私は、今は病気と障碍に上手くつき合うことができるようになり、何とか仕事をして生活しております。私の今があるのは、下関市の援護寮ヒエダのお陰です。様々な生活技術・対人関係のとり方等の訓練をし、身に付けました。私は変わったなと実感しました。
昔は、病気の症状も薬の副作用も全部病気の症状だと思っていました。そして、私が最初に対面した副作用が便秘でした。統合失調症と便秘に何の関係があるのかと考えてみました。病院に診察に行ったとき主治医に話すとすぐに下剤を出してくれました。これについては、後で抗精神病薬に抗コリン作用があるので便秘になると教えてもらいました。次に、目が時々上ばかりが気になって釣ること(眼球上転)が度々ありました。これは、副作用とは考えないで薬の調整はしませんでした。もっとも、3度目の入院のときこれも副作用のせいだと教えてもらい、薬を出してもらいました。後ひとつ、下関に来てから統合失調症のことを勉強して水中毒のことを知りました。これも抗精神病薬の副作用で喉が渇くので水をたくさん飲んでいたなと昔のことを思い出します。これは、氷を口の中に入れてなめていました。昔は当事者に精神病のことを詳しく教えてくれませんでした。当事者にいろんなことを知らせると具合が悪くなると考えられていたからです。
現実に今も、私の周りに病気や薬、制度のことを詳しく知っている当事者は多くはいません。障碍年金などのことは、医療費の足しになりますので家族などが手続きをしたりしています。病気・薬・制度などを知ると統合失調症の全容が少しずつハッキリ見えてきます。私はそれが暗闇から私の手を差し伸べて引いてくれ、明るいところに連れ出してくれるような気がします。さまざまな統合失調症の事を聞くと自分自身納得して安心します。何も知らなければ暗闇に一人置いてけぼりになったような気がして怖い気がします。
私は統合失調症に罹患した20年間を思い出すとなんと出鱈目な生き方をしていたなと思います。もう、どうにでもなれと好き放題無茶苦茶な生き方をしてきました。
冷静に病気と向かい合いこれから未来の事を考え始めたのが下関の援護寮に入寮してきてからでした。それから、病気の様々なことを勉強しました。病気を受容し始めたのも、この頃(2001年)でした。下関の稗田病院にお世話になってから私は状態も落ち着いてきました。何よりも、私の心の中が穏やかで平安を取り戻すことができるようになりました。人と約束して待たされること、病院で診察を待たされることがイライラすることがなくなりました。これは、私にとって驚きでした。次第に少しずつ回復してきているのだなと感じました。統合失調症の勉強は援護寮ヒエダ新聞のネタでもありましたのでずっと続けていました。それが今でも続いています。下関で生活を始めた頃からですので精神関係の勉強をしてもう11年になります。「援護寮ヒエダ新聞」から「メンタルにゅーすヒエダ」まで続いています。CIL下関の機関紙「ネイチャー」担当も3号から32号まで編集していました。下関で生活してニュースレターの編集をずっと担当しています。私の所属は、CIL下関職員・NPO法人らいと職員、精神障碍者自助会ピア・ハート下関世話人と3つの団体で主にNPO法人らいとから給料をもらい母体のCIL下関に出向して運動を、ニュースレターの編集&ホームページの管理、企画を立て事業費の捻出のため財団に助成申請などをしております。CIL下関との関わりは11年になりました。必死で仕事をしても上手くいかず。仕事を覚えるのに3〜5年時間がかかりました。仕事をやめようと思いましたが、いやまだまだ自分はひよっこそんなに簡単に仕事が上手くいく訳がない、まだまだ辛抱が足りないと・・・・
そんな時、仕事のことで代表のKに相談すると、「SAM仕事は簡単に上手くいかないよ。
腹を据えて、花を育てようよ。何回でも種をまいて水をやり、芽が出てくるものもあり、芽が出ないのもあるよ。また次の年に種をまき水をやる、それを繰り返しやって花が上手く咲くまで4,5年かかるよ。落ち着いて花を育てようよ。」と代表が話してくれました。その話を聞いて、自分には焦りがある。落ち着いて花を咲かせようと試行を繰り返しました。少しずつ花が咲くようになりました。仕事も少しずつ実績を出せるようになりました。以前の私だったら仕事を辞めてしまうのになぜだろう?私は、自立生活を続け、心の平安を求めるにはCIL下関から離れることが出来ないです。自己決定・自己実現・自己責任の自立の考え方を知ったのはCIL下関でした。そして、この仕事は障碍者運動、精神の当事者が自立を続けていくためにニュースレターの編集、また私が仕事を考えて軌道に乗せたものなど少しずつ私の担当する仕事は確実に花が咲いてきました。たくさんの仲間のために私は今の仕事を投げ出すことが出来ないです。私の後に続く、精神の当事者たちのためにCIL下関での仕事を続ける選択肢を選びました。上手くいくかどうか私には、想定できません。しかし、満足した道しるべを私の後に続く精神の仲間たちに少しでも文章に残していけるように「メンタルにゅーすヒエダ」のホームページを続けていこうと思います。
【編集後記】
皆さんは、病気と障碍を抱えて長く社会生活をしていることと思います。社会生活を長く続けると、自分が状態を悪くしないような生活環境、対人関係等考えて生きていくはずです。どんな生き方がいいのか自分で考えてみてください。私も考えます。私は、とりあえず服薬・通院は遵守しないといけないなと思います。再発して入院するすべての原因は服薬・通院を守らなかったからです。状態が悪くなるにつれて、病識も欠落していきます。寛解期に自分をコントロールしていたものから箍(たが)が外れて自分のコントロールが出来なくなります。イライラしてきます。4回目の入院は、こと細かく自分の言動を覚えています。周りの友人、施設・病院スタッフの皆さんに心配をおかけしました。4回目の入院は、減薬の挑戦に失敗しました。この経験は、私のこれからの生活できっと役立つものになります。そう、私は思います。
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