私は、連れ合いとの生活で結婚したばかりのときはよく不平不満を話していました。連れ合いは、穏やかで優しい人です。彼女はいつも受身で私の話を聞いてもらっていました。今思えば、私は妻にわがままな対応をとっていたのだと思います。
結婚して5年が経過しました。まあ、この5年おおきな波風はありませんでした。私の義理の父にもよく、「喧嘩してもいいけれど、後を引かないで竹を割ったように仲直りをしなさい。」といわれます。義理の父は、もう80歳を超えました。人生を先にスタートし高齢になっても頭は、しゃきっとしています。高齢になるまで、人生経験のある人のお話は、ためになります。有難いことです。
さて、本論に入ります。今回のメンタルにゅーすのタイトル「快適自立生活」ってどのようなものかもう2ヶ月考えても、これだというものは考え付かないでいました。毎日、病気と障碍を持って楽しく過ごせればそれに越したことはありません。しかし毎日、面白おかしく生活ができるのでしょうか?私にとって精神の病気と障碍を持って生きることの「快適自立生活」って何だろうと最近よく考えます。私は、一般就労したCIL下関で障碍者運動・障碍者の自立生活支援・メンタルにゅーすの発信などの仕事をするのが生き甲斐であります。特に、「メンタルにゅーすヒエダ」の編集はできる限りこれからも続けていきたいです。私に出来ることと言えば、縁の下の力持ち的な仕事が似合っているのだと思います。ですから、目立たず・黙々と・こつこつ仕事を続けていけたらなと思います。これからも私は病気と障碍に対処して、自分に出来る仕事をボチボチと確実に続けていきたいです。私の上司Kは私に対して特に仕事の指示はあまりありません。ですから、私のほうが心配になって自分の仕事の進捗状況を報告します。Kは、私の仕事に対して特に指示はしません。私的にはKは仕事に対して、極端に私のやっている仕事の方向がずれてないときは何も言いません。私に仕事を任せているので心配や気がかりがないみたいです。
私が仕事に行き詰ったら、Kに報告・連絡・相談をしますので何も心配していません。
私は、第一に病気と障碍に対処して調子を崩さないように連れ合いと地域社会生活していけたらなと思います。第二に仕事、第三にプライベートそれから、快適自立生活というのが楽しく・充実したものではなく、穏やかに静かに時間が過ぎていければいいなと思います。メンタルにゅーすの読者にとって自分自身の快適自立生活って何だろうと思います。それは皆さん一人ひとりが考えて行動することだと思います。私の快適自立生活は、この紙面に書いてあります。ある当事者SAMの一例です。皆様の参考になればなと思います。
そして、皆様自身健全者・障碍者として落ち着いて考えてみる機会を大切にして下さい。私たちの「快適自立生活」って何だろうなと私も考えています。このことが難しいなら「私たちにとって幸せって何だろうな?」と考えてみて下さい。また「ゆとりと余裕を持った生活」を実践できればいいなーと思います。
精神の病気と障碍を持った私には受け入れないといけないことがあります。それは幻聴と妄想です。これも、私にはここ最近気づいたのですが仕事にものすごく集中していると幻聴と妄想が気づきません。ただ、私にとってそんなに長く集中は出来ません。幻聴と妄想がありながらもウォークマンで音楽を聴きながらシャットアウトして仕事をするしかありませんね。幻聴と妄想を頭の中でシールドするのは私にとってすごく集中しないとできません。私にとって統合失調症とは何だろうかと考えます。幻聴と妄想は精神伝達物質のドーパミンがバランスを崩していることによって脳の中の統合が上手くできないのだと思います。非定型抗精神病薬の登場によってセロトニンとドーパミンのバランスを安定させることによって旧薬よりよく薬効があり副作用も少なくなっています。私は妄想型の統合失調症です。残念ながら非定型抗精神病薬の新薬に切り替えても幻聴と妄想は消失しませんでした。そこで、服薬を守り、残存症状の幻聴と妄想は消失しないので何とかしないといけないと考えました。以前の病識のない私であれば簡単にあきらめますが、病識を持つようになった今の私はしつこく向かい合って病気と障碍に対処しています。幻聴と妄想が気になるのなら何かでシャットアウトしないといけないと考えました。大昔はカセットのウォークマン、次にMDウォークマン、現在はデジタルオーディオウォークマンで対処しています。私は現代に生きていなければ、ウォークマンがなければどうやって幻聴と妄想に対処しているのか・・・・・?私のことだから何らかの対処をするだろうと思います。頓服を使うか、気分転換に散歩、音楽を聴く、横になって安静にしておくとか色々対処法があります。しつこく病気と障碍に向かい合って、何らかの対処をしているはずです。いずれにしても、対処の方法を考え出して、仕事を続けていきます。
【編集後記】
私は下関の援護寮ヒエダにきて統合失調症の勉強をしながら、同じ病気を抱えて悩む多くの当事者と交流することが出来ました。援護寮が精神科病院の敷地内にあったので調子が悪くなると病院にタイムリーに診察してもらうことができました。看護師さんや主治医、薬剤師の先生などに病気と障碍、薬のことなど分からないことは聞ける環境にいました。皆さんは分かりやすく親切に教えてくれました。それだけではありません。援護寮ヒエダでは、私が援護寮ヒエダ新聞を編集したいと願い出たら許可してくれました。施設の職員や病院職員に病気や障碍、福祉の事など分からないと教えてもらえる環境にいた事が現在でのCIL下関の私の仕事に役立ちました。結局私は自分を見守ってくれる人や神様の采配で私が満足する快適自立生活を病気と障碍を持って穏やかに静かに生活しています。この私の回転の遅い脳で理解した精神障碍の知識を当事者の皆さんにメンタルにゅーすで伝えていく事が、結局は私の快適自立生活なのではないかなーと思います。
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