メンタルにゅーすVol.177

メンタルにゅーすヒエダ

 

精神障碍当事者の

諦める事

2015年  Vol.177

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 SAM

Tel(083)-263-2687

FAX(083)-263-2688

E-mail  s-cil@feel.ocn.ne.jp

URL     http://members.jcom.home.ne.jp/s-cil/

私は、山口大学付属病院で統合失調症と診断されたときに、その瞬間考えた事があります。@一生入院しないといけないA仕事ができないB結婚できない、もう私の一生はこの病気により右上がりの人生はないと右下がりの人生だと思いました。主治医に統合失調症と診断されて、私の心の中の牙城が崩れ去りました。家族の中で母は、私が統合失調症を罹患したと聞いて彼女自身の心の中で葛藤があったのだろうと推察されます。母は、月に一回面会に来てくれました。有難かったです。面会のときの話しぶりも私にストレスをかけないように一言一言、気を使って言葉を選んでいました。弟・妹・親族は、私の面会には来てくれなかったです。彼らは私に関わらないようにしていました。私が精神科病院を退院して叔父は手のひらを返したように、全くの無視を貫き通していました。そして、私にお前みたいな「き○が○が俺に話しかけるな」「俺の家にも来るな」と言われました。私は、唖然として何も話せなくなりました。私は、何をどうしたか分かりませんでしたが気付いたら自宅に戻っていました。

ここで当事者の皆さんにアドバイスがあります。まず、自分の罹患した病気と障碍、残存症状の対処方法、病気の予後などについて理解してみるのもひとつの手ではないかと思います。そして、相談できるPSW(精神保健福祉士)や仲間が、当事者には必要かなと思います。しかし、相談する人が見つかるまで私は1年くらい時間がかかりました。主治医に聞いたり、PSWに聞いたりするとよいと思います。家族にも聞いてみてください。自分が調子悪くなるパターンも家族は貴方のそばで見ているので聞いてみる事を勧めます。

さてここで、精神障碍当事者の病気に罹患して諦めることの答えを言いましょう。この統計データーは「心の元気plus」と言うメンタルヘルスマガジンに書いてありました。

@仕事に就けないA車の免許が取れないB結婚できない3つです。私自身は2個ほど当たっていました。私は、少しずつ努力して獲得してきました。まず、仕事に就きました。次に、車に乗っています。それから最後に、結婚しました。精神障碍に罹患すると獲得できないもの3つを時間がかかりましたが獲得しました。私もすぐにはこの3つは獲得できた訳ではありません。特に、結婚できないと思ったりしましたが49歳のときに結婚しました。かなり時間がかかりましたが3つとも獲得できました。獲得できるまで私が統合失調症を発病して26年かかりました。社会的に認められるまでに諦めないで少しだけ努力しました。振り返れば、前向きに少しずつ努力して、最後に結婚する事ができました。私が、獲得できないと思った事が次々に実現できました。私は、幸せです。これに満足せずに小さなことからコツコツとこれからも何か実現出来たらなと思います。

私は、誠実に生きて生活・仕事をしています。自分に出来る事は緻密にパズルを組み立てています。うそ偽りなく真面目に人に接しています。そういうことを積み上げて生きています。私は、人に騙された事はありますが騙した事はありません。何処かで誰かが私を見てくれています。そういう人たちに私は彼らを裏切る事はできません。少しずつ私という人間を誰かが見ていてくれていると思い真面目に仕事をし、生活をしています。少しずつでも右上がりの人生を送っていきたいです。

最近よく脳裏をかすめるのですが、CIL下関を辞めたいとはこの仕事について考えた事はありませんでした。それよりどうにかして、仕事を続けるにはどうしたらいいか考え続けていました。時間をかけて、自分と言う人間を皆に見てもらっています。私は、下関に来て知り合った人に不義理をきる事はありません。私のそばで私をサポートする妻、職場の上司・同僚、病院の主治医・看護師、支援センターの職員、私は下関で知り合った人たちに少しずつ信頼されてきました。自分で自分を誉めてあげたいと思います。得意がらず・調子に乗らないで、自分自身を励ましています。統合失調症に罹患しても仕事をして、精神の当事者の皆さんにメンタルにゅーすを喜んでもらえるようにボチボチ仕事をしていきたいと考えています。

私は、20013回目の入退院を終えて、下関の稗田病院の敷地内の援護寮ヒエダにやってきました。そこからの事は、稗田病院、支援センター関連施設の当事者・職員たちは私のことをご存知ではないかと思います。今は、月に2回メンタルにゅーすを発行していますので配付して回っています。皆さんも気付いたら気軽に声をかけて下さい。どうかよろしくお願いします。無愛想に見えますが私は怖くないですよ・・・・・

稗田病院にお世話になって20012月から14年経ちました。思えば、時の過ぎ去るのは「光陰矢のごとし」ですね。時間の過ぎ去るのは速いですね。私は、メンタルにゅーすを編集して12年経ちました。始めた事は続ける事を実行して12年が経ちました。ドラマチックなひと時を過ごす事ができました。私はなんと幸せ者かと思います。これからもボチボチとメンタルにゅーすを編集していきます。皆様よろしくお願いします。

【編集後記】

 私は、メンタルにゅーすの編集を続けて「あら、もう12年経った」のと思うのが実感です。援護寮ヒエダを卒業して一人暮らしを始めました。たまたま、援護寮ヒエダで「援護寮ヒエダ新聞」を発行していたので自立してからもニュースレターを「メンタルにゅーすヒエダ」を編集したいと支援センターのセンター長に相談して許可を得て発行していました。それが何の縁だか分かりませんでしたがCIL下関のメンタルにゅーすとして編集する事が私の仕事になりました。上司のKは二つ返事でCIL下関のSAMの仕事にしなさいと言われました。私は嬉しかったです。今は、熱心な読者がいます。「メンタルにゅーすヒエダ」の研究家がいます。私よりメンタルにゅーすのことをよく知っています。編集している私よりもメンタルにゅーすを読み込んでいますので私はびっくりしています。しかし、メンタルにゅーすの発行はCIL下関で、編集は精神の自助会ピアハート下関のSAMが編集しています。ここまでは、メンタルにゅーすヒエダの研究家には分かるまい・・・

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