思えば十年一昔と言うが、私がCIL下関で働いて11年目を迎えます。仕事を覚えるまでに6,7年、仕事が軌道に乗るまでそれから1,2年、残存症状(幻聴・妄想)に対処できるまで思ったより時間がかかりました。今は、11年前と比べると1日中、覚醒時ずっと幻聴と妄想があります。何故こんな病気に罹患したのか、この辛さは当事者にしか分からないと思います。そんな、この11年間何とか私は小さなことからコツコツと仕事を続けてきました。
私が、現在担当する仕事をまとめてみました。
(この11年の振り返り私の担当の仕事)
○メンタルにゅーすヒエダ
編集・印刷・発行・発送・配付
○ ホームページ管理
@CIL下関定期刊行物「元気ですか!?」
Aメンタルにゅーすヒエダ
Bピア・ハート下関(精神自助会)
○助成金の申請(事業費の捻出)
@企画申請業務
A助成団体の拡張(特に県内(共同募金会など))
○精神自助会の開催(ピア・ハート下関)
偶数月 第一日曜日 午後2時から4時:世話人
○他団体機関誌管理
○相談業務
@電話
APCメール
B事務所
○下関市内外での他団体との折衝
@
精神下関圏域協議会
A
下関保健所
B
CIL精神当事者スタッフネットワーク
C
地域活動支援センター
D
作業所
○精神病の理解・啓蒙
@
上司、同僚
A
施設、病院スタッフ
B
当事者
・病気と障碍の対処の仕方
・制度の情報提供
○精神当事者スタッフとして通院・服薬の遵守し、CIL下関で就労
○精神の講演、大学で特別講義
こうやって仕事を整理してみると私も結構仕事を抱えているんだなと自分ながら感心してしまいます。毎日、いろいろな形で悪口などの幻聴、被害妄想が私に押しかかってきます。これは現実ではない、と思っても私自身には幻聴・妄想が現実のように覚知されています。仕事を通して、苦手なパソコンの使い方を覚えたり・ニュースレターの編集から発行まで、様々な仕事に携わってきました。ここまで仕事を続けてきた事は私の身体の中に様々な形で仕事のやり方を習得してきました。私は、仕事にやり甲斐を感じます。今は、11年仕事が続いたので、定年までもう6年も仕事を続ける事ができると妙な自信があります。私自身の様々な経験や考察が皆様の役に立てば、私はこの上の無い喜びを感じます。まだまだ、私は、皆様に、さまざまな統合失調症の体験をニュースレターで伝えていく事が沢山あります。おかしなもので、何かを始めても4,5日しか続かないのにCIL下関での当事者職員としての仕事は11年勤務して、私には似合いの仕事のようです。私にできる事はコツコツ仕事を積み重ねる事です。私のスピードでボチボチ仕事でもプライベートでも継続する事です。
【編集後記】
今振り返れば、この私のCIL下関での11年の年月は畑を耕し種をまき・芽が出て・成長し・花のつぼみが出て・花が咲いてきました。私の11年のうち7年間は、自分が仕事をしてないことの自己否定を続けていました。多くを語らずひたすら黙々と仕事をしていました。一度目の転機は助成の申請が少しずつ通ってきはじめた入社3年目、同僚の皆に助けられた頃からです。私は、自分の仕事を几帳面に実現し始めた転機です。
二度目の転機はネイチャー・メンタルにゅーす、ピア・ハート下関のホームページを作って、JILのメーリングに投稿してからです。多くの健全者や各地のCILの職員たちがホームページに眼を通していることが分かり、やり甲斐を感じました。私のこれまでやってきた仕事は間違いなく種から蕾みとなり花が咲きました。非常に嬉しく、皆様の役に立っていることが私の使命感を躍らせました。これは、上司や同僚、皆様のおかげです。私をここまで育ててくれて本当に有難うございます。
またこれからも、皆様の力を借りて仕事を続けていきたいです。CIL下関での仕事に就いて私が一番心配だったのは、仕事がちゃんと続くかなという不安が大きかったかなと思います。ですから、自分の調子を崩さず、任せられた仕事をこなしていく事ができればなーと思いました。未来は毎日の延長線上にあります。これからもあせらず・がんばらず・むりしないでボチボチやっていこうと思います。皆さんもアガムの法則でボチボチとやっていきましょう。ゆっくりと確実に歩を進めましょう。
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