メンタルにゅーすVol.131

メンタルにゅーすヒエダ

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私と統合失調症

2013年  Vol.131

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 SAM

Tel(083)-263-2687

FAX(083)-263-2688

E-mail  s-cil@feel.ocn.ne.jp

URL  http://members.jcom.home.ne.jp/s-cil/

 私は、統合失調症との付き合いが31年になります。人間の一生は自己選択・自己決定・自己実現・自己責任の繰り返しです。私に例えれば、病気に罹患したのは、自己選択していませんが、病気などというものは、ある日突然病気になるもので、私の場合横浜から山口に帰って再就職先の会社で統合失調症を発病しました。しかし悪い生活習慣をしていましたので統合失調症を発病したのでしょう。その意味で言うならば、私にとって不服ですが自己選択したのでしょう。数ヶ月間仕事で、睡眠時間3時間ぐらいで仕事をしていたら、統合失調症を発病して仕事先の上司に連れられて山口大学の医学部付属病院の精神科にいき受診しました。色々質問形式で問診されたことを覚えています。そして、精神分裂病(統合失調症)と診断されました。そのまま、入院となり3ヶ月で退院しました。入院時症状が落ち着いてきたら主治医は、服薬を長期に続けることが精神分裂病には大切なことだと教えてくれました。

 発病して3ヶ月で退院して、服薬を守らず半年後抑うつ状態になり3ヶ月別の精神科病院に再入院しました。その病院を退院後、服薬を守っていましたので状態のゆれはありましたが15年間入院をしていませんでした。この間、5年間くらい非常勤ですが中学生の家庭教師の仕事をしていました。何故、5年間も仕事が続いたのか私には分かりませんでした。ただ、私は中学生のとき努力して成績が悪いときから、自分で勉強して成績をあげた経験がありました。分からないことがどのように分からないか、説明できないでいる教え子の気持ちがわかりました。それで、成績が上がったのを教え子が喜んでいるのを見ると、私自身も嬉しかったです。ただ、私は子供が好きなのと、成績がおもわしくない教え子の成績が上がってくるのを見ていると遣り甲斐を感じていました。

 話を元に戻します。私が初めて病名を聞いたのは山口大学医学部のY教授という人でした。状態が上がっていましたので、診察に行ったその日にすぐ入院しました。保護室(当時は隔離室)に10日間前後いました。強い薬を服薬していたので保護室では寝てばかりでした。次第に、状態も落ち着いてきて自分の置かれている状況も分かり精神症状も落ち着いてきました。その後、大部屋に移りましたが、ここでも寝てばかりでした。眠気が昼間も出ていましたので薬の調整を主治医にしてもらうにつれて、日中眠気が出ることはありませんでした。本を読んだり、卓球をしたり、日中活動をするようになりました。私は、統合失調症などめったに罹患しない病気だと考えていましたが、病棟には同じ統合失調症の患者がいることにびっくりしました。ただ、私は同じ統合失調症の仲間が病院に入院して穏やかな顔をしているのが不思議に思いました。統合失調症には服薬を規則正しく行なえばいいのだと、その当時の私には気付くよしもありませんでした。

 3度目の入院は4年弱入院していました。この入院で、状態も落ち着いてきて、様々な症状の統合失調症の患者を見ていました。病院の中で、同じ統合失調症の仲間を見ていると、退院する目処もない人々が多く、諦めきった仲間たちの輝きのない目が印象的でした。私は、色々辛い日々を経験して何とか退院しました。

 この後、下関市の稗田病院の敷地内にある社会復帰施設の援護寮ヒエダに入寮しました。援護寮とは、病院と社会の中間施設です。3度目の入院中に仲間が援護寮のパンフレットを見せてくれたので援護寮のことは少し存じていました。援護寮ヒエダの職員、寮生にはお世話になりました。特に、寮生のピアサポートには感謝しております。彼らのお陰で一人で外出ができないときに一緒についてきてもらい施設症からぬけだしました。援護寮ヒエダの施設長のUさん、PSWDさん、私担当のKさんにはお世話になりました。本当に有難うございます。援護寮ヒエダでは、「援護寮ヒエダ新聞」を3年間編集していました。

 援護寮を退寮後、自立して一人暮らしを始めました。援護寮から1年間、一般就労して通勤していましたので、就労の不安はありませんでした。一人暮らしは、全てが自分中心のペースでボチボチ生活していました。

自立してから「メンタルにゅーすヒエダ」の編集を始めました。メンタルにゅーすを編集し始めたのは、自立生活のノウハウ、病気と障碍の対処、制度の利用と、自分が自立生活をしていて役に立ったことを仲間に伝えようと思ったからです。自立生活をして5年後に知り合いにネットの精神科セカンドオピニオンを紹介してもらいました。セカンドオピニオンの目的として減薬をネットでメールの相談をしながら取り組んでいました。私の知り合いには、セカンドオピニオンで減薬に挑戦して上手くいって成功した人がいます。しかし私は、セカンドオピニオンによる減薬は、失敗しました。おまけに、3ヶ月入院となりました。減薬で最後には、状態が急速に悪化してしまい、主治医に薬を全て以前の寛解時の処方に戻してもらいましたが気付くのが遅かったです。

 こうやって、私は統合失調症を発病してから現在まで共存してきました。自分で勝手に薬の用法用量を勝手に変えて服薬したりしてきました。私は、今振り返って考えてみましたが、調子が悪くなるときは決まって服薬を守らなかったことが原因です。服薬していても、年に2,3回調子の悪くなる時期があります。その時は仕事・生活のイベントを減らして、就労の形態を短縮就労、休暇をとるなど自分で病気と障碍に対処しています。また、私の場合、仕事が一人で職人のようにできるので仕事の調整をしながら生活しております。長い道のりでした。確かに、病気と障碍に振り回されたり、自暴自棄になったり様々な経験をしました。それでも今は、いつまでも平穏な生活をしていければいいなと思います。

 

【編集後記】

私は、現時点で最高のチーム(職場)CIL下関で、仕事をしています。また、私の仕事は障害者の自立生活支援をしています。職場の最高のメンバー(同僚)に助けられています。私は、これからもずっと調子を崩さず、当事者のピアサポートの仕事を続けることができれば本望です。これから、まだ私には、大切な精神障害者の自立生活支援、相談業務、メンタルにゅーすヒエダの編集等を続けながら一人でも多くの当事者の社会での自立生活支援を続けていきたいです。また、仲間の当事者が病気と障害を持って、社会の中で自立生活を送りながら生きていく選択肢の参考になればと思っています。私は、統合失調症との共存で社会から恩恵をこうむりましたので、何らかの形で社会に還元していきたいです。全国的には珍しい、当事者発信の精神のニュースレター「メンタルにゅーすヒエダ」をこれからも続けていく所存です。皆様宜しく御願いします。

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