メンタルにゅーすVol.155

メンタルにゅーすヒエダ

 

「自己覚知」

2014年  Vol.155

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 SAM

Tel(083)-263-2687

FAX(083)-263-2688

E-mail  s-cil@feel.ocn.ne.jp

URL    http://members.jcom.home.ne.jp/s-cil/

 人生55年も生きてきて、病気や障碍を抱えて32年も経ってしまいました。長い事、病気と障碍を抱えて生きています。病気や障碍に自己覚知したのは、いつごろからだろうかと思いを廻らしてみると、援護寮ヒエダでニュースレター「援護寮ヒエダ新聞」を編集して精神関係の勉強をしている時分ではないかと思います。少しずつ、ニュースレターと共に勉強しながら編集していました。そのころの援護寮のPSW(精神保健福祉士)のD氏に援護寮ヒエダ新聞を校正してもらったのから始まって、「メンタルにゅーすヒエダ」も現在進行形で校正してもらっています。長いもので今は、「はまゆう」のPSWD氏とは知り合って13年が経とうとしています。彼は、以前新聞社で働いていましたので文章の校正がうまいです。しかし、職場をまたいで、私がニュースレターの原稿が出来るとFAXのやり取りで校正してもらっています。職場が違うのに私のことをよく面倒を見てくれます。その事を知っている私の上司Kも懐の深い人だなーと思います。D氏と私の2人は下関市の精神保健福祉の発展を願って、仕事を互いに、かたやPSW、かたや精神障碍当事者のピア・カウンセラーとして働いています。最終的には二人とも目的は同じなのです。 いまでも、メンタルにゅーす繋がりで昨年は、冊子「精神障碍当事者のための地域で送る快適自立生活」の編集で力を貸してくれました。有難い事です。お互いに大人ですから所属している組織に対して倫理観がありますので、お互いの組織の守秘義務は心得ています。

 …とまた、横道にそれてしまいましたので元の道に戻します。私が自己覚知したのは、急にあるところで突然自己覚知したわけではありません。援護寮ヒエダでニュースレターを編集しながら精神障碍関係の勉強をしながら、少しずつ病識がついてきたのだと思います。今では、病気と障碍に対処しながらやり過ごして仕事をしています。私の知見では病識を持って生きていくには時間が身につけるのも消滅するのもゆっくり進んでいきます。私も、下関に来てから、ニュースレターの編集をしながら経験しました。私は病気や障碍と闘っているのではありません。ただ向き合っているだけです。稗田病院の薬剤師の先生が私が平成19年に入院してから状態が落ち着いたときに、「SAM、病気と障碍には柳の木のように向き合いなさい。」と教えてくれました。風が強いときはしなってやり過ごし、風がなくなるとしなりが弱くなります。その事が理解できるのに入院中の3ヶ月くらい考えていました。退院が近づく頃、上記のように答えが分かりました。そして、4回目の入退院の前後の私のことを振り返ってみますと、皆さん私のことを心配して下さったことが分かりました。皆さん、心配をかけて申し訳ないです。有難うございます。

 私は、現在までに3冊の冊子を編集してきました。

@    「精神障碍者自立生活マニュアル」                   医療スタッフ、福祉従事者用

A    「精神当事者を抱える家族・親族のために」             家族・親族用

B    「精神障碍当事者のための地域で送る快適自立生活」  当事者用

上記、3冊の冊子を現在の私は、精神3部作と考えています。現在の私が考えるに@は、当事者の皆さんには難しかったと思います。また、言葉の使い方が厳しすぎたと思います。

Aは私が32年前に統合失調症を発病したときの事を振り返って考えました。その当時に家族がどのように病気と障碍を考えて、当事者に接していけばいいのかと疑問を持った事で編集しました。Bは好評でした。言葉を選び、身近の生活の中のことを話しながら自立生活を目指したり、自立生活を継続していく指針を皆さんに伝えたかったので編集しました。今思えば、@は医療スタッフ、福祉従事者に、Aは家族・親族、友人・知人に、Bは当事者のために、@〜Bの冊子を振り返って読み直すに再考察をしました。3冊の冊子はそれぞれに意味のある冊子です。これらは、私が援護寮ヒエダに来たときから無意識に私が考えていたのだなーと思います。

 精神3部作とは、私の過信と読者の皆様は考えるかもしれませんが「精神障碍当事者のための地域で送る快適自立生活」だけしか、もう在庫はありません。電話の問い合わせで、3冊全て欲しいのですがといわれますが、私にはどうにもできません。

 しかし、今の私には運命だと考えていますが、200121日、援護寮ヒエダに入所した当時の私には、私が未来に障碍者団体のCIL(自立生活センター)下関で働いているとは考えもしなかったでしょう。自己決定・自己実現・自己責任が、少しずつ選択されて今の自分があります。しかも、私は現在と過去の2点の時間の経過の過程を考察する事ができます。今の自分は、少し右上がりの生活が出来ています。こうやって下関での13年はあせったり、がんばったり、むりしたときもありますが何とか仕事、生活をしております。

【編集後記】

 人生は数学で言う樹形図で枝を少しずつ伸ばして自己決定・自己実現・自己責任をしながら人生と言う大海原に船を出して成長していくものだと思います。船を富の象徴と考えると、順当に船を大きくする人、船を失う人、船と共に命を失う人様々です。私の経験では、人生の中で自己選択をして成功と失敗を繰り返しながら、諦めずに継続していけば自分のやりたいことを実現していけると思います。時間がかかったり、短い時間で自己実現できていくこともあります。私は、3年・5年・7年・10年と時間をかけてCIL下関で仕事に取り組んでいます。とりあえず10年間くらい仕事を続けていくと、仕事を覚えて、培った技術を捨ててしまおうとは誰も考えないと思います。私もそうです。私はCIL下関を辞めようとは思いもしませんでした。ただ、私は逆にどのようにしたら仕事を続けていけるだろうかと考えて時間を過ごしていました。継続は力なり・・・・・・

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