メンタルにゅーすVol.196

メンタルにゅーすヒエダ

 

「メンタルにゅーす

継続して」

2015年  Vol.196

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 SAM

Tel(083)-263-2687

FAX(083)-263-2688

E-mail  s-cil@feel.ocn.ne.jp

URL    http://members.jcom.home.ne.jp/s-cil/

 早いものでメンタルにゅーすを発行して12年が経ちます。平成164月の発行から現在は平成2712月でVol.196号になります。下関の稗田病院の敷地内にあった生活訓練施設援護寮ヒエダに平成13年に私が入所してから、早14年が経ちました。今は、もう援護寮ヒエダはありません。その頃を思い出しても、楽しい日々でした。しかし、私自身も、時間と言う波に追いやられ、いろいろな人々に出会いました。まさか、援護寮ヒエダ新聞からメンタルにゅーすヒエダまで、現在も継続して編集しているとはその当時の自分には思いもよらない事と思います。あくまで現在の自分から、過去を思い起すと意味づけが出来ますが、過去から未来を展望するのは難しいと思います。それでも、CIL下関での私の仕事は、障碍者の自立生活支援と障碍者運動です。長いもので10年一昔と考えれば、私は仕事もよく続いたなと思います。私は、CIL下関で仕事をする前は、3度目の4年弱の入院がありました。退院してその足ですぐ、援護寮ヒエダに入所したわけです。

 私は、援護寮で援護寮ヒエダ新聞、一般就労をして、メンタルにゅーすと編集しています。もう、下関に来てからずっとニュースレターを編集しています。自分で調べて勉強したものを仲間の当事者に伝えることを私の喜びとして、下関に来てからニュースレターを編集しています。私は物事に惚れやすの飽きやすです。下関に移住してもう16年目になります。私は援護寮で自立生活を目指して様々な訓練を得て、そして援護寮から一般就労をして通勤を1年してから、自立生活を始めました。私は社会復帰が上手く行く様に、万全の策を練っていました。私は、ゆっくりと確実に自立生活を進めていきました。本当に私は、自立生活が出来るのだろうか。私は、暗闇の中でおそるおそる歩を進めていきました。自分のスピードで物事を遣りきればいいので負担になる事はありませんでした。

 私は、結婚して9年目になりました。結婚して以降、家計簿と洗濯物をたたむのは私の担当です。妻は私の洗濯物のたたみ具合は、いつも感動ものです。私が、調理が出来るのは、初めは5才頃からです。その頃は袋詰めのインスタントラーメンをよく食べていました。ガスの使い方を母に教えてもらっていました。私は、父や母が料理を作るのをよく観察していました。父からは魚のさばき方を教えてもらいました。それと、父が魚釣りが好きだったのでよくついて行ってました。魚のえさをどこで探すか釣りの様々な事を父を見て覚えました。母には、畑で野菜の作り方を教えてもらいました。なすび、かぼちゃ、キュウリ、トマト、大根、ふき、じゃがいも、サトイモ、ニンジン、玉ねぎ等季節ごとに野菜を作るのを母の横で手伝いをしながら見て覚えました。母と父に感謝です。

 CIL下関NPO法人らいとで仕事をしていて思うことは、もし私が普通の会社で仕事をするだけならば、私はここまで14年間仕事が続く事はないと思います。今の仕事は、障碍者の仲間のための障碍者運動、障碍者の自立生活支援の仕事だから続ける事ができたのだと思います。自分一人だけで生活できて食べていくだけなら、今の結婚もしてないし、入退院を繰り返していただろうなと思います。私に出来る事は、事業のピア・カウンセリング講座、冊子の編集、福祉車両の入手などの財団助成の企画書を申請して、事業費用の捻出をしています。事業収入の財団助成の仕事は少しずつ採用されるようになりました。一年に一つか二つ助成も採用されるようになりました。障碍者の仲間のために、様々な事業をするために、私はボチボチ仕事をやっています。私は無理しないで頑張っています。坦々と確実に歩を進めています。私は、若い頃23歳で統合失調症を発病してから33年が経過しました。私は、何かの縁で連れ合いとは49歳で結婚しました。彼女は、47歳でした。もう結婚して、9年目です。逆境のときも順境のときも二人で協力して仕事・生活を送っています。

 このような生活で、精神障碍を抱えて日々の驚き、興味、精神障碍との対処の仕方を模索しながら、感心しながら、日々SAM自身の生活を交えながらメンタルにゅーすを編集しています。私の物事の考え方、仕事の進め方、驚いた事、嬉しかった事、悲しかった事等を精神の病気と障碍を持って生きていくことを読者の皆さん達に伝えたいと思っています。私の願いは、精神障碍を持ちながら、私が息を引き取るまでの時間の中で精神障碍者の仲間たちに、健全者の方たちに私の当事者発信のニュースレターを続けて訴えていこうと思います。

 

【編集後記】

 メンタルにゅーすは、平成16年から始めました。まだ、12年しか経っていません。かかり付けの精神科病院が稗田病院です。私が編集しているニュースレターは、現在196号です。本当にここまでよくニュースレターが続きます。私は、物事を投げ出す事が多いです。当初、私はメンタルにゅーすとして始める事は簡単ですが、3日坊主にならないように気合を入れて毎回編集していました。稗田病院の外来、薬局、院長先生、M先生、PSW,デイケア、ひえだファクトリー等配っています。ニュースレターを毎回配って12年が経ちました。読者の皆さんがメンタルにゅーすを楽しみにしてくれている事がよく分かります。こうやって、これまで続いて、ニュースレターのストックを再編集して冊子を制作しています。冊子が皆様のお役に立てば幸いです。

 さて、私が下関の援護寮ヒエダに入所したのが平成1321日でした。私は、援護寮ヒエダ新聞の編集を施設長のUさんに許可をもらい、ニュースレターの編集を始めました。また、多くの当事者に会う機会があり、彼らと接する事が私の編集するニューレターを継続させる励みになります。私は、小さな事からコツコツとメンタルにゅーすの編集を始めました。ニュースレターの編集が皆様のお陰で何とか続けることができています。私も将来、もし長生きできたらメンタルにゅーすを続けていれば、未来の私は、過去のメンタルにゅーすを振り返り、その当時の自分が何を思い、悩み、何を考えていたのか分かります。私自身の病気と障碍を持ってどのように生きていたのか振り返る事を楽しみにしております。そのときその未来で、何を感じ何を考えているのかも私は本当に楽しみです。何はともあれ、メンタルにゅーすは創刊号から現在196号、13年目に突入します。みなさま、もう10年は、私もメンタルにゅーすの編集を続ける気力、自信はあります。仕事を引退後もメンタルにゅーすを編集し続ける所存でございます。皆様お楽しみあれ・・・・・・・

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