メンタルにゅーすVol.194

メンタルにゅーすヒエダ

 

「私が調子を崩したとき

四度目の入院の前後」

2015年  Vol.194

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 SAM

Tel(083)-263-2687

FAX(083)-263-2688

E-mail  s-cil@feel.ocn.ne.jp

URL      http://blog.livedoor.jp/npo_light/archives/cat_8979.html

 実は私はCIL下関に入社したとき、精神当事者の調子を崩したときの働き方を上司のKに検討するように指示されていました。私の場合状態を崩したとき、Kからの指摘を受けたときに私が聞き入れるように説得をして欲しいと頼んだ事があります。8年前に状態を崩したときKが私の状態の増悪に気付いたときに私の処遇(通院、服薬、休暇などの指示)や注意するなど、手を尽くしてくれました。私は、状態を崩していましたが根が真面目なのか、主治医の診察を受け、医療保護入院になりました。今の私の妻が診察に付き添っていました。幸いかどうかは分かりませんが医療保護入院になりました。そのとき、保護者を聞かれましたが、母ですが、高齢で認知症のグループホームに入所していますと主治医に伝えました。保護者の母に私の入院先の稗田病院のPSW(精神保健福祉士)が電話したようですが、母が調子が悪いので施設長が話を聞いていました。私は母がそんな状態なので、下関の首長つまり下関市長を保護者にと主治医に話したのをかすかな記憶の中、今振り返って思い出しました。私は、自分の今後のことを主治医と上司のK、婚約者に託して私の入院形態は医療保護入院として稗田病院に入院しました。私はひどい幻聴と妄想の中、数日は保護室入院になり、その後大部屋に移りました。1ヵ月半くらい経ったときに、主治医から「貴方はまだ入院するつもりなのか」と言われ、私はもう退院するぐらい状態も寛解したのだなーと考えていました。私は、念の為、きりのよい3ヶ月間入院して、それから退院しました。

 

私が調子を崩したときの対処を今考えています。皆様の参考になれば幸いです。

@    私が他人の話を聞き入れられるときに休暇をとるように指示する。

A    病院に診察に行くようにすすめる。(できれば、同行する。)

B    必要があれば、入院加療

C    何か困っている事(心配事)はないか。

D    最近、イライラしてないか。

E    睡眠は取れているか。

F    服薬を守っているか。

G    食事はちゃんと摂っているか。

H    極端に体重の変化はあるか。

以上

 私は、精神科病院に3ヶ月の入院だけで施設症になりました。自宅の市営住宅から外出できなくなりました。上司のKに相談したところ、昼間自宅にいるときと会社に出て仕事するのと、どっちが落ち着くかと問われました。会社に出て仕事をするのが楽だと言うと、Kは、「僕もそう思うし、同僚もいるし安心すると思うよ。」と言われました。私は、施設症になりましたが、自分の気持ちとしては、早く婚約者と結婚したかったです。それで、取りあえず一番安心する場所が会社でした。会社には、私の同僚たちがいますので安心する居場所でした。結局、施設症から抜け出すのに1年近く時間が経ったころ回復しました。H19年の私の4度目の入院でしたが、社会復帰には時間がかかりますね。今思えば、社会生活には私は日中幻聴と妄想が覚醒時ずっとありますがボチボチやっております。私にとって、最後の牙城は服薬と通院です。そして、幻聴や妄想がある人でも地域社会で生活している当事者は、沢山いる事が分かりました。私も幻聴と妄想に対処しながら、生活、仕事を続けていこうと思います。現在は、妻と結婚して静かで穏やかな生活、仕事をしております。調子を崩さないように服薬と通院を守りながら、統合失調症と共存して生きて行こうと思います。

 私は現在56歳です。定年が60歳ですから、あと4年働き、同じ職場で65歳まで嘱託で働きたいと考えています。自分の後に続く精神の当事者が働けるように手間暇かけて、後進の精神当事者を育てていきたいです。メンタルにゅーすはどうするのと聞かれたら、私がリタイヤしても続けます。私の後を継ぐ後進には、私と同じ精神の仕事をするのではなくて、その人にあった精神の仕事を長く続ける事ができればいいなと思います。私は、妻によく言われます。SAMはメンタルにゅーすがあることで仕事が長く続けられるのですね。それが続かなかったら、私と出会わなかったですね・・・・・・・・!?

 

【編集後記】

 人生は、筋書きのないドラマのようです。私は、このドラマの主人公・・・・・

 私は、いつかは灰となり土に返ります。しかし、小学校、中学校、高校の時分はなんと時間が経つのは遅いのかと考えていました。大人になって仕事をするようになって、時間はあっという間に過ぎ去ります。私にとって幸せの女神を認知して捕まえる間のないくらい速いです。そして、CIL下関のメンバーになり、当事者職員として13年が経ちました。私の就労年数は、健全なときの4年間を振り切り記録更新をしています。また、下関で多くの精神当事者に出会えて幸せでした。そして、NPO法人らいとCIL下関で勤務して幸せです。就労年数が毎年記録更新中です。まあなんにしても、私の人生もまんざら捨てたものではない・・・・・・・・・・・と、考える現在の私がいる。私の人生は、晩期右肩上がりなのでしょうか?私は、焦らず、頑張らず、無理しないようにしてボチボチやっていこうと思います。過ぎ去っていった過去は修正できませんが、これからの未来には後になって後悔しないように頑張っていこうと思います。しかし、自立生活の定義のように自己決定・自己実現・自己責任は私もいつも腹にすえて生きて行こうと思います。

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