メンタルにゅーすVol.175

メンタルにゅーすヒエダ

 

幸せはトボトボ

私に向かってやってきた

2015年  Vol.175

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 SAM

Tel(083)-263-2687

FAX(083)-263-2688

E-mail  s-cil@feel.ocn.ne.jp

URL      http://members.jcom.home.ne.jp/s-cil/

 私は、統合失調症です。以前、前記の病名は精神分裂病と呼称されていました。私が、統合失調症を発病したのは23歳のときです。それ以前は、H製作所の研究所で働いていました。今思えば私の精神的異変は、会社が中堅幹部を養成するための学校の選抜試験を受けたことです。最後に本試験があり、たまたま運よく試験に合格しました。会社の学校は全寮制で勉強していて半年くらい後に突然抑うつ状態になりました。人に監視され、悪口を言われるような気分、勉強が手につかず、人間関係が上手くいかなくなりました。その頃、私は学校の教授の勧めで会社のクリニックでカウンセリングを受けていました。周りは、ノイローゼだと考えていたようです。何とか学校を卒業して、元の職場に戻りました。ノイローゼは治ったものと思いましたが、その後に抑うつ状態が続き無断欠勤を1ヶ月近くしてしまいました。何もする事も無くひたすら寝て過ごしました。そんな事をしても何の解決にもなりませんでした。結局、会社を辞めて山口県に帰りました。地元、山陽小野田市で再就職し、そこで統合失調症を発病しました。今から30年も前の事です。今年4月で病気になって33年が経ちます。様々な、経路を経験して、私の今の自分が居ます。下関に来て、私は仲間や病気の理解者のサポートで一般就労をし、結婚しました。今では、私は大器晩成型の人間であると思っています。下関での14年は、私の心の中を穏やかにしました。そして、服薬を守り、規則正しい生活リズムを送っています。今振り返れば、統合失調症(精神分裂病)を抱えた生活も、特別な生活をするものではないと考えています。私は、病気とともに共存して生活しています。病気と障碍で苦しいときがあります。しかし、柳の木のようにしなりながら向かい合っています。私は、今の調子で病気や障碍とともに対処しながら生活していきたいと思います。以上は私の33年間の振り返りの時間です。

 仕事の面では、2002H14CIL(自立生活センター)下関に運良く採用されて、精神の当事者職員として勤務して12年になります。統合失調症の理解と私が働きやすい環境を上司や同僚が作ってくれました。私は、調子の悪いときの働き方を、様々考えました。短縮就労(9-15時)、超短縮就労(9-12時)、時間差就労(鬱っぽくなったときは、朝の仕事に行くときに調子が悪いので、その時間を避けて11-17時)、そして最後は2週間くらい休暇をとったりしました。そのほか、職場の中に調子が悪くなったときにベッドで休んだりする事もできます。また、早退したりする事もできます。さまざま、私には現在進行形で精神障碍者が働きやすい環境、当事者との対応の仕方等色々な形で精神の就労の仕方を考えています。また、必要ならば、精神障碍者の理解のための冊子を編集したりしています。

 3度目の退院のときは、私はこれからどうやって生きていけばいいのだろうと思案していました。その頃、病院の患者仲間が援護寮のパンフレットを私に見せてくれました。援護寮は病院と社会の中間施設だと教えてもらいました。私は、下関の援護寮ヒエダという施設に見学に行きました。病院のように監視された施設だと思っていましたが、開放的で当事者の自己決定・自己実現・自己責任を持つことを重んじた施設でした。私は、今まで病院の職員も、私の周りの人達も何も出来ない子ども扱いされていました。ちゃんとした、一人の大人として援護寮ヒエダの職員は接してくれました。私担当の職員には、すごくお世話になりました。家事一般(掃除・洗濯・調理・整理整頓等)を教えてもらいました。彼女の息子さんの勉強を教えたりしました。息子さんの進学したい高校に合格したので良かったです。彼女は、旦那さんの転勤で青森県に行かれました。私は、以前家庭教師をしていましたのでそれが役に立ちました。援護寮ヒエダでは職員の皆さんにかわいがってもらいました。職員たちと色々な話をしました。大変役に立ちました。私は、援護寮に29ヶ月居ました。その間、昼間6時間くらい福祉工場で19ヶ月働いていました。1年間は、CIL下関に就職をして援護寮から通勤しました。

 私は、援護寮ヒエダに入所して、ある決心をしました。ちょっと遅いかもしれないですが、統合失調症の勉強をしようと考えました。勉強した事を援護寮ヒエダ新聞に編集して、仲間に伝えていこうと思いました。また、始めた事は続けていこう、焦ったり・頑張ったり・無理はしないでおこうと決心しました。この、14年間色々と辛かったですが、何とか仕事を続けてきました。私は、ボンクラですが「継続は力なり」といつも考えて、仕事をしています。仕事を続けていると、それが力となり、自信となって、自分自身を奮い立たせてくれました。長く真面目に仕事を続けてくると神様が私をいつも見て下さり、たまにプレゼントを下さいます。それは、幸運の女神のように注意して生活していると前髪を掴む事ができます。そんなときがこの13年間に2度くらいありました。私にできる事は真面目に几帳面に丁寧に仕事を続ける事でした。継続する事は何でもないように思いますが、難しい事です。でも、私のやっている仕事が下関の精神の当事者の方たちに少しでも役立てばと思います。もうCIL下関で勤務して12年が経過しました。下関の障碍者の自立生活支援が私の仕事です。様々な当事者の顔が私の心に甦ります。これからも、地域社会で自立生活支援を皆様の近くでピア・カウンセラーとして続けていこうと思います。皆様、これからもどうか宜しくお願いします。

 

【編集後記】

 私は、自分の人生を立て直すために下関の援護寮ヒエダにやってきました。自分の人生は、もう無い・見通しも無い・私はもうだめだと自暴自棄になったことがあります。下関に来てから、落ち着いて考えてみました。真剣に統合失調症と向かい合い、勉強して病気と障碍に対処する事を必死で頑張って身に付けました。世の中に私と同じように幻聴や妄想が残存した仲間は、地域社会の中で多く対処して生活している人が居ることが分かりました。そんな彼らにできる事が自分に出来ないことはないと考えて、自分の人生の時間10年間を費やして、病気と障碍を受容しながら対処して下関で生活してきました。難しい事はありません。食事、服薬、睡眠と生活のリズムを規則正しく刻んで生きていく事です。就労は精神の当事者の最終目標ではありません。仕事をすると調子が悪くなる人が居るかもしれません。そういう人達は、同じ当事者にお互いの師として、地域社会の生活が送れるように、生活のノウハウを伝え合うようにして生きていく事も大切な事です。当事者が何らかの行動を地域社会で始めたらそれを長く続ける事です。いつかは、それが力となり自信となり、仲間や自分自身を奮い立たせてくれます。自分と同じ精神の当事者たちのために、できる事から始めましょう。

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