私には、間違いを犯さない様に後ろから俯瞰した私が見下ろしているようです。私は、これを自分自身で「附帯脳」と名づけています。この附帯脳は、私の良心の中枢です。私が間違いのない言動を執るように私自身を監視しているような感じがします。監視と言っても、自分自身の言動を絶えず見張っているだけですし、自分を自分で見張っているだけで、誰にも迷惑はかけていません。このように、第二の脳を私は附帯脳と名づけていますが、私の後ろで俯瞰している第二の私とでもいうのか、間違いのないように言動を確認しています。附帯脳は心の中にあるのか、脳の何処かで私自身の言動のチェックするときに働きます。
私は附帯脳に助けられることが多いです。私は、小さな頃から、人ごみの中が嫌いでした。学校で授業中はいいのですが、休み時間が嫌いです。それでも、まだ周囲の人や家族に迷惑をかけず生活をしていました。病気として発病したのは、23歳のときでした。医者でもない私が自分を小さな頃から思い出しながら考えると、統合失調症っぽい幻聴と妄想がありました。
私は、小さな頃から静かな子供でした。友達はいないし、一人で本を読む子供でした。
父親に、虐待を故なく受けていましたので、殴られるのは日常茶飯事のことです。最近になって、小さな子供の頃を思い出すと殴られることのみで、いい思い出はありません。これは、虐待だと思います。いつも、父親の言動に怯えて暮らしていました。夜九時を過ぎても父が帰らないときは、酒を飲んで帰ることが多いので、母と私は深夜、家から逃げていました。しかし、おかしいことに父は私と母にしか暴力をふるいません。弟と妹には暴力をふるいません。何か理由があるのか、ないのかと考えるより当時父の暴力から逃げることで精一杯でした。
話が横道にそれてしまいました。附帯脳と名づけた私の第二の脳はいつも、私を見張っているのではありません。私の状態が落ち着いてくると介入はしてこなくなります。服薬・睡眠・食事・仕事と規則正しいリズムを送っていると殆ど介入はしてこなくなります。多分、私が不完全寛解状態を維持しているからではないかと思います。よく幻聴のある当事者が、幻聴さんと親しみをこめて呼びますが、私は出来ることなら幻聴はないほうがいいです。私は、平穏と平静が落ち着きます。何も音のない生活は無理だと思います。必ず生活音、人の声はあることが多いですからね。それでも、人の声・生活音には慣れません。何故こんなに幻聴と妄想の残存症状が残っているのかと考えます。しかし現実に、残存症状はありますし、それはそれと対処していますので大丈夫です。
附帯脳は、私の言動や病気と障害を冷静にみている病識を司る所かもしれません。下関に来てから、病気・障碍・薬・対処の仕方等様々なことを勉強しました。知的好奇心旺盛な私は、様々なことを知ることが出来ました。そして、自分の病気と障碍・制度などの知識が今のCIL下関での仕事に繋がったことはラッキーでした。障碍者の自立生活を支援する仕事・障碍者運動ができて、私の仕事が沢山の当事者の皆さんの選択肢の一つとなればと思います。多分私は、自分の生活だけがまかなえる・生活していくだけなら、こんなに長くCIL下関で9年も働いていないだろうと思います。私が仕事や生活をしていく上でサポートしてくださる多くの人のお陰で今の私があります。私にも、病気と障害を抱えることで出来ないことがたくさんあります。当事者として共感できることで仕事を細く・長く続けていこうと考えています。今のCIL下関の仕事は、私にはベストマッチした仕事で、幸せです。いい上司と同僚たちと一緒に働けて、今の私の仕事が与えられて良かったです。
私は、いつまた再発して入院するかもしれません。自分の心の中の良心の声を聞き漏らさず、私らしい仕事をしていき、生活を送りたいです。背水の陣で病気と向かい合っています。私は、過去に病気と障碍に振り回されて自分の人生を投げ出して自暴自棄になったこともあります。そこから、自分自身の力とサポートしてくださった沢山の人達の力で立ち上がりました。自分を問い直しながら、社会復帰をしてきました。でも、ひとこと言いたいです。皆さんこれまで色々お世話になり有難うございます。私は下関で生活をしてからは、病気と障碍を抱えて共存して生きていく方法を問いながら、生活しています。人には見えないところで勉強し、メンタルにゅーすを続けながらそれをホームページにして、沢山の当事者、健全者の皆さんと共に知識を共有したいと考えています。私は、小さなパズルを緻密に積み上げながら自分の仕事に誇りと自信を持って責任ある行動をとっていきたいです。当事者のみなさん、物事は投げ出すのは簡単です。しかし、仕事・生活をしながら信用をつけるのは難しいです。メンタルにゅーすヒエダをごらんの皆さん、決して物事を諦めない・投げ出さないで下さい。「続けること」が大事なことです。
【編集後記】
私は、ある本で「附帯脳」と言う言葉を知りました。なんと言うことはない、「第二の脳」と言う意味ですがこの言葉が妙に私には引っかかりました。昔、TVで「スタートレック」でミスタースポックという論理だけで生きている宇宙人がいました。ものごとの考え方が論理だけで人間的な感情をいっさい排除して生きていました。彼は、そのドラマでは、地球人との混血で、人間的な感情に目覚めて多くの仲間と宇宙探索に出かけた人でした。私はS.F(空想科学小説)が大好きです。私は今までさまざまなS.Fの本やドラマ、映画を観ました。スポックと言う論理だけで生きている人に私はあこがれました。私の苦手な人間関係は時間の無駄で「非論理的」です。彼の良く使う言葉です。私は、ドラマのスポックのように論理だけでは生きていけません。寂しいです。でも、私の附帯脳は、この件に関して何のコメントをしてくれません。それは、「自分で考えなさい。」とでも言っているのかな?私の「附帯脳」、時々このように無視します。
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