メンタルにゅーすVol.140

メンタルにゅーすヒエダ

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Think & grow rich!

(思考は現実化する。)

2013年  Vol.140

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 SAM

Tel(083)-263-2687

FAX(083)-263-2688

E-mail  s-cil@feel.ocn.ne.jp

URL    http://members.jcom.home.ne.jp/s-cil/

 皆様、今回のメンタルにゅーすは、私の経験から現実化した様々なことをお話しましょう。私は、罹患した統合失調症を発病したときの気持ちをお話します。私が、山口大学医学部付属病院の私の主治医の教授から病名を「精神分裂病(統合失調症)」と診断されました。精神分裂病と聴いて私は、もう私の人生はこれでおしまいだと思いました。その殆どの悪い影響はハリウッドの映画やTVのドラマなどで精神分裂病を本当の病気の意味を正確に伝えないで、「怖い・何をするか分からない・多重人格とか」伝えていたことです。

私が統合失調症を発病して31年が経ちました。一生病院に入院するのだろう。仕事をすることが出来ない。結婚も出来ない。―そんな思いにとらわれ、私の生活は統合失調症という病気で、破綻してしまいました。自分でも、生きる気力がなくなりました。20年間私は、病気と障碍に振り回されていました。私は、統合失調症で長く生気が抜けたようになっていました。そんな中、私は、非常勤の家庭教師の仕事だけは続きました。家庭教師の会社が山口県から撤退するまで5年間働いていました。その当時、書店で「成功哲学『Think&Grow rich(思考は現実化する)』人間は思ったとおりの人間になる」と言う本を見つけました。その本を買って少し読んで馬鹿らしい、人間がこの本のようにしたら、人生を成功できるなど有り得ないとそのままにしておりました。本を再度買っていて、読むまでにはいたりませんが本を持っています。時々拾い読みをする程度ですが、悩んだ時に本を開きます。私は、自分の人生を真剣に考える時機なのかもしれません。

私は、下関に移り住んで12年ですが、ずっと考え続けていました。自分の人生を立て直さないとなー、できれば一般就労して、結婚をしてと、淡い期待をもっていました。そんな私でも、一つずつ確実に目標を決めて頑張っていました。一つ気がついたのは、私には目標を決めてそれに向かって努力して、何かの成功体験がありませんでした。それは何故かと言いますと、統合失調症が若者の人生を台無しにする病気だからなのです。この病気は大体1530歳の間に発症する頻度が高く、人間の巣立ちの時期にあたるときに発病するからです。私が、このように考えるのは何故でしょう。私は、統合失調症だから、結婚できないとか・仕事ができないとか・一生病院の中でしか生活できないとか、勝手な思い込みがありました。しかし私は、一人の人間です。人として、一人の人間として健全者が獲得している成功体験を病気である私が何故獲得してはいけないのだろうかと考えました。統合失調症でも、私は一人の人間です。病気だから、獲得することに時間はかかるだろうけど、焦らず・頑張らず・無理しないで亀のように歩みを進めていけばいいのだと、私は考え始めました。私が一番目に獲得したのは仕事です。CIL(自立生活センター)下関に就職しました。そこでの仕事とは障碍者の自立生活支援です。私は精神障碍者ですので、私の上司が障碍特性を考え仕事を任せてくれました。職人のように一人で出来る仕事を上司は考えてくれました。ニュースレターの仕事です。入社したばかりのときは、「援護寮ヒエダ新聞」の佳境でしたが、上司はその新聞を最後までやりきって、将来的には何かの形で精神障碍者のために冊子にしましょうと言ってくれました。そして、「精神障碍者自立生活マニュアル」を助成金で冊子製作しました。こうして、良い上司の下で働け、遣り甲斐のある仕事を得て、精神の冊子を作り、少しずつ仕事を覚えてきました。また、CIL(自立生活センター)下関の定期刊行物ネイチャーの編集を任せられました。ニュースレターの仕事では、新聞を割付し、編集し印刷・発行・配付まで一人で一通りやりますので仕事が面白かったです。文章を書くことがお陰で少し上手くなりました。

CIL下関の事業費の捻出のために財団への助成申請の仕事の企画書の作り方を覚えました。そして、助成が通れば、事業を進め最後には、報告書を作って終わります。私は、自分に与えられた仕事を否定的に考えず、肯定的に考えて仕事に邁進しました。ホームラン1発よりヒットを数でこなし塁に出ることを考えました。チームに貢献しながら、塁に出て自らホームベースを踏む、自分で仕事が楽しくなるように同僚の皆を影で支えることを考えてきました。

 このようにして、最初は仕事がさっぱり分からず数年が過ぎ去りました。そしてそれからまた数年が経ちました。私が働きやすいように上司や同僚が配慮し環境を整えてくれました。私は、上司や同僚にいつか恩返しをすることが出来るように毎日、少しずつ仕事に頑張っています。このように少しずつ仕事に頑張っていたら、少しずつ実績が後から後からついて来ました。この12年間で、私は様々な経験をした上に、授業料を払わずに給料がもらえるとは有難いことです。こうして、CIL下関で60歳の定年まで仕事を頑張りたいと思います。

 私の目標の成果

1.   仕事が与えられた。

2.   仕事で様々な経験をした。

3.   授業料を払わずに様々な経験をしてお金がもらえた。

4.   結婚が出来た。

以上

 

【編集後記】

私は、これまでの人生、特に仕事上のことでは、上司に恵まれませんでした。それは私の考え方が自己中心的で我侭だったからだと思います。今度仕事が見つかったら、私は上司のために仕事をしようと決心しました。それは、私が仕事上のことで「SAMが頑張っているね」と上司の知り合いから上司がそう聞いて笑みを浮かべてくれたらと思って仕事をしています。私は人に褒められると天狗になるので、上司のために仕事をして、定年まで頑張っていこうと思います。仕事は、労働力を提供して、その対価を受けるものです。私は、今こう考えます。「授業料も払わずに様々な経験をさせてもらい、おまけにお金がもらえる。なんと運がいい男だ。」と私は、上司や同僚に感謝しています。

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