いつも額にしわを寄せた私でも笑う事があります。そういえば、私は人前で笑った事がありません。ここ10年に2,3回、こんな私でも笑う事があります。私が最近笑ったのは、8年前の昼下がりのときの事務局長Mと話しているとき。彼女が「SAMでも笑う事があるんだ・・・・・・・・」と言ってました。そういえば自分で考えても、私は、人前で笑う事が少ないですね。Mは私のめったに見ることができない笑顔を見たときにこういいました。Mが驚くのも当然です。私は職場では、額にしわを寄せて仕事をします。職場の同僚は、私にどう接していいのか分からないのか、私に話しかけてきません。10年来の同僚NとMはときどき、話しかけてきます。しかし、ときどき私も笑いますが、「SAMでも笑うことがあるんだ・・・」といわれるほど私が笑う事を見る人はいません。だから、事務局長のMは私のことをそのようにコメントしたのだろう。彼女は私に別に他意はないのですけどね。彼女が私に無意識にコメントしたのは、それほど私が笑う事が非常に少ない事を意味します。私の周りの人達は私に話しかけるのに、気の利いた声掛けをと考えるのでしょうか。
秋篠宮妃殿下の紀子様が、次のようなコメントをされました。それは、「笑顔は人を幸せにする。」と言う事です。確かに人の笑顔を見るとほっとします。険悪なムードの時に笑顔があると、人をほっとさせます。人を和やかにします。人の笑顔の効用は万国共通です。私はときどき同僚の皆にはっとさせられます。額にしわを寄せるのはやめようと思います。「笑顔は人を幸せにする。」、これは地球の万国共通の言葉ですね。
笑顔とは別な考えというのがあります。「継続は力なり」。経験知では、私には貴重な格言です。私は、人との対応が上手くできません。気の利いた臨機応変な言葉のキャッチボールが上手くできません。周りの人が、私に上手く話す事ができないのか、どんな対応をとったらいいのか、それとも私が怖いのか、私の心の中で葛藤があります。同僚の皆にも葛藤があるのかなーと私は時々思います。私には、毎日朝、同僚のN、Mから挨拶してくれます。毎日挨拶を交わすと私もほっとします。こうやって何年も継続していくとまさに力となります。有難い事です。
私は人に声掛けをするのが下手です。タイミングが悪いですね。その場の状況に上手くあった話が出来ません。臨機応変なコミュニケーションをとる事ができません。これは、「障碍は個性」、私の障碍の一つになります。私は、タイミングを考えて、職場の皆に話をしようとしますが、上手くいきません。私は健常なときを思い出しますが、その頃は、人と上手くコミュニケーションをとっていました。精神病に罹患してからは、確かに私の障碍のひとつとして、自分の中では受容しています。このことは、今の私にはどうする事も出来ない障碍の一つですね。皆さんの周りに精神の当事者がいたら話しかけてください。案外に当事者は声をかけられると嬉しいのです。精神の当事者は、怖くないですよ。それは、正しい情報を健常者に伝えて、啓蒙しないといけません。
私は、稗田病院や敷地内にある施設などの職員に私と言う人間を見てもらうのに12年時間がかかりました。「継続は信用なり」、これも継続ですが援護寮ヒエダでは「援護寮ヒエダ新聞」を、自立を始めてからは「メンタルにゅーすヒエダ」をずっと継続して編集しています。干支でいうと一回りぐらいの時間ニュースレターを継続しています。友人Fの家族に認めてもらうのに4年かかりました。私には、下関に移り住んでの14年間は光陰矢のごとしです。このメンタルにゅーすが平成16年からですから12年間、メンタルにゅーすを編集しています。稗田病院でお世話になって14年目ですね。あっという間に13年を瞬間移動しているようです。私は、稗田病院、敷地内の施設の職員にお世話になっています。職員の皆様のお陰で今の仕事、精神障碍者の自立生活支援をしている自分がいます。あせらず・がんばらず・むりをしないようにしてぼちぼち私にしか出来ない仕事を模索しながら仕事をしたいです。
精神当事者の皆様、病院・施設の職員の皆様、メンタルにゅーすを楽しみにしている皆様、家族・親族の皆様、多くの関係者の皆様、私たち精神当事者に関わるすべての皆様、いつも有難うございます。私たち精神当事者は、病気と障碍を抱えながら自分の出来る範囲の事をしています。多くの精神当事者の皆さんが地域社会生活を実現できるように支援を宜しくお願いします。また、精神当事者の皆さんのピア・サポート(仲間同士のサポート)を自分の出来る範囲の事を仲間に教えてもらったり、伝え合う事を傾聴しあう事を大切にしましょう。同じ背景を持つ仲間(ピア)同士の出来る範囲のサポートを行いましょう。私が多くの皆さんにお願いしたい事は「同じ地域で生活する一市民」として皆で助け合いましょうということです。
私も出来る範囲のピア・サポート(同じ背景を持つ仲間同士のサポート)実現に頑張りたいと思います。皆様の力を拝借したいと考えています。皆様宜しくお願いします。
【編集後記】
私は、下関で生活して14年目になります。多くの精神当事者、病院・施設の職員にお世話になっています。平成13年2月1日に稗田病院の敷地内の援護寮ヒエダから私の人生の再スタートが始まりました。様々な精神障碍関係の勉強をして、ひょんなことからCIL下関でお世話になりました。私は、CIL下関では細く長く仕事をしたいと考えています。どのようにしたら仕事を上手く続けられるのか模索しながら仕事を続けています。たまたま、CIL下関の上司のKやMにめぐり合って職場の環境・同僚の精神障碍への意識革命をしてきました。それが、私の仕事の勤務年数が更新中の理由です。
しかし思い起こせば平成13年2月1日の援護寮ヒエダに入所初日の私には思いもよらないことでしょう。過去から未来の現在、私自身の変化に驚くかもしれません。私は、特に変わった事はしていません。上司のKや同僚の配慮、精神障碍の理解が実を結び現在の私の仕事の継続に繋がっています。そこは職場の多くの皆に感謝です。私は、この14年特に変わった事はしていません。どうしたら仕事を続ける事ができるか、頭の片隅にもう一人の自分を駐在させて、へまをしないように頑張っています。
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