活で自分の病気や障害などの残存した症状に対処することができるようになったことは大きな収穫でした。
自立生活を始めて、続けていくためにこれという特別なことはしていません。通院・服薬・食事・睡眠を規則正しくリズムを刻んで平穏な生活をしています。健常者が毎日、生活していくリズムと同じリズムを刻んでいるだけです。アパートでは、たいがいボーっとしています。音楽を聴いたり、本を読んだり、TVを観たり、ごく普通の生活をしています。
これから私たち精神障害者に求められるのはどういった事だろうと考えてみました。自分の経験を振り返ってみると、次のようなことが言えそうです。それは、生活リズムを整えて調子を崩さないように心掛け、もし調子を崩したときには早めに対処したり、自分で対処できない場合には受診して投薬や注射してもらい、再入院しないでよいように穏やかな生活を続けて送ることではないかなーと。自分なりに病気や障害のことを理解して、対処できるようになるのが、やはり「自立」への基礎となるのではないかーと、今だからこそ思えるのです。
【編集後記】
皆さんは、自立生活を難しいものと考えてはいませんか?私はたまたま、自己管理ができるようになりました。また、援護寮や福祉工場、地域生活支援センターなどの職員に何かあったら相談するし各施設で学習したことはたくさんあります。私が今大切にしていることが一つだけあります。それは何かというと「人との出会い」といつも私の心の中に叩き込んで大事にしています。「一期一会」という言葉があります。人との出会いは一生に一度の大事な出会いだから、出会いを大事にせよという茶道の心構えです。私は確かに精神障害というハンディキャップを持つことになりましたが若い頃(22年前)発病したときに、精神科医に精神分裂病(統合失調症)と告知されたときには、これで私の人生は終わりだと自暴自棄になったこともありました。その後いろいろなことがあって、この下関で一からやり直していこうと決心してさまざまな人に支えられてきました。私は恵まれていると彼らにいつも感謝しています。有難うございます。
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