私は、43歳のときに障碍年金を申請して、障碍厚生年金2級を受給しています。障碍年金は、そのシステムとして独立した障碍年金制度があるのではありません。年金と言う事で考えると国民年金、厚生(共済)年金から派生しています。国民年金から派生した障碍基礎年金、厚生(共済)年金から派生した障碍厚生(共済)年金、があります。障碍基礎年金は1〜2級、障碍厚生(共済)年金は1〜3級があります。障碍厚生(共済)年金の3級の枠は割りと広めにとってあります。また、級が1級に近いほど障碍が重度で受給金も多いです。障碍年金は国民年金、厚生(共済)年金を長く掛けていると障碍年金も多いみたいです。ですから、等級が同じでも障碍年金の受給金は額が違います。一般的に、障碍基礎年金より障碍厚生(共済)年金のほうが多いです。それは、国民年金より厚生(共済)年金のほうが本人と会社がお金を出し合って掛けていますので当然と言えば当然です。私は、発病当時から20年経過して障碍厚生年金の手続きをしました。稗田病院敷地内の援護寮ヒエダに入所して、PSW(精神保健福祉士)に相談しながら障碍年金を申請しました。当初は等級が3級でしたが、1ヶ月くらい経った時に等級が2級に変更となった書類が郵送で届きました。この件について、当時の社会保険事務所に電話確認しましたら、精神障碍の場合は障碍等級が状態により変わるという説明でした。今後等級が変わっても、今ある3級の証書、書類を大事に保管して下さいとのことでした。新たな障碍等級になっても証書は送られてこないとのことです。
障碍年金は手続きをして、審査をしてから未来に向けて受給する本来請求と過去に向けて遡(さかのぼ)る遡及請求(そきゅうせいきゅう)があります。遡及請求は、障碍認定日から1年以上経過してから請求する事で、請求したときから5年前まで請求できます。それ以前の年数は時効で請求できません。私の場合は、援護寮に入所してPSWに相談していました。PSWが障碍年金の本来請求と遡及請求をダブルで請求してくれたのでよかったです。そして、2,3ヶ月経って遡及請求が受給できることが分かりました。しかし、PSWは遡及請求のお金は、ないものと諦めてくれと言われました。それは、私が過去5年間生活保護を受給していました。公のところから2重に受給することが出来ませんので、過去5年間に使った生活や医療保護などに使ったお金を確認後、私のこれからの援護寮を退寮して自立することを考えて生活保護の担当者がお金を60万円くらい残して下さいました。私も、遡及請求のお金は諦めてなかったものと考えていましたので、父の墓を建立するのに使いました。母も(2011)4年前に亡くなりましたので墓の中で父と母仲良く喜んでいてくれるといいのですが・・・・・・・・・
それでは、障碍年金の2つ目のお話です。私は、幸い援護寮入所中に一般就労でCIL下関に採用されました。それで、援護寮から1年間通勤していました。それで、状態の変化もなく安定していましたので1年間通勤した頃に、もう大丈夫だから援護寮を退寮したらどうか施設長に言われて、私も納得して一人暮らしを決心しました。
ごめんなさい、話が横道にそれてきました。実は、私は介助事業所の「NPO法人らいと」から採用されてCIL下関の仕事をしたり、NPO法人の仕事をしたりして働いています。それで、「らいと」で介助者の育成をしたり、移送サービスの車両の助成の申請手続きなどの仕事をやったり、CIL下関で障碍者の自立生活支援、ニュースレターの編集、障碍者運動等をしています。働き始めて2,3年して「らいと」が厚生年金に加入したので、団体と私が半分半分年金をかけています。この時点で、私は定年まで団体職員として働いた後について考えていませんでした。今の私の連れ合いが私の生活を心配して年金のことを話してくれました。それで、支援センターの職員に相談しましたら、年金をもらうときに選択肢が多いのはいい事だから厚生年金を掛け続けていなさいと言われました。最近になって、また心配になって、今度は、下関年金事務所に電話をしてみました。今のところ、私が年金をもらえる65歳のときに老齢年金と障碍年金のどちらかに決めないといけません。今現在で推測するに障碍年金のほうが老齢年金より多く受給できます。しかし、障碍年金は精神障碍の場合、病気と障碍が変化するので、等級が変わる可能性があります。もしも現状維持で今の私の障碍年金の等級で維持できればいいけど、確かに、精神障碍は状態により変化するので、障碍年金は65歳からの年金の選択はよく考えないといけませんね。年金事務所の方も確約はしてくれないけど、「私のような場合の精神障碍者もたくさんいますので、救済の制度が出来ますから心配しないで」と言われました。それよりも、「今の職場で定年まで細く長く働きなさい」と言われました。こればっかりは、私の力では解決の道には程遠いですね・・・・・・・・・・・・・・・
【編集後記】
現在の私は、残存した症状の幻聴と妄想が昼間覚醒時継続してあります。私は幸いにも残存症状があっても服薬・頓服・病気と障碍の対処法など考え出して、何とか生活しています。小さなときから内気で父や母も心配していました。それは、保育園・小学校・中学校・高校と担任の先生に伝えられていました。中学校を転校したとき担任の先生が自分の住んでいる同じ地区に住んでいました。父がその先生を知っていたので彼のクラスで担任をお願いしたのでしょう。中学校を卒業するときにその先生が教えてくれました。中学校の二年間を彼のクラスで面倒を見てもらいました。
自分にとって余りいいことではありませんが23歳のとき、統合失調症に罹患しました。この病気を33年抱えています。病気を罹患して20年くらいは、病気と障碍に押しやられて自暴自棄な年月を過ごしました。幸いにも下関の援護寮ヒエダに来てから、真剣に病気と障碍を受容して、何とか統合失調症と向かい合う生き方、病気と障碍の間合いを試行しながら対処してきました。下関に来て15年が経過しました。当事者として33年間のうち20年間は病気と障碍に翻弄されて生活していました。いまは、病気と障碍に闘いを挑んだりしていません。病気と障碍に向かい合う事で何とかやり過ごしています。今こうしてアガムの法則(あせらない・がんばらない・むりしない)で穏やかな生活をしています。幸いにもCIL下関で遣り甲斐のある仕事をしています。晩婚ですが結婚をして8年目を迎えます。良いときもあり悪いときもあります。ボチボチやっていきましょう。
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