メンタルにゅーすVol.168

メンタルにゅーすヒエダ

 

「健全者に『SAMは怖い』

言われる。」

2014年  Vol.168

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 SAM

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FAX(083)-263-2688

E-mail  s-cil@feel.ocn.ne.jp

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 私は大人になって、知らない人から「道を教えてください。」と声をかけられる事はありません。なるほど、私は外見的に他人から声をかけにくい人なんだろうなと思っています。反対に私の妻は、知らない人に声をかけられる事が多いです。親切で優しそうに見えますから声をかけられるのだろうと思います。私は第一印象が悪いのだろうなと考えています。

 私は、私を知らない当事者達の中に入っているときには、健全者に思われることが多いです。また私のことを当事者と知っている人は、当事者にも健全者にも「SAMは怖い」と言われる事が多いです。自分で言うのも何ですが、元々私は親切で優しいのです。しかし、外見が怒っているように見えるのか「怖い」と言われる事が多いですね。統合失調症を抱えている事で私が怖がられるのは仕方のない事なのでしょうか。私は、優しく親切なジェントルマンには見られることはないのでしょうか。怖い第一印象に、加えて統合失調症を抱えている事で、パワーアップして怖いのでしょうか・・・・・・と考え込む事があります。皆さんもご存知なように、以前統合失調症が精神分裂病と呼称されていたころをご存知の方は、「当事者が怖い」と偏見・汚名・差別をしますし怖いと思われることが多いようです。

 私は、小さな頃無意識に口を尖らせている事が多かったのか、「何怒っているのだ」とか、「はぶてているの」と家族や親族、友達・先輩によく言われていました。今は、そのような事は言われなくなりましたが、そのような事で私を外見でみたときに気づかれる事があるかもしれません。皆さんもそうですが、特に当事者には意識的に声をかけて下さい。私も気付いたら皆さんに挨拶します。わたしは、病気のせいなのか残存症状で日中幻聴と妄想が継続してあります。これがあることにより、疎外感があります。この症状を減らすには、私も、周囲の人の中へ理解を図るために声掛けを心がけるしかありません。

 私が当事者の中にいるときに健全者のように感じられるのは、私が幻聴と妄想の事を意思表示してないとき、あるいは症状があっても落ち着いて対処している場合、周囲の人には私が健全者のように見えるようです。私が健全者に見えるようで、いい誤解と受け取っていいのか悪いのかしばし考え込みます。これは、私の統合失調症が妄想型のタイプだから、幻聴と妄想の症状が外見から見えないので、その事を知らない人には病気と障碍に対処しているのが分からないので、私の事が当事者には見えないみたいです。

 私の望みは、穏やかで静かなジェントルマンのようになる事です。そういえば、診察に行ったとき予約の時間よりだいぶ待たされても、ここ4,5年はイライラしません。怒って早く診察してくれといっても、その願いは叶えられません。大きな声を出して外来の看護師さんに文句を言っても、調子が悪いのかと思われますし、私は穏やかに・静かに自分の診察の順番を待ちます。以前、山口大学付属病院に通院していたときは、喫煙に行くと、診察の順番のときに待合室にいなかったときは順番が遅れたりして、文句を言ったりしていました。今その頃の事を思い出します。診察で待たされても、今はイライラせずに順番を穏やかに静かに待つ事ができるようになりました。

 健全者が当事者を恐れる年代は、統合失調症が精神分裂病という呼称だったことを知っている人たちに多いです。「何をするか分からない。怖い」など映画やテレビなどで精神病者をマイナスイメージな登場のさせ方をしてきたからです。精神障碍者に実際に接した事がある人は、偏見が覆(くつがえ)されますので、当事者を怖がる事のない人が多いという事です。精神の当事者でも服薬を守り地域社会で穏やかに静かに暮らしている当事者は本当にひっそりと生活する人が多いのです。私が、ここで皆さんに訴えたいのは地域社会生活をしている当事者で服薬・通院を守っている人は、多いです。多くの当事者は、服薬・通院を守っており、穏やかに静かに生活しています。そのような当事者はイライラしていませんし、人に迷惑をかける事はありません。健全者の障碍者に対する偏見だけで、当事者を非難するのは間違いです。私は、健全者にも地域で暮らす当事者を広い目で見てほしいですし、やたらと当事者が誰にも迷惑をかけていないのに、精神障碍者というだけで差別するのはやめてほしいと思います。精神障碍者は、真面目で・責任感がありナイーブな人が多いです。まだ何も人には迷惑をかけない当事者を非難の的にするのはおかしいです。私は、仲間の当事者が地域社会で自己決定・自己実現・自己責任を担って生活する事を望みます。マイノリティに対していわれのない非難は卑怯です。社会は、種々雑多な人々が生活して構成することで釣り合いが取れますが、その為には協力し合う事が大切です。皆様、慌てず騒がず協力し合ってボチボチ生活しましょう。

【編集後記】

 私は、統合失調症に罹患して入退院を繰り返して、今思うことがあります。それは当事者も病気と障碍を抱えて対処して堂々と胸を張って生きていって欲しいという事です。今私は切実にそう思います。ただ、病院に長期間入院していると何でも看護師・病棟婦さんがやってくれて生活し易くなります。本来、人間は自己決定・自己実現・自己責任を担って、好きな場所で生活を送ることが望ましいのです。地域社会の中で自立生活することは難しい事だと、初めての経験で不安な事もあるかもしれません。私も自立生活するのが怖かったですし、本当に不安でした。でも、実際に自立生活をするとすべて自分のペースで生活できますので楽しいです。私も今は結婚して7年目になります。妻と二人で生活しています。お互いの苦手な事は重複する事がありませんので、二人で協力して、穏やかに・静かに生活しています。二人とも結婚する年齢が健全者たちより20から30年遅いですが仲良く暮らしています。ボチボチと・・・・・・

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