メンタルにゅーすVol.174

メンタルにゅーすヒエダ

 

当事者の気持ち

〜統合失調症を罹患して〜

2015年  Vol.174

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 SAM

Tel(083)-263-2687

FAX(083)-263-2688

E-mail  s-cil@feel.ocn.ne.jp

URL   http://members.jcom.home.ne.jp/s-cil/

私が統合失調症を発病して1982年から数えて33年が経ちました。この当時は精神科特例でひとつの病棟に患者60人に対して看護師は数人でよかった時代です。看護師数人では病棟が管理できませんでしたので、無資格の看護人を雇って病棟の管理がされていました。病院は患者の食費を抑えるために作業療法として毎日、患者が畑を耕していました。現在でも田舎では、野菜の畑を持つ病院はあるのかどうかは私はわかりません。しかし昔は作業療法として、患者は病院内の殆どを掃除していました。もし病院が畑を持っていたら患者が作業療法として野良仕事をしていました。現在では、そのようなことはあるのか、ないのか分かりません。

私は、発病して33年経ちますがこの年数のうち入院経験が5年くらいです。私は、状態がよくなれば母が退院させてくれました。ただ自宅に帰っても何もすることがなく家の中でゴロゴロしているだけでした。調子のいいときには、安定所にいって仕事を探したりしましたが、就職しても23日から1週間くらい経つと仕事に行かなくなります。仕事で一緒に働く同僚が自分のことを悪口言っているように感じて、それが辛くて、辛くてしかたありませんでした。今なら、私はそれが病気の症状の一つの幻聴とわかりますがその頃は分かりませんし、幻聴の対処の仕方も分かりませんでした。

病気の症状の一つに妄想があります。私は、次々に溢れ出してくる妄想にとらわれていました。妄想に3時間くらいとらわれることはざらにありました。自分は、ある大会社の社長の隠し子であるとか、身分の高い皇室の出身であるとかさまざまな妄想にとらわれていました。

2001年、私は3回目の退院で、病院と社会の中間施設で社会復帰に向けて援護寮ヒエダに入所しました。ここで、さまざまな生活技術を習得しました。今は、援護寮という社会復帰施設はもうありません。ちゃんと、それなりに援護寮を卒業した人たちは効果がありました。再入院率も低いですし、病識を持って社会の中で生活しています。国が精神障碍当事者の社会復帰に力を入れていたのに、いつの間にか援護寮がなくなりました。これは国が性急に結果を求めすぎたのではないのかと私は考えています。後で知ったのですが、援護寮と同じような制度でこれは現法、障碍者総合支援法では「宿泊型自立(生活)訓練」という事業で引き継がれているので、私は一安心しました。

援護寮ではメンバーさんに慣れるまで彼らの声が幻聴で現れたりしました。メンバーさんに次第に慣れてくると幻聴の発現も以前のように間欠的になりました。私は、女性のKさん、男性のMさん、Sさんにはよくしてもらいました。現在では、仕事も忙しく彼らと会う機会がありませんが、私は彼らに今でも感謝しています。

私が、統合失調症を罹患して社会的弱者(高齢者、子供、女性、障碍者等)の気持ちがわかるようになりました。私は、健全者はたぶん精神の当事者のことを知りたくないのではないかと思いました。学校でも、保健体育で精神病の勉強はしますが、あまり時間をとって授業がなかったような気がします。健全者は精神障碍に蓋(ふた)をしてしまっていました。精神障碍、例えば統合失調症(=精神分裂病)などは、映画やドラマで、「怖い、何をするか分からない」などと受け止められても仕方がないような描写が、昔は時折見られました。本当に重度の精神障碍当事者はボーとしてなにも出来ません。病院に入院している重度の精神障碍当事者は自分の身の回りのことも出来ない人もいます。最近は少しずつ社会的入院患者の当事者を退院させて地域移行化をすすめています。1995年精神保健福祉法になってから障碍者手帳が精神障碍当事者にも所持できるようになりました。それ以前には身体障碍者手帳、療育手帳などはありましたが国も県も市もやっと精神障碍者保健福祉手帳の所持の拡大に、本腰を入れ始めるようになったようです。したがって、世の流れが推進力になって下関でも精神障碍当事者が地域社会生活するように移行しています。下関市の場合、手帳を所持することで、バス料金が半額、水族館(海響館)、美術館博物館等も入場料が減額されます。そうやって手帳所持を推進して精神障碍者の数を把握したかったのではないかとも私は考えています。

精神障碍当事者は退院して社会に出て、偏見・汚名・差別などで現実にジレンマに押しつぶされているのかもしれません。私は下関の援護寮に入所して、さまざまな生活技術を身につけて下関市に住み、障碍者団体に勤務しています。自分自身の病気を受容していることで、今の仕事を13年続けています。下関に来てからずっとニュースレターを編集し続けています。精神障碍者の自立生活支援、相談支援等しています。何度面接に行っても採用されない当事者の気持ちを共感しています。私自身の経験など、当事者とのお話の中で思い出します。少しでも多くの仲間の当事者たちが過ごしやすい社会でありますように私も運動や障碍者のピア・サポートの仕事をここ下関で続けていきたいです。

 

【編集後記】

 私の力は微力かもしれません。小さな、小さな力かもしれません。でも私は精神の当事者として、この下関で障碍者運動といえるかどうか分かりませんがメンタルにゅーすを編集し続ける所存です。当事者の皆さん私どものCIL下関においでください。困ったり悩んだりしたらお電話ください。精神の当事者のピアカウンセラーが皆様をお待ちしております。自立生活を練習する自立生活体験室もあります。そこでは、料理の練習もできます。皆様をお待ちしております。2人の職員で始めたCIL(自立生活センター)下関も今では50人近くに膨れ上がりました。CIL下関を母体として介助部門だけをNPO法人らいとにしています。当事者も9人います。どちらも障碍者が中心となって、運動体としてCIL下関、事業体としてNPO法人らいとが両輪となって運動、事業を行っています。障碍者が介助者を育てています。私は、上司や職員に囲まれて遣り甲斐のある仕事をしています。多くの仲間の当事者が、ここ下関で穏やかに静かに過ごせる街でありますように、私は願っております。

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