私がCIL下関に籍を置いて12年が経ちました。私の仕事はピア・カウンセラーで障碍者の自立生活支援をしています。精神障碍関係で名前を覚えてもらって嬉しいのですが、最近、私に関係あるのかなと思う依頼があります。当事者が北で困っていたら行って話を聴いてくれ、南で困っている人がいたら行って話を聴いてくれと・・・・・・・こういうケースでは当事者の同意を取ってないのでムスーッとしている。
いくら私が精神の当事者でピアカウンセラーだから、当事者の気持ちが分かるからと言われても苦しいです。しょっちゅう当事者と接しているのに、その当事者の細かな情報なしに、ピア・カウンセラーだからと当事者の相談にのってくれと頼まれる事が増えてきました。当事者が孤立しているので、当事者の気持ちは当事者にしか分からないと言われて頼まれる事が時々あります。10〜20年前の福祉の押し売りみたいな時代錯誤を感じます。また、治安維持のために精神障碍者は、精神科病院に入院させておけばいいーという人も健全者の中には多いです。私としても依頼には応えたいのですが私も体は一つ、相談業務をする前に私見を挟まず当事者の情報を説明してほしいです。それと当事者の同意を取ってほしいです。と私は思います。まず、当事者を説得してCIL下関の事務所に来てくれれば良いなと思います。私は、ピア・カウンセラーの前に一人の一当事者です。かなり、私は脆弱性が高いです。私も当事者でクライアントも当事者です。最近、上司に相談する事がありました。彼は、私に相談業務が無理なら断るのもまた、SAMの権利だよと言われました。これまで、何度かモンスター・クライアントに相談業務で出会い、手痛い目にあいました。それでも、私は立ち上がり少しずつ成長しているのでしょう。私は、根が真面目なのかクライアントに精一杯対応します。それで、これまで何度か状態を崩す事がありました。本当に一生懸命に相談を受けます。しかし、どんな相談者が事務所に来るか分かりませんので、相談時間を1時間と設定して対応しています。クライアントに囚(とら)われず、冷静に同情せず共感する事を念頭において相談業務をしています。
現在、私はメール・電話の相談と事務所で対面して相談業務を行っています。特に、メールの相談だと相手と顔が見えないので文章のやり取りでしか、相手の雰囲気が分かりません。調子がいいのか・悪いのか、声も聞こえず相手の雰囲気もないので反応が分かりません。私の、メールの返信でアドバイスは伝わったのかなーと考え込みます。そういう時、私は当事者の気持ちを受容していくことを念頭にしています。CIL(自立生活センター)下関では精神の当事者が相談に来られると、同じ背景の精神の当事者(ピア・カウンセラー)が対応します。同じ背景の当事者同士の対応で同情はしませんが共感するように心掛けています。同じ背景を持つ仲間(ピア;peer)のほうが当事者同士の気持ちが傾聴できるし、共感できるのではという考えがあるからです。
最近は市役所や県庁などの職員は障碍者が相談に行くとちゃんと対応して話を聞いてくれます。私が気づいたのが10年くらい前なのでもっと前から障碍者への対応など接遇が変わったのでしょう。施設や病院の職員なども当事者への対応が変わって来ました。精神の障碍者への対応も、変わって来ました。特に、病院では当事者の患者さんとしての接遇も考え直されていますし、愛称やチャン付けの当事者の呼びかけも、○○さんと苗字で呼んでくれます。私は以前の山陽小野田市近辺の精神科病院では明らかに歳が私のほうが上なのに○○君付けで呼ばれていました。親近感を持ちたいと考えた職員の配慮ですが、この看護師は、考え方が古いと今思い出しています。
私は当事者なので医学のことは分かりませんが、「患者学」というものがあると思います。病気と障碍を持つ当事者にも、私は立場上CILの中にいることがあり、「当事者学」を唱える仲間がいますし、当事者としての障碍者の学問が確立されてもいいのではないかと思います。この患者学は、パターナリズムとして長く続いているのですが、医者とか父親に長く関係があります。医者は、患者に「病気を治すが貴方の権利は認めない。」といいます。また、父親は子供に「お前の面倒は見るが、権利は認めない。」と暗黙のルールがあります。医者は患者に対して治療はします。父親は子供に対して面倒を見て育てます。しかし、人間としての権利や、反発は認めないと長く患者や子供に対して責任を持っていました。人としての人権が認められないことが長くその関係がありました。私は、自分の父親には従っていましたが、パターナリズムの考え方があるのがCILで働いていて初めて気がつきました。障碍者運動を始めて、障碍者差別・偏見・汚名に気がつくことが多いです。しかし、何でもかんでも障碍者差別・偏見・汚名に目くじらを立ててはいません。ほどほどにゆとりと余裕を持って運動・仕事をしています。ゆとりと余裕がないといい運動・いい仕事をすることができないと思います。
【編集後記】
私も、障碍者関係の運動・仕事に携わって13年目になります。自分の病気と障碍を抱えて32年が過ぎていきます。精神病に罹患してから、家族・親族の差別・偏見・汚名を受けてきました。私が病気に罹患してから、私の周囲の人たちは私を見て「何をするか分からない、精神障碍者は精神科病院に閉じ込めていればいい、何かあったらいけない。」と言われていました。社会全体で精神障碍者は精神科病院に入院させて、退院させないようにしていればいいと言われていました。私は、病院を退院して生活訓練施設援護寮ヒエダに入所してさまざまな訓練(調理・洗濯・掃除・金銭管理・服薬管理等)をして、社会復帰しました。まだまだ、精神障碍者差別があります。何をもって精神障碍者を差別・偏見・汚名の的にするのか私は分かりません。私は、ゆとりと余裕を持って地域社会生活を連れ合いと穏やかに過ごしたいだけなのですけどね・・・・・・
トップページに戻る