私が、当事者にも健全者にも特に訴えたいことの中に統合失調症で「怠け者と勘違いされやすい」症状があります。それは、陰性症状といいます。例えば、
1.
意欲や関心の低下
2.
人と接するのを避ける傾向
と当事者が見られやすいことです。もっと具体的には
(1)
ものぐさ
(2)
お風呂に入らない
(3)
歯を磨かない
(4)
片づけをしない
(5)
身だしなみも服装もかまわなくなる
(6)
人付き合いを避ける
(7)
外出を好まなくなる
(8)
机に向かわなくなる
(9)
机に座っても集中できない
(10)
勉強の能率がガタンと落ちる
というような行動が見られると、当事者自身も家族も怠け者になったと考えてしまいます。当事者、家族も怠けていると判断しますので、家族などが無理解な発言をするかもしれません。このような陰性症状が出てきたら、これは病気の症状なのです。このときの無理解な発言によって当事者は「自信がなくなる」「疎外感・被害的な考えを強める」ことになり、せっかく退院して、家族の元に帰って来ても当事者は調子を崩してしまいます。私も、陰性症状のせいで怠けている経験がありますし、家族に怠け者と想われていました。当然、家族は無理解な発言をして私を責めさいなみました。私は、当事者や健全者に「当事者は怠けているように見えますが怠けていないのです。」と訴えたいです。それは、病気のせいで怠けているように見えるのです。実際に私は左右の腰の骨の表皮に褥瘡が出来るほど一日中布団の中でゴロゴロしていました。この生活を5年間、何をするでもなくボーっと続いていました。この間は、食事とトイレ以外は布団の中にいましたので母からは、統合失調症が「怠け病」と思われていました。家族からは、ひどい罵声を浴びていました。何もするでもなく、意欲がなくなり、ひたすら、食事をして服薬をして眠ることの繰り返しでした。自分自身、塞ぎこんでいましたし、何も考えることができないでいました。私も家族も統合失調症のことを分からないでいましたので私たちはお互い辛い日々の繰り返しでした。
統合失調症を発病して状態が安定したときに勉強していたら、また違った人生があったかもしれません。今更悔やんでも仕方がありません。色んなことがありましたが、今の人生もそれはそれで、いい人生です。多少回り道をしましたが、巡りめぐって今の人生に軌道修正しました。仕事も10年目になりました。遣り甲斐があり、たくさんの人達のサポートで何とか仕事が続いています。私は、ほんの少しだけ右肩上がりの人生に向かっています。残りの人生がどのくらいあるか分かりませんが、あせらず・頑張らず・無理しないでボチボチやって行こうと思います。私は、自分の人生の軌道修正に11年かかりました。
当事者の皆さん、ゆっくり確実に人生を歩んでいってください。自暴自棄にならないで下さい。病気に振り回されないで、自分なりの対処の仕方を身に付けて下さい。服薬・通院を守ってください。多少の状態の揺れはありますが、状態は許容範囲で自分の病気と障碍に対処できるようになります。私のようなぼんくらでも対処できるようになりました。それが、11年かかりました。自分の人生を投げ出さないで下さい。いつか、病気と障碍に対処できるようになります。
統合失調症は、どうやら自分の一生に渡る病気と障碍になるみたいです。もう服薬も30年を迎えます。長い年月です。ですが、服薬と通院を守っていれば、私の経験ですが状態も安定して再発もしていません。皆さんも、自分の経験を思い出してくだされば分かる様に服薬・通院は大切なことだと実感することと思います。
私は、55歳になりました。病気を抱えて32年が経ちました。こうやって、病気と障害を冷静に振り返るようなときを迎えるとは考えもしませんでした。私の人生のターニングポイントは、下関の援護寮ヒエダに来たことから始まります。自己覚知して、CIL下関の当事者や介助職員のサポートで自分の人生の軌道修正をしました。自分に与えられたタスクを継続して向かい合っています。人生はいつからでもやりなおしは出来ますよ。自分に与えられた病気と障碍には、対処できるようになります。時間はかかりますが諦めないことです。
【編集後記】
私は、統合失調症の陰性症状でものぐさになり怠けているように見えることで、家族が怠けていると非難する前から、自分自身を責めていました。何をするでもなくものぐさになり、怠けている自分が、家族の中で一人寂しく・疎外感がありました。今でこそ、いい薬が開発され、様々な精神療法、SST(SocialSkillsTraining:社会生活技能訓練),デイ・ナイトケア、訪問看護などがあります。自宅にひきこもらないで外に出ようといわれても、すぐには動き出すことは難しいですね。私も経験が在ります。なかなか、ひきこもりを脱するのは時間がかかります。私は、知らないうちに外に目を向けて少しずつ外出をしていました。それでも、一人で外出するとなると、1年くらいかかりました。援護寮ヒエダではホスピタリズム(施設症)になり、当事者の仲間が私と一緒に外出に付き添ってくれたりしていました。また、PSWに相談したりしていました。仲間のピア・サポートには、私は有り難かったです。
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