私は、10年かけて下関で社会復帰しました。その間に服薬を守らないで勝手な判断で調節していた時期がありました。知り合いから教えてもらったネットで、セカンドオピニオンをしながら薬の減薬をしていました。主治医にかかりながら一方的に、減薬を進めていました。私にも自己決定の権利があるように自己実現・自己責任があります。このころ、私は薬を飲みながら、慢心していました。それで、調子にのってネットのセカンドオピニオンの通りに減薬をしましたがうまくいかずに再発して3ヶ月間入院してしまいました。それから、8年が経ちました。あの頃を振り返ると、初めのうちは確か、うつ状態の誘発薬を減薬していきました。その後結局、うつ状態の誘発する薬だけでなく、非定型抗精神病薬の薬まで、減薬してしまいました。統合失調症の薬まで減薬していくと、イライラしてしまい状態が悪化してH19年に3ヶ月間入院しました。自業自得です。自己決定・自己実現したのだから自己責任をとって入院となりました。この入院で、私の統合失調症のリスペリドンという薬の至適用量がはっきりと分かりました。私はこの薬が1日について6mg必要なことが分かりました。4回目の入退院から8年経過しています。小刻みな状態のゆれはありましたが、服薬を守り何とか現在に至ります。この間、服薬は朝・昼・夕の食後と眠前に行っていましたが、特に昼の薬を飲み忘れることが多かったです。H25年1月からリスペリドンの1日量は変えずに朝・夕食後と眠前に、主治医に処方をしてもらいました。
今振り返れば、よくここまで社会復帰できたものだと思います。平成19年に3ヶ月間の入院をしました。それから8年経過しました。統合失調症は年をとるに従い状態が軽快してきます。15〜30歳に発病する頻度が高いです。10代、20代と成長期のように新陳代謝が激しいときは、精神伝達物質(ドーパミン)が多量に分泌してきます。年を追うごとに伝達物質が穏やかになり・状態も落ち着いてきます。と、一般的には言われていますが、私には、統合失調症は落ち着いていません。かえって、年々状態は悪化しているように思います。残存症状の幻聴と妄想は、以前間欠的だったのですが、昼間覚醒時継続して症状があります。残存症状の幻聴と妄想は落ち着きませんが柳の木のようにしなって風に向き合うように、私も病気や障碍と向かい合って対処しています。残存症状と戦うことはしません。何度となく戦いを仕掛けても負け戦を体験しています。統合失調症とは戦ってはいけないと分かっているのに、時に少し慢心をします。その気持ちが首をもたげて時折状態が悪化します。たぶん、服薬していても状態の揺れがありますが、そのときに状態の揺れにうまく対応していないのだと思います。
今思うのは、私が統合失調症を発病して、よくここまで回復できたものだという事です。山口大学の医学部付属病院に統合失調症発病後すぐに入院したのが23歳のとき、あれから33年間が経ちました。今は、生まれ故郷の山陽小野田市から下関市に引っ越して生活しています。稗田病院の敷地内の援護寮ヒエダでの生活をしながら、CIL下関へ通勤、1年後に援護寮ヒエダを退寮して、自立生活へと一人暮らしを始めました。
私は、地域社会生活で自分の言行には気をつけています。私と同世代の人たちをお手本にいろいろ観察したりします。時には友人と同僚たちをお手本に考え込むことがあります。彼らのちょっとした言行で落ち込んだり、イライラする事があります。自分には、イライラすることが多く、その反応が後を引きます。
自分なりに、統合失調症という病気と障碍の勉強をして受容しているつもりです。時々、イライラすると調子が悪くなり、病気と障碍の状態が増悪します。自分としては不満足なのですが最近とみに思うのは、自分の仕事特に事務処理能力が健全者に比べて遅く・迷ったり・考えたり解決に時間が非常にかかり、自分が自分にイライラしてしまいます。頭で考えて解決策が見つかっても、それが行動に伴うのにしばらく時間がかかります。まあ、現状としては客観的に調べて・勉強して心が落ち着くまで検討します。私の周りには多くの人たちの教材や経験、反応のお手本たちがいます。また、仕事は健全者のスタッフとは競争せずに、当事者の私にしかできない仕事をしています。
私には、思考や行動の切り替えが上手くできないときがあります。あまり考え込んだりすると眠れないときがあります。こんなときには、眠前のお薬を早い時間に服薬して眠りに就くこともあります。私の人生には統合失調症という病気の貴重な体験があります。この体験がCIL下関での仕事の当事者の自立生活支援に役に立ちます。私の人生で23歳から33年間、統合失調症とともに共存して生きています。私が病気を発病後退院してからの当初では、社会復帰は上手くいきませんでした。6年くらい自宅にひきこもりました。また病気や障碍、薬のことなど発病して20年間はさっぱり分かりませんでした。でも、援護寮ヒエダに来て社会復帰の訓練を行いながら統合失調症の勉強をして自立しました。いい仲間、援護寮の施設長・スタッフに恵まれ、下関に来て14年目になります。今でも何とか生活しています。結婚して2人で過ごしています。遠い過去の統合失調症を発病して間もない頃の私には考えられないことです。今は何とか仕事をして連れ合いと私の生活です。これから順境のときも・逆境のときも二人で力を合わせて生きていきます。
【編集後記】
統合失調症歴33年のSAMです。私にひとつの転機があります。援護寮ヒエダに入所して統合失調症について勉強したこと、今の職場の上司Kと同僚に会ったこと、当事者の仲間にめぐり合ったこと、そのすべてが私の心の中に希望をもたらしたのです。私は、下関に来てはじめて、他者の事を優しく見守る人たちの存在に気づきました。もちろんこんな私でも暖かく見守ってくれている人たちがいることに、びっくりしました。今まで私はそうやって声援してくれる人たちに気づきもしませんでした。
私は、もともと気が小さい、素直で正直な人間です。それが、大人になってしまいました。私は優しさのある気持ちの暖かい人間になりたいと思います。統合失調症に罹患して、なおさら気が小さくおびえる人間になってしまいました。それでも何とか仕事をして生活しています。私の人生は私のものです。だれにも、私の人生の舵はとらせません。この舵取りを自分で継続していきたいです。私は、人生という海に連れ合いと一緒に船出しています。その中で得た知見は、また、これからのメンタルにゅーすで皆さんに伝えていこうと思います。ボチボチやっていきましょう。ボチボチと・・・・・
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