メンタルにゅーすVol.187

メンタルにゅーすヒエダ

 

SAMの下関市への移住」

2015年  Vol.187

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 SAM

Tel  (083)-263-2687

FAX(083)-263-2688

E-mail  s-cil@feel.ocn.ne.jp

URL    http://members.jcom.home.ne.jp/s-cil/

私が援護寮ヒエダに入所してから、かれこれずっと下関市に住んで15年になります。援護寮で生活を始めてすぐに下関市に住民票を移しました。PSW(精神保健福祉士)が何気なく、私にアドバイスしてくれて色々考えました。私の出身はS市で、下関市から車で1時間くらいかかる所に住んでいました。私は、3度目に入院したとき隣近所に迷惑をかけ措置入院となりました。退院して、下関市の稗田病院の敷地内の援護寮ヒエダという病院と社会の中間施設に入所しました。PSWは、SAMが援護寮に来て2,3ヶ月経ったころに「SAMS市に帰ってもいいことないよ。下関市に住んで一から出直した方が良いよ。」と言われました。私は、下関市という私のことを誰も知らない土地で、人間関係を再構築してきました。PSWに下関市に移住する事を勧められた通りに、現在も下関市で生活しています。最初は、寂しかったけど、仲間や友人に恵まれて幸いでした。

私は、15年間稗田病院にお世話になっています。この間、服薬が不安定になり稗田病院に3ヶ月入院しました。退院後、7年が経過しました。現在は、服薬を守りあせらず、がんばらず、むりしないでボチボチやっています。私のCIL下関での勤務も13年が経ちました。この13年間、私を支えたのは、ニュースレターの援護寮ヒエダ新聞、メンタルにゅーすヒエダの編集をしてきたからだろうと思います。そして私を陰で支えてくれた上司のKや同僚、ニュースレターの校正をしてくれたPSWの「PofM・はまゆう」のD氏のお陰です。そのほかの人達は、私の知らないところで見守ってくれているのだと思います。私は、アガムの法則と言う言葉を使っています。これは、あせらない・がんばらない・むりしないそれぞれの頭文字のあ・が・むと頭文字でアガムの法則としています。私は、仲間・上司・同僚・福祉従事者・医療従事者等沢山の人たちの支えがあることで何とか仕事・生活をしています。しかし、知らないうちにあせったり・がんばったり・むりしている自分に気付きます。気付いたときに一息おいて仕事をしています。

下関市に移住して15年が経ちました。病気・医療・生活・就労・制度・社会資源など勉強しました。当面、当事者として生きていくのに上記の6項目を押さえておけば困らないと思います。私は時々思うことがありますが、私はいったい何者なのでしょう。何も出来ない当事者と思われているのでしょうか?事実、私のことをS市では「き○が○」と烙印を押されていました。そしてそのように対応されていました。その環境で20年近く、精神の病気と障碍を抱えて生きていました。私は、下関に来て援護寮に入所して様々な生活技術を身につけ自立生活を目指していました。今の私がメンタルにゅーすを編集しているのを気づいてすごいと思う人がいるかもしれません。私が当初、援護寮ヒエダ新聞を編集したとき、その当時の援護寮のPSWD氏からの添削は原稿のほとんどに赤線が入っていました。私が彼から教えられた事は文章を読むのによどみなく、読み直す事がないスーッと読み続ける事が出来る文章がいい文章だと言う事です。D氏の言う意味がやっと最近になって分かってきました。曲がりなりにもニュースレターを編集して15年が経ちました。文章を書く事が無理なく出来るようになってくると、財団Xの事業助成申請等の仕事も、少しずつ採用されるようになりました。まさしくD氏の言うよどみのない良い文章が書けるようになったのでしょうか?急に助成申請が採用されるようになりました。私も何が原因で助成申請が採用されるようになったのかずっと分かりませんでした。私が助成申請書を書くとき、ずぶの素人が読んでも分かりやすいように文章を推敲して書くように心がけています。それと、助成申請書の審査員になったつもりで、誰が読んでも分かりやすい文章を目指しています。助成申請書を採用してくれるように、団体のPR・意気込みなどあらゆる手を尽くして、助成申請が採用されるように文章を推敲しています。

私は下関に移住してからは、精神の病気と障碍を勉強して少しずつ病識がついてきました。何かを始めるときに、はやる心をセーブして仕事・生活をしております。今の私は、一番力を入れている「メンタルにゅーすヒエダ」の編集は私が初めて自分で考え出した仕事で、この仕事が私に遣り甲斐を与えてくれます。そして、メンタルニュースをホームぺージにしてJIL(全国自立生活センター協議会)のメーリングに投稿しましたら沢山の皆さんが訪問してくれます。有難い事です。多くの皆さんのホームページへの訪問を願っています。私の下関移住で様々体験した事、勉強になった事等、悪戦苦闘がホームページにして、読者の皆さんと知識と経験を共有したいと考えています。皆さんの、お役に立てば幸いです。そして、私はできることも、出来ない事も投げ出さず「継続」をしています。こうゆうことは、メンタルにゅーすを継続する事でその意味を知りました。以前なら、どんな事を始めても三日坊主なのですがメンタルにゅーすだけはまさに、12年目に突入しました。私も、四捨五入すれば60歳です。CIL下関での13年間は、メンタルにゅーすを続ける事で仕事のやりがいを体感しました。皆様の御支援有難うございます。

【編集後記】

 私は結婚して8年になります。当事者同士の結婚で、子どもに遺伝する可能性が高いので子どもを作らない事を二人でよく話し合って決めました。妻は、私が死んだら、すぐに精神科病院に入院すると言っています。私は彼女がそう言っていますので、長生きしようと思います。彼女の健康のためにタバコをやめました。規則正しいリズムで生活しています。私の考える病気と障碍との共存生活というものを、毎日考えながら試行しています。その生き方、対処方法が、多くの統合失調症を患った仲間の皆さんのお役に立てばと思います。メンタルにゅーすは、それを毎日読み込み、研究する当事者が現れました。私より私を研究しているある女性にめぐり合いました。もうメンタルにゅーすも発行して12年近くなります。多くの当事者たちと私の知識、経験を共有するために編集を続けていきたいです。下関に来て、援護寮ヒエダ新聞、メンタルにゅーすヒエダへとニュースレターが続いています。世代を超えて未来の当事者、関係する福祉従事者、医療従事者、家族・親族へとメンタルにゅーすが読み継がれていく事を私は願います。私という一障碍者の知識と経験が皆様のお役に立てば幸いです。

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