メンタルにゅーすVol.149

メンタルにゅーすヒエダ

 

大きいことを悩まず

小さいことも悩まず

2014年  Vol.149

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 SAM

Tel(083)-263-2687

FAX(083)-263-2688

E-mail  s-cil@feel.ocn.ne.jp

URL   http://members.jcom.home.ne.jp/s-cil/

 私は、結婚してから物事の対処の仕方が変わりました。血液型がA型なせいか物事の大きいこと小さいこと、些細なことに様々に心配したり悩んだりします。ところが私は結婚して少しずつ余り考え込まなくなりました。連れ合いを見ていると時々内面を様々、私に話してくれます。悩んでいること・心配なことを私に相談してきます。第三者的に、外界から彼女を客観的に見ると、まだ起きてない未来のことを悩んだり心配したりしています。正に「人間は考える葦である」と言った人が、昔いましたね。連れ合いの話にひたすら傾聴していると、彼女は私に話をしながら物事を頭の中で整理して次第に落ち着いてきます。しかし、考える葦なのか、私も含めて毎日悩んでいます。このような負の連鎖を連れ合いから聞かされると、人間は考え込むことを止めれば楽になるのにと思います。自分の心の中にフィルターを付けて外界のストレスを濾しとればいいのにと考えます。フィルター調整で大きいことをストップし、小さいことも流してしまいます。つまり、ある大きさのものをうまくフィルターで濾してしまえばいいなと考えます。それと、もう一つストレス発散に運動を考えないといけないなと思います。連れ合いは、心配や悩みを私より多く抱え込みます。

 私は、ピア・カウンセラーです。カウンセリングには傾聴することが出来ないといけません。クライアントの話を聴いて、私はどうゆう気持ちか尋ねます。私は共感しますが同情はしません。私は、クライアントに一定の距離を置きながら冷静に共感するようにしています。同情は感情が出ますので冷静に考えることが出来なくなります。つまり、ピア・カウンセラーはクライアントには一定な距離と冷静さが必要です。

 ここで連れ合いの悩みと心配に話を元に戻します。私が、彼女の話を傾聴して、未来のことなら「そのときになったら考えましょう。」と。大きなこと小さなことは、適度な大きさになるまで心の中から忘れるために私は散歩をします。歩いていると様々な季節のことを私は考えます。散歩をすると私は悩み・心配を忘れてしまいます。それと、人間には適度な運動が必要なのだと思います。だから、私は散歩に考え込む連れ合いを誘います。ほんのときどき、彼女を誘います。散歩が無理なときには、お話を傾聴します。傾聴するだけでも彼女は話しながら、物事を頭の中で整理してくるようで安心します。そのため、人の話は、話の腰を折らずに傾聴することは非常に大切なことだと思います。

 私は、悩み・心配があります。それだから、意識的に週3回は散歩することを自分に義務付けています。時々、散歩をサボることがありますが週最低3回くらいの散歩なら実現可能です。「大きなこと・小さなことを悩まずに、適度な大きさになるまで待って、しばらく頭の中から忘れてしまうのがいいのか悪いのか分かりませんが、とりあえず私は散歩で対処しています。たまにサボると会社の昼休みに散歩します。生きることも・悩み心配することも程々が良いようです。私がアガムの法則で使う、あせらず・がんばらず・むりしないで、程ほどに中庸に生きることは人間にとって大切なことだなーと思います。

 私も今このようにしばし、落ち着いています。毎日、2時間くらい私の残存症状(幻聴・妄想)が全くないひと時があります。それは、早朝の2時間です。私は、9時に床に就き朝4時に起きます。4時から6時の2時間は幻聴も妄想もないクリアなひと時があります。このことに私は最近気付きました。朝4時となるとほとんどの人はまだ寝ています。このように、明らかに自分の周りが静かであるのが認識できるときには幻聴・妄想がありません。その時間を除いた日中の覚醒時には、幻聴と妄想があります。皆さんの中には、幻聴を「幻聴さん」と名づけている人もいるのではないですか?時々、幻聴がないと、反対に落ち着かない人はいませんか。私の幻聴は私の悪口が多いです。それで、幻聴さんと愛称を付けることはありません。

 私が、会社、家庭で連れ合いに幻聴がひどいときに「今こんな声が聞こえるけど」と問い質すことがあります。声が聞こえたり、被害妄想だと明らかに私は分かりますが一応念のために周りの人に確認します。今は、人の声や音が聴こえるとまず幻聴を、被害妄想があるときには妄想を疑います。そして、私は、残存症状(幻聴・妄想)だとまず疑い、何とか生活しています。私は、そばに信頼の置ける人が必要です。それは、私には連れ合いや職場の同僚などです。私は、一人だと何も出来ません。バスや電車に一人では乗ることが出来ません。必ず、ウォークマンを聴きながら妻と一緒に乗ります。家庭でも、集合住宅に妻と一緒に住んでいますが一人では生活が出来ません。自立して・何でも一人で出来ると考えていましたが妻や同僚に助けられています。私は、様々な人たちのサポート受けて生きています。何よりも、私を信頼してくれる人たちには、私は不義理は打てないです。皆様これからもメンタルにゅーすと私ことSAMを宜しくお願いします。

【編集後記】

 私は、自分ひとりの力で生きていると思っていました。でも、それは違うことに気づきました。当初、メンタルにゅーすは稗田病院と敷地内の施設、以前は作業所だったNPO法人(PofM はまゆう)、市内の精神の施設へ配布していました。そして今は、ホームページを開設して、全国の仲間たちがそれを見てくれます。メンタルにゅーすヒエダを発行して9年が経過しました。多くの精神の当事者、施設・病院の職員、JIL(全国自立生活センター協議会)へのメーリング、精神のCIL職員へのメーリングで最新号のメンタルにゅーすを楽しみにしている方たちがいます。

 いまだに、あせらず・がんばらず・むりしないで私は自分で出来る範囲の仕事をしています。知り合った人たちを大切にしています。統合失調症に罹患して31年が経過しました。そのなかで、私は下関の精神の施設で自立生活の訓練をして、一般就労して、自立、結婚しました。私は、その間、援護寮ヒエダ新聞から現在進行中のメンタルにゅーすヒエダまで編集が続いています。CIL下関で採用されたときのことを思い出します。そのとき、決心したことは、たいそうな事は考えていません。CIL下関で定年まで仕事を細く長く続けていこうと思いました。

トップページに戻る