メンタルにゅーすVol.165

メンタルにゅーすヒエダ

SAMの病気と障害

共存

2014年  Vol.165

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 SAM

Tel(083)-263-2687

FAX(083)-263-2688

E-mail  s-cil@feel.ocn.ne.jp

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 最近は、私の統合失調症の病勢は落ち着いてきているのか、人と待ち合わせをしても、診察で待たされていてもイライラしなくなりました。人と話をしてコミュニケーションをとるのも苦痛ではなくなってきています。基本的に、最低限の挨拶はするようにしています。お早うございます、今日は、今晩は等・・・・・・人として当たり前の挨拶・声掛けなどいつも心掛けています。挨拶をして返事が返ってこなければ無視されたとかいろいろ考えてしまいます。声掛けをするかしないかで妄想・幻聴が激しく発現します。なんとも厄介な病気に罹患したものです。私の行動の一挙手一投足で幻聴・妄想が日中継続してありますのでこの残存症状には困りますが、私としては対処するしかありません。

 言動に対してYes/Noどちらでも妄想・幻聴が発現しますので無視できません。ところが頓服を行うと幻聴・妄想が発現しているのに気にならなくなります。服薬感を身にしみて感じるひと時です。ただ私は、主治医に頓服を1日に何回までいいか尋ねて服用します。精神科の治療では第一選択治療が服薬です。ですから、服薬を守ることが非常に大切なことです。健全者的な発想だと薬を飲むことは体に悪いとか言われて、真に受けて服薬をやめると調子が悪くなる当事者もいます。薬からの離脱は、一瞬調子がいいように感じます。しかし、その調子の良さは長い目で見れば、調子が少しずつ悪くなっていきます。特に私自身の身体で服薬をやめる人体実験めいたことをやったことが昔あります。しかし、それは誤った服薬の捉え方だった事が分かりました。私は、発病と再発を3回の計4回入退院しました。ここ最近では、7年前の平成19年に減薬にトライして失敗して入院しました。勝手な私の判断で入院したことは自業自得としか言いようがありません。このときの入院は医者でもない私の勝手な自己選択(減薬の挑戦)でした。そして当然ですが自己責任、つまり入院してしまいました。このときは、日記を克明に執っていましたが、服薬を前日に元に戻しておけばよかったのですが服薬をせず、誤った服薬行動でした。

精神科では服薬と当事者との精神療法で状態を把握しないといけないので薬はそれだけに治療効果を上げる中でかなりのウエイトを占めています。ここで、「精神科の薬とは何」と当事者に聞いてみたことがあります。私は「お守り」と仲間は「眼鏡」みたいとお互い当を得た表現で2人とも驚きました。それから、私は3年くらい前から自分自身、たくさんの薬を服薬していますので「お薬手帳」を薬局でつくりました。1日に薬を20錠近く服薬していますので、外科や内科に歯科に通院して薬を服薬しますので、服薬剤を尋ねられます。そんな時、薬局でお薬手帳を勧められたので作りました。薬局には必ず薬剤師の先生がおられますので、お薬のチェックを彼らの目で確認してもらっています。それから、これは確かな情報ではありませんが緊急時(東日本大震災)にお薬手帳で薬局でお薬を出してくれる場合がありました。精神科において服薬行動の徹底は病識を持つことにつながります。病識を持てば当事者が治療に協力でき服薬の徹底ができますので治療効果が上がります。1950年代にある麻酔剤で術後の精神の安定効果があることを発見してから抗精神病薬が治療薬になりました。当時、まだ精神薬剤は高価でしたが一部の人たちには使用されていました。このころから服薬の徹底は過去から現在にかけて古くて新しい問題でした。

 精神科のお薬は、現在の非定型抗精神病薬が少量でよく効きますし、比較的に副作用が少ないです。ところが、これら新薬の中には、副作用で肥満になったり、糖尿病になったりする人がわずかにいます。私的に考えるとどのような因果関係で糖尿病になるのか個人的に興味があります。薬には表舞台に出ている治療効果のほかに、陰の部分の副作用がおきます。なぜ非定型抗精神病薬の服薬が、糖尿病になるのか、定期的に血液検査をして様子を見ながら、服薬している当事者もいるようです。また、他の非定型抗精神病薬に変更したり、当事者が肥満していれば栄養士の指導のもとダイエットを勧めたりすればいいのかもしれません。いずれにしても、各精神科病院で主治医に相談し栄養士による食事指導を受けて下さい。

 今のところ、服薬を守りながら統合失調症と共存して生活しています。私は下関市の援護寮ヒエダに入所してから、理由は特にありませんでしたが統合失調症の勉強を始めました。色々なことを勉強しました。そのおかげで、私の知識で病気と障碍に対処しています。今のところ、私の知らない薬の副作用や病気の症状はありません。これが私にとって未知のことならば不安になりますが、そんなこともなくなんとか仕事・生活を送っています。

 

【編集後記】

 私は、援護寮ヒエダ新聞を編集するのに、制度・病気・薬・医療・福祉・病気や障碍の対処など様々なことを、知らず知らず勉強していました。病気と障碍に対処していく中で、それらの事を知らないと、損をすることが多いことを痛感しました。下関の援護寮ヒエダに入所して、精神保健福祉士(PSW)に様々な相談をしました。障碍年金のことを知らなかったので発病から15年間くらい生活費に困っていました。自分の周りにPSWや当事者の仲間がいなかったので、私には精神関係の情報や知識がありませんでした。

 下関の援護寮ヒエダに入所してから、多くの仲間に巡り合いました。福祉工場に勤めて障碍を持った仲間に相談しながら、何とか今まで生活しています。実家にいるときは、家から出るのが怖かったです。家から出ると幻聴と妄想が強く発現していました。援護寮ヒエダで職員に統合失調症の本を借りたりしていました。発病から20年後に人生のやり直しを始めました。そして、私よりも状態の悪い人も病識を持って地域社会で自立生活をしている人にも会いました。私は、援護寮ヒエダ新聞でぼちぼち新聞を編集していました。精神関係の知識をまず自分でよく勉強して最低限生きてゆくために知っておかないといけないことを援護寮ヒエダ新聞で共通の知識として、仲間の当事者のために情報を発信しています。それがメンタルにゅーすヒエダまで続き11年間で165号になります。「メンタルにゅーすヒエダ」はホームページでみることができます。インターネットで検索して一度ご覧になってください。165号が最新刊で、バックナンバーはそれぞれワンタイトルで編集してありますのでどこからでも読み進めることができます。皆様のお好きなバックナンバーから読み進めて役立ててください。

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