メンタルにゅーすVol.152

メンタルにゅーすヒエダ

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「私の安定した状態」

2014年  Vol.152

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 SAM

Tel(083)-263-2687

FAX(083)-263-2688

E-mail  s-cil@feel.ocn.ne.jp

URL   http://members.jcom.home.ne.jp/s-cil/

 昨年の7月から山口県共同募金会の配分助成を受けて編集してきた冊子「精神障碍当事者のための地域で送る快適自立生活」が今年1月製本されて一息ついています。今は、早朝その日にやる仕事を決めて仕事をぼちぼちやっています。ほっとしたタイミングで、改めて過去を振り返る事ができています。

 下関に来て援護寮ヒエダでの私の再出発が始まりました。私は、稗田病院の敷地内にある援護寮ヒエダという社会復帰施設で、メンバーさん13名と共同生活が始まりました。今でも、この日の記憶は、鮮明に覚えています。私は、200121日に3度目の精神科病院を退院しました。その足で下関市の援護寮ヒエダに入寮しました。いままで、地域生活では母と共に市営住宅で昼夜逆転した毎日を送っていました。私は精神障碍当事者と対面した事はありませんでした。孤独で怠惰な毎日の繰り返しです。まるで私は生きる屍(しかばね)状態でした。一転して、下関市の援護寮では社会復帰して一人暮らしに向けて、精神当事者のメンバーさんが自立に向けて生活技術の訓練やデイケア、福祉的就労などに援護寮から出かけていきます。

 援護寮ヒエダでは、入寮してから2週間何にもしてないで、ボーっとしていました。

3度目の入院が4年弱と長かったので、施設長の計らいで援護寮のメンバーさん、職員の皆さんに慣れるように休暇をくれたのだろうと私は自分ではそのように考えていました。

何でこのような記憶を思い出したのだろうか・・・・・・精神科病院を退院してほっとしたのかもしれない。確か200121日だった。現在の執筆時が20142月4日だからだろうか。私は毎年21日を「自立生活記念日」にしている。不快な記憶が3度目の入院生活にあったが、それを乗り越え現在の自分がある。下関に来て、この13年ボチボチ生活している。正直な話、毎日の仕事も生活もめちゃめちゃに頑張っています。そんなときには上司のKが「もっとゆっくり優先順位を考えて仕事をやりなさい」と言われます。何はともあれ、今は、結婚もして、連れ合いと私は、お互いが得意な事・苦手な事などをお互いがカバーしたり協力して仕事・生活をしています。私は連れ合いと二人で健康で文化的な生活を送っています。特段に、精神障碍者の私たちが健全者の人たちと変わった生活をしているわけではありません。ご飯を食べて、仕事をし、眠ります。平静で平穏な生活を毎日つつましく送っています。私が覚えているのでは、確か二度ほど連れ合いと喧嘩をしました。それも口喧嘩をしましたがその日にすぐ仲直りをしました。義理の父が私と連れ合いに口をすっぱくして言われていました。「喧嘩してもいいけど、竹を割ったようにすぐに仲直りをしなさい。後に尾を引かないようにしなさい。」と・・・・・

 私たち夫婦は、今はときどき口喧嘩をしたり、相談したり、議論をしたり、小さな波風はありますがつつましく生活をしています。お互いがお互いの事を考えて、心配したり助け合って生活しています。私は、連れ合いの話を傾聴する事で彼女の言いたい事を理解して、彼女のストレスの解放を図っています。それが自分の役目だと考えています。私と連れ合いは、根が真面目で責任感が強いので至らぬ心配をします。それらの殆どの事は時間が解決するものです。体験的に認知してくると自分自身の過剰な心配事もその症状も、自身が過敏になっているようだと考えて、対処して生活しています。

 数年に1回ぐらい、自分自身が精神的に落ち着いた状態があります。イライラもせず泰然とした状態です。すごく落ち着いている状態です。私はこのような状態のときに重要な私の人生の身の振り方を考える事に当てています。私は、業務日報を自分で個人的に執っています。なので、毎日気づいた事を業務日報に記録しています。

 CIL 下関で仕事をして12年になります。毎日が忙しく、最近は仕事に没頭しています。私が幸せなのは、精神病の病気と障碍が私の仕事に繋がっているからでしょうか。当事者の自立生活支援が私の仕事ですが、お話を傾聴していると同情してしまう自分がいます。そんな時「共感、共感・・・」と念仏を心の中で唱えるようにしています。私にすれば、統合失調症と共存して32年が経ちました。自分の病気と障碍を抱えて、CIL下関で仕事を続ける事が出来るのだろうかと様々な不安がありましたが何とか仕事をし、生活しています。あっという間に12年が経ってしまいました。私は、迷ったときには下関に来た時分から続けている自分のやってきた年間記録簿を見ることが多いです。自分のプライベートの事、オフィシャルな事など下関に来てからやってきたことを記録してきました。安心した事は、私は様々決断してきて、そのときそのときの最善な事を決断実行してきました。後になって思うことは、私は自分自身の人生の下関に来てやったことに関し後悔はありません。

【編集後記】

 私が生きてきた55年間、自己決定・自己実現・自己責任を担って生きてきました。自分自身が統合失調症に罹患して32年間は、あっという間に過ぎ去っていきました。服薬をしなくなって、状態が悪くなって周囲の人たちに迷惑・心配をかけました。時が過ぎ去って私が知っている人たちに非難されます。残存した幻聴と妄想で、悪口や被害妄想で発現してきて私自身の辛い日々が毎日覚醒時続きます。確かに私が起こした言動に関して、非難される事は私の責任です。服薬を守らなくなって、言動がおかしくなって入院と言う責任を果たして、私は私自身に責任を取ることを果たしてきました。過去の言動は、修正する事ができません。ですから私は私自身の未来に希望を持てるように、私のできる限りの仕事をCIL下関という土俵で障碍者の自立生活支援をやっていこうと思います。それが自己決定・自己実現・自己責任を担わされた私の仕事であり人生です。CIL下関での言動と行動は、未来に対して私自身が抱えて生きていかなければなりません。私の歩む道程が、少しでも稗田の施設の仲間や後輩たちの生きていくうえでの参考になればと思います。

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