メンタルにゅーすVol.173

メンタルにゅーすヒエダ

 

私がニュースレター

を編集する理由

2015年  Vol.173

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 SAM

Tel(083)-263-2687

FAX(083)-263-2688

E-mail  s-cil@feel.ocn.ne.jp

URL   http://members.jcom.home.ne.jp/s-cil/

私が下関市の稗田病院敷地内の生活訓練施設援護寮ヒエダに入所したのは平成1321日でした。F精神科病院を退院して、その足で下関の援護寮ヒエダに来ました。入所して、2週間くらいは、施設職員やメンバーさん、病院の主治医や外来の看護師さんに慣れるまで援護寮でボーっとしていました。何度か障碍年金のことをPSW(精神保健福祉士)に相談しましたがまず自分で調べるために、全家連の出版している冊子を借りて読んでいました。援護寮の方針はこれから施設で生活技術の訓練、対人関係のとり方、金銭管理、服薬管理等様々な事をゆっくり確実に習得することでした。私は、とり合えず自信があったのは調理と服薬管理でした。自分の出来ることから初めて少しでも調理のレパートリーを増やすことでした。洗濯は全自動の洗濯機に入れれば30分ぐらいで終わります。施設に乾燥機がありますので洗濯が済めば乾燥します。これは、11.5時間くらいで終わります。洗濯機・乾燥機の使い方はすぐに覚えました。寮から70メートルくらい離れたところに精神障碍者福祉工場がありました。

私は、下関に来る前は山陽小野田市の市営住宅に実家がありました。それで、援護寮を退所した後は、山陽小野田市に帰るものと腹積もりしていました。援護寮ヒエダに入所して色々精神障碍者の使える制度、統合失調症・躁うつ病のことなどとり合えず自分の病気の症状があることから、ニュースレターのネタにして「援護寮ヒエダ新聞」を編集していました。基本的に自分の興味のあることを、制度・病気や障碍のこと毎月取材しながら、本で病気を勉強しながらニュースレターの編集を始めました。私は、3回目の入院で決心したことがあります。それは「継続」です。「継続は力なり」といいます。何でもやり始めたことを続けることは、大変なエネルギーを使います。援護寮にはパソコンがありましたので、パソコンの使い方はかろうじて文字が打てるくらいでした。この状態で、援護寮ヒエダ新聞の編集を始めたのでパソコンに慣れるまで苦労しました。今思い起こしても無謀なことを始めたものだと思います。今は、パソコンに直接文章を打ち込んでいますが、その当時はノートに文章を書いてそれをパソコンに打ち込んでいました。なんと、新聞の編集に手間がかかりました。わたしは、新聞のネタを捜すために保健所に行ったり、病院に行ったりして取材してそれを編集していました。ある程度編集して、PSWに見てもらっていましたが、原稿は赤字まみれで添削されていました。この新聞の編集・添削でほぼ1ヶ月が経過します。この繰り返しを3年間続けました。このような、編集と添削の繰り返しで毎月1号を作り続けました。私は、新聞の編集を始めたら、こまめに編集を続けました。

自分としては、始めた事は最後まで続けようと決心していました。あの頃は、精神障碍について知りたいことが沢山ありましたので、取材・編集と忙しい毎日でした。私はもともと、何をやっても続きませんでした。援護寮ヒエダ新聞は、寮に入所中は続けようと思いました。私の援護寮ヒエダ新聞の編集は、私が障碍年金の申請をしたかったことから始まりました。ニュースレターは当事者たちに向けてA3の紙面の左右に編集していました。毎月の編集はワンタイトルのネタで完結するようにしました。そのスタイルがメンタルにゅーすヒエダに継承されています。私はかって、経験のないことを続けています。私には、これからのニュースレターがどのような形になっていくのか分かりません。私が、物事を論理的に考え、5体満足であればメンタルにゅーすヒエダは続けるつもりです。

稗田病院敷地内には、支援センターひえだ、ひえだファクトリー(障碍福祉サービス事業所)があります。私には病院の敷地内にかってあった援護寮ヒエダ、福祉工場ひえだランドリーは懐かしいです。私は、援護寮ヒエダに入所してひえだランドリーに昼間就労していました。

下関市で精神障碍者として声を上げたのは、援護寮にいた私からではと思います。援護寮ヒエダ新聞で、ヒエダの施設に集まる精神当事者を啓発するニュースレターを始めました。もうあれから12年が経過しました。多くの仲間にめぐり合いました。多くの施設・病院職員にもめぐり合いました。私は、たまたまニュースレターを書く資質がありました。いやいや、援護寮ヒエダ新聞を編集してもPSWに添削されると、文章のほとんどが赤い添削だらけでした。ですから、私にニュースレターの編集能力が最初からあったのではありません。たまたま、新聞記者をしていたPSWに私は援護寮ヒエダ新聞を編集しながら文章のいろはから鍛えられました。その頃から、ニュースレターは楽に編集できたのかどうか、ニュースレターの読者には愚痴をこぼしたことはありませんでした。だけど今だから話しますけど、ニュースレターの編集は辛かったです。かといって、ニュースレターの編集を始めて止めてしまうと洒落にならないしとか色々考えました。ニュースレターを発行して半年間はきつかったですけど慣れてきました。

 

       メンタルにゅーすヒエダ 引越ししました。新しいURL

              http://start2004.html.xdomain.jp/

         です。

【編集後記】

 「メンタルにゅーすヒエダ」は「援護寮ヒエダ新聞」の姉妹誌として、平成164月から始まりました。精神病に悩む多くの仲間たちと知り合うことが出来ました。私と同じ病、統合失調症や躁うつ病の仲間たちがこんなにいるのかと私自身びっくりしました。前者の2つの病を二大精神病といいます。脳の病気なので服薬を続けることが第一選択治療です。私は、仲間たちにニュースレターを編集して、読者に精神病のことを知ってもらい、この二大精神病に対処していきる生き方を伝えたいと考えていました。だけれども、精神の当事者は、ニュースレターの文章を集中して読むことが出来ない方もいますので、編集を始めて手ごたえがあるのは施設・病院職員からの反応がありました。当事者のために今でもメンタルにゅーすを編集しています。今でも・これからも・・・稗田病院敷地内の施設の仲間たちのために・・・・

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