メンタルにゅーすヒエダ

 

生活保護での葬儀の実態

2012年  Vol.104

CIL(自立生活センター)下関発行

メンタルひえだピア・ハート下関 編集 SAM

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  H23(2011)81日、私の母がすい臓がんで亡くなりました。母は、認知症のグループホームに入所していました。それまで、母は市営住宅に一人で住んでいました。誰かが家に入ってお金を盗んだと、何度か警察を家に呼んだりしていました。また、徘徊するようになりました。認知症が初期の軽いときは、何とか一人で生活していました。しかし、母の認知症は少しずつ進行していきました。私は、認知症のことが分からず、ネットで調べました。母の認知症の症状が重度になってきました。私は、母の認知症の見極めに@部屋の中の極端な荒れ様A風呂に入ってない事B徘徊C物盗られ妄想などとD医師との相談で、母が落ち着くまで介護老人保健施設(老健)に入所してもらいました。私は、当初から母の状態が落ち着いたら認知症のグループホームに入所させようと考えていました。それだから、老健のSWに依頼してグループホームを探してもらいました。そのグループホームはその近辺でも評判が良かったです。それで、そのグループホームに手続きを済ませました。ここで、母の住所は、市営住宅でした。グループホームに入所後、母の状態が安定してから市営住宅からグループホームに住所を移しましたので、住宅を市に戻しました。家財の処分・引越しなどに母のわずかな貯金をそれらに流用しました。母のお金が5万円ぐらいになったときに、生活保護の申請をしました。グループホームに入所の時点で母のお金を管理するのは、私には面倒くさい事でした。人のお金を管理するのは、私にとっていい気分がしませんでした。グループホームに入所して、しばらく職員や利用者になれるまで時間がかかりました。利用者との口げんかなどしていましたので、私は冷や冷やしていました。また、グループホームを退所して一人暮らしをしたいと1年間くらい、面会に行く度によく話しておりましたがそれも言わなくなりました。

 私は、この頃よく自分を責めていました。本来なら、私が長男なので母の面倒を見るのはもちろん私です。ただ、私は統合失調症を罹患して自分ひとりが生きていくだけで精一杯でしたので母の面倒を見ることができませんでした。仕方がない事でした。グループホームで母を見ていると、表情が柔らかくなり幸せそうでした。母の場合、小学4年生で妹、弟、両親が皆亡くなり母一人だけ生き残り天涯孤独でした。すごく苦労していましたが母は、自分が苦労した事は何も話してくれませんでした。母は、服はつぎはぎだらけの物をまとい、私たち子供には服を買ってくれていました。貧乏なので家の庭に野菜を作って食料にしていました。そして、母は、泣き言など一言も言いませんでした。今、母のことを思い出していますが、すごい人だなと私は感心します。話がずれてきました。元に戻します。

 グループホームで母が、具合が悪くなり入院しました。すい臓がんでした。長くて2,3ヶ月と主治医が言われていました。ひどい息子かもしれませんが、母の死の後始末の準備を始めました。以下に記載します。

・住所を母の連絡のため私のところに移してくれと生活保護のケースワーカーの指示がありました。そこで世帯分離にして私の住所に移しました。そうしないと、介護保険や社会保険の算定が世帯の中で負担が増えますので、必ず世帯分離してください

・生活保護の葬式は、市の指定した葬儀屋に頼みます。

・葬式と言えますでしょうか。なんと簡単です。葬儀屋が来て母の遺体を棺に入れて一晩安置します。

・翌日、葬式はしないですぐに斎場で遺体を荼毘に付します。骨を骨壷に入れます。これで生活保護の葬儀は終わりです。お経をあげること、戒名を付ける事もありません。

・通常、生活保護できちんと葬式をするのをケースワーカーは勧めません。もし葬式を挙げたら、葬式中に呼び出され指導が入ります。それと、香典を貰うと収入になりますので市に届けないといけません。そういったことで、きちんと葬式を挙げることが出来ないのかもしれません。

・私は、非常に悩みました。母の戒名とお経をあげてほしいので考えました。それで、生活保護の葬式の荼毘の後にならいいだろうと兄弟でお金を出し合って、葬式の前日にお寺にお経と戒名を頼みました。これが良かったのかどうかわかりません。まあ、母への私の思いを伝えたかったから、このようにしました。生活保護課のケースワーカーからクレームはありませんでした。ホッとしました。

4,5日して、母の死亡届け、除票・介護保険・年金等の手続きをしました。(母は下関でなく別の市に生活実態があったので、その市からの手続きで4,5日時間がかかりました。)

49日のお経をあげて、墓に安置しました。

 

【編集後記】

 私の両親は長く生活保護を受けていました。父が亡くなったときに兄弟でお金を出し合って、普通に葬式を挙げました。そうしたら、葬儀中にケースワーカーが来て母が呼び出されて、小言を言われたそうです。このとき、わたしは、2回目の入退院を終えて自宅で療養していました。薬がきつくボーっとしていましたのであまり覚えていませんでしたが、何年かして私の状態が落ち着いたときに、父の葬式中にケースワーカーが来てクレームを入れられたことを話してくれました。母は、何年経っても言っていたので本当に怒っていたのでしょう。父が1983年、母が2011 (H23)年に亡くなって、私が下関に来て11年、仕事をして10年、結婚もしました。母は、私の事に関しては安心していたようです。弟が44歳ごろ、解離性精神病を発病して、母は弟の事を大変心配しました。弟の連れ合いが何とか面倒を見てくれているので、母も少しは安心していました。しかし母は、弟の事が心残りでしたのでしょう。後に残った、私・弟・妹の3人で仲良く助け合って生きていこうと思います。

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