私は、56歳です。今は、統合失調症と共存して病気と障碍に対処して何とか仕事・生活をしています。私は、CIL下関で仕事をして13年目になります。援護寮ヒエダから就職してCIL下関に採用され、仲間、上司や同僚に出会って私は変わりました。私は、障碍者の使える制度、病気と障碍の対処の仕方等を勉強しようと考え、援護寮ヒエダ新聞を作りました。この、援護寮ヒエダ新聞をベースに冊子「精神障碍者自立生活マニュアル」の制作製本をしました。次に私は、誰かに肩を押されるようにニュースレター「メンタルにゅーすヒエダ」を編集して現在に至ります。援護寮を退所して、私は自立生活をするので、自立生活を目指す当事者向けに、またすでに社会で自立生活をしている精神の当事者向けにも考えて「メンタルにゅーすヒエダ」を編集しています。
身体障碍者、知的障碍者、精神障碍者と順番のように一番最後に、精神障碍の当事者達が病気と障碍をカミングアウトして、自分たちの置かれた差別・偏見・汚名の中1990年代に立ち上がりました。私たち精神の当事者は、長く表社会に出ることをしませんでした。映画やTVのドラマで精神障碍者をネガティブに扱い、怖い・何をするか分からないと偽りを広めてしまいました。精神の当事者は、社会の中でひっそりとつつましく生活しています。精神の当事者は、その存在と共に、健全者が怖がっています。反対に精神の当事者は、健全者を怖がっています。
私は、ニュースレターの編集を続けることで、当事者や病院・施設の職員たちにも、精神障碍を持って生きることの辛さや悲しさを伝えていこうと決心しました。たまたま私は、文章を編集することができるようになってきました。何の才能のない私が、少しずつ文章を書けるようになりました。時代の流れの中で、私は自身も統合失調症と躁うつ病の症状があります。私は、精神のことで思うことを考えてA3の紙一枚にワンタイトルで話の完結の文章と編集後記の構成でニュースレターの編集で読者をひき付けました。当事者仲間同士、当事者の家族を持つ人たち、福祉従事者・病院職員たちが興味を持ってニュースレターを読んでくれるようになりました。私は、下関に来て15年目になります。自分の生活も結婚して、連れ合いと細々とした生活ですが何とか仕事・生活をしています。何が私を突き動かしているのか分かりません。過去からの医学モデルからはるかな未来の社会モデルの障碍のあるなしにかかわらず私のモチベーションを維持し続け、精神当事者の自立生活が快適自立生活になるように願っています。
私は、統合失調症を発病して何度か就職しましたが何故か仕事が続かないでいました。仕事は2,3日から1週間くらいで辞めていました。なぜ、仕事が続かないのか分かりませんでした。稗田病院の主治医に相談すると病気と障碍のせいだと教えてくれました。精神の当事者が社会と病院の中間施設(援護寮ヒエダ)から一般就労するには相当難しいことだなと思いました。たまたま、CIL下関が障碍者の自立生活支援の仕事をする精神の当事者職員の募集をしていました。私は、そこで今も何とか仕事を続けています。少しずつ仕事を覚えてきました。今もそうですが、統合失調症と病名を言うとどんな病気なのかだれも分かりませんが、昔は精神分裂病というと突然、誰もが相手にしないか、もしくは狂っていると考えて全く無視です。まともに話すことができないと子ども扱いです・・・・・・。服薬と通院を守っている当事者は、ちゃんと会話ができますし、落ち着いた生活をしています。当事者を健全な一人の人間として接してください。当事者は、冷静に健全者を吟味しています。
私は、CIL下関で精神の当事者職員として採用されました。ですから、障碍者(児)の介助や移送の仕事は数えるぐらいしかやったことはありません。10年間で20回ぐらいあるかないかです。私は、病気と障碍で仕事が続かないかと思いましたが、CIL下関では職場の環境を整え、職員が病気を持つ私を受け入れて、同じ目的の仕事をする仲間として接してくれました。上司は、私の病気や障碍、性格を考えて仕事を任されました。
上司は、ある程度仕事を私に任すと、私はそれ以外の仕事は自分で探してこなしています。私は、壮大な目的を持った上司の力になりたかったので、こつこつマイペースで仕事をしてきました。私は、障碍者の自立生活支援の福祉の仕事をしていることに、こんな私でも仕事で役に立っているのだなと実感します。私は、アガムの法則(あせらない・がんばらない・むりしない)を自分にも当事者にも勧めています。私は、スロースターターなので動作の反応や理解に時間がかかります。仕事の中で私は精神障碍者でも、仕事や障碍者運動をやっていると語弊があるかもしれません。幸い私が編集している「メンタルにゅーすヒエダ」は、好評です。最初はどこまで続くか分かりませんでしたがメンタルにゅーすヒエダは現在、Vol.181を編集中です。私は、上司のKを尊敬しています。Kは部下の職員の誰よりも、仕事をしています。しかも、休みもなく働き続けています。Kはむちゃくちゃタフで人に優しく、自分自身には厳しい人です。
【編集後記】
私は自分が存在することで、CIL下関で働いていることで上司や同僚に精神障碍者の理解を啓発しています。また、彼らのおかげで自身の仕事を考え出して仕事をしています。私は自分自身に驚いています。私は、上司のKが喜んでくれることが私の喜びであり幸せです。Kは、介助・移送など健全者ができることは彼らに任し、私のように障碍を持っている自分にしかできない仕事は私の仕事と認識しています。毎日の微々たる仕事の進行具合でも、障碍を持っている自分にしかできない仕事は、迷わずそれは私がやるべき仕事だと考えています。
「下関市が全国に先駆けて障碍者の住みやすい市でありますように、障碍者が安心して生活できますように、私も出来ることは仕事を継続してやっていかないと・・・・・」と思います。われわれ障碍者が声をあげていくこと、障碍者運動をすることが「社会を変える」うねりとなればと、私はそのように考えています。
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