メンタルにゅーすVol.130

メンタルにゅーすヒエダ

 

「統合失調症からの回復」

2013年  Vol.130

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 SAM

Tel(083)-263-2687

FAX(083)-263-2688

E-mail  s-cil@feel.ocn.ne.jp

URL   http://members.jcom.home.ne.jp/s-cil/

 私は以前「治癒」「寛解」についてメンタルにゅーすの紙面でお話したことがあります。「治癒」とは病気やケガが治ることです。「寛解」とは病気そのものは完全に治癒してないが、症状が一時的あるいは永続的に軽減または消失することです。「治癒」は病気が完全に治ることを指しますが、「寛解」という言葉は精神病でよく使われます火山で言えば休火山の状態を指しますが服薬を怠ったりストレスがかかると再発します。

 私は、統合失調症(精神分裂病)を発病した23歳のとき精神療法と薬物療法で病状が落ち着いてきた入院2ヶ月後頃に主治医が次のように話してくれました。「精神分裂病は長期間服薬を続ける必要があります。」私は「どれぐらいの期間服薬するのですか。」と主治医に尋ねました。主治医は「この病気は薬を何十年も服薬するほうが再発するリスクが低くなります。」と言われました。私は、その頃、統合失調症は治療法のない恐ろしい病気だと思っていましたので、主治医が話してくれたことは今でも覚えていますが当時は聞く耳を持たなかったですね。自分の人生はもう終わりで一生入院していないといけない恐ろしい病気に罹患したのだと考えていました。私は、3回目の入退院の後平成13年に稗田病院の敷地内にある援護寮ヒエダに入所しました。援護寮にはその頃、13名の当事者のメンバーさんがいました。私はこの援護寮ヒエダに3年弱入所しておりました。入所して2週間くらい仕事も特に宛もなく援護寮で生活していました。病院に4年弱くらい入院していたので暫く援護寮のメンバーさん、寮職員に慣れるまで本を読んだり、紙細工をしたりして過ごしていました。

 援護寮ヒエダで統合失調症のこと、薬、制度、予後、医療、生活、社会資源など勉強しました。この時、統合失調症のことを最初に勉強しました。そうしたら、統合失調症は、糖尿病や高血圧症のように生活習慣病だということが分かりました。これらは根治療法が見つかっていないです。治療は対処療法が行われています。服薬、食事療法が行われています。私は、統合失調症が寛解して回復したことでこの状態を維持・軽減して再発しないで安定した一生を送れればと思います。以上のことから、私の統合失調症の目標は、病気や障碍に対処してうまく付き合って病気を自己管理しながら、地域社会生活をして仕事を続けることです。私は、たまたま精神科病院を退院することができました。定期的に診察し服薬することが私には必要です。服薬を守ることで地域社会生活ができればよしとしています。これは、内科系の慢性の病気である糖尿病や高血圧症との治療目標と同じように考えることができます。内科ではこの目標を達成することを「治す」いいます。そのように考えるならば、統合失調症治療でも治療目標を達成することを「治す」と考えることが出来るのではないでしょうか。現在の状況では私は、統合失調症の根治療法がないので、服薬・通院を守りながら仕事を続け、地域社会生活ができれば私はそれでよしと考えています。現在の医学では統合失調症の根治療法はありません。未来で統合失調症の革新的な治療法が確立されればいいなと思います。統合失調症は、若者の未来を台無しにする恐ろしい病です。私は、発病して10年間自暴自棄な生活をしました。下関に来てこの12年間のうち3ヶ月間は服薬を怠って4回目の入退院をしましたが、CIL(自立生活センター)下関の仕事に復帰しました。CILの私の仕事は障碍者の自立生活支援です。地域で精神の当事者職員としてピア・カウンセラーとして、仲間の住む街で身近な存在として皆さんのそばで仕事を続けていこうと思います。私は、いつも皆さんのそばにいます。私の住む街、下関市で精神の当事者が地域社会で住みやすい福祉の行き届いた市になったらいいですね。皆さんアガムの法則せらず・んばらず・りしないで仕事・生活をしていきましょうね。

 私は、統合失調症に罹患してから、就職しても仕事は2,3日か、せいぜい続いて1週間くらいでした。山陽小野田市に住んでいた頃は、70くらい面接して2030回採用されました。何度就職しても仕事が続きません。私はなぜかと不思議に思いました。

それで、当時の主治医に診察のとき、「仕事が続かないのは、何故ですか」と質問しました。主治医は「それは、統合失調症のせいです。」と教えてくれました。しかし、精神病と仕事にどんな因果関係があるのか不思議に思っていました。その答えで、私は少しは救われました。しかし、生活するためには仕事をしないといけません。

私は、結局、統合失調症を発病してから生活保護を受けていました。母は、私の罹患している統合失調症を傍で見て「怠け病」だと考えていたようです。私も、そう思っていました。3回目の入退院の後、下関市の稗田病院の敷地内の援護寮ヒエダに入所してから私は変わりました。私は自分自身で将来の身の振り方を考えました。私は、将来は一般就労をして自立しようと決心し、現在CIL下関で私は就労が11年目を迎え、その間に結婚しました。援護寮では結婚は考えていませんでしたが、当事者同士仲良くお互いをカバーしながら生活しております。私は、病気と障碍に向き合いながら対処してボチボチやっています。

【編集後記】

 私は統合失調症の発病から20年間は病気に振り回されてひっちゃかめっちゃかでした。私の人生はおしまいだと最初の10年間は自暴自棄になっていました。私の発病後のこの31年間で一番落ち着いているのは下関に来てからの12年間です。

私は、投げやりにならないで自分と自分の将来を真剣に考え始めました。多くの可能性の取捨選択を重ねて、試行を繰り返しメンタルにゅーすの編集をしてきました。この間、残存している幻聴と妄想の対処法を自分なりに工夫してきました。病気の残存症状(幻聴・妄想)は覚醒時始終続いて重度化しています。以前の私なら、すぐに投げ出してしまうはずなのですが、しぶとく食い下がって自分の神様から与えられた今の仕事を継続しております。まだまだ、統合失調症との共存は続いております。

トップページに戻る