メンタルにゅーすVol.197

メンタルにゅーすヒエダ

 

「母親の認知症」

2016年  Vol.197

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 SAM

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E-mail  s-cil@feel.ocn.ne.jp

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 私は、親の生きている間に一人暮らしを始めました。3回目の入退院を経験して、退院したその日に援護寮ヒエダに入所しました。援護寮では、一人暮らしを目指して頑張っていました。生活技術の習得には、なかなか時間がかかりました。しかし、三日坊主にならないように、やり始めた事は継続して腹に据えていました。

 援護寮入所中にCIL下関へ一般就労して、そこから通勤していました。その同時期に母は認知症で次第に一人で生活する事が難しくなり、整理整頓、掃除、調理などが出来なくなりました。私はCIL下関で働きながら土、日には、実家に戻り母の様子を見守っていました。認知症はいったいどのような症状があるのか分かりませんでした。辛抱強くネットで検索したりしました。最初母は、軽度の物忘れがありました。次第に重度になり、家に誰かが入ってお金を盗まれたと言って警察を何度か呼んだりしはじめながら、徘徊等がありました。物忘れがひどくなり私の名前が分からなくなりました。この時期に、私は認知症のグループホームに母を入所させようと考えていました。

 母の認知症で顕著に現れた事は@物忘れA徘徊B家の中の整理整頓などが出来なくなったことです。私は、土日の休みになると必ず母の様子を見に実家に帰っていました。家の中に誰かが入ったとか、お金を取られたとか母はよく言っていました。何度か警察を呼んでいた事がありました。関係者が家の中を探すとお金は出てきました。このような事がありましたので母に納得してもらい、まず老健に入所しました。その間に、認知症のグループホームを探していました。実家の市営住宅は、荷物を整理して要らないものは処分しました。母が、ローンを組んでいるものは支払いを済ませました。家の補修をして、アパートは、市役所に戻しました。老健の入所期間が3ヶ月なので、そこからグループホームを紹介してもらい、母と一緒に見学に行き入所の手続きを済ませました。そして、グループホームに入所しました。私は、母が実家のアパートに一人で生活をするのが難しいと判断したのは、物忘れ・徘徊・家の中の整理整頓・ガスの火の管理の不安などが理由です。家の片づけを業者に見積もりをしてもらったときに、認知症の母が住んでいたことを話しました。そうしましたら、こういう家の中の荒れようは、認知症の高齢者に多いことを話していました。私も、母の生活の中で認知症でどういう障碍があるか考えていました。それで、私はネットで、認知症のことを調べました。その中で上記の物忘れ・徘徊・部屋の中の荒れようとガスの火を使う事が心配でした。色々知り合いの高齢者の介護の社協のケアマネに相談したりしていました。そのため、わりと家庭的なグループホームに母を説得して入所の了解を取りました。それから、毎週土曜日に私が母に面会に行くので心配はないよと言うと母も安心していました。

 私が母の処遇を認知症のグループホームに決めたのは、母のガスの火の管理に不安を持ったからです。母も最初は嫌がっていましたが、了解してくれました。その母もグループホーム入所中にすい臓がんになり病院で亡くなりました。私が墓を建立したら生前の母も安心してくれていました。何とか母も墓に入って喜んでいるだろうと思います。母は私が就職して、一人暮らしをしている事を生前大変喜んで安心していました。私はできる限りの事をしました。時々私も母のことを思い出したりします。私が母のためにやってあげたことでいいのだろうか?・・・・・と母のことを私の一存で勝手に決めた事に母は怒っていないだろうかと思案したりもしました。今でも母の記憶で思い出すのは、私が3歳のとき私を抱いて笑っている写真です。母は私のことはいつも「兄ちゃん兄ちゃん」と呼んでいました。グループホームで私の名前が思い出せないことを悲しんでいました。母の76年間は長く辛い一生でした。その中で、認知症のグループホームの僅か数年は次第に穏やかに静かに生活していました。実家の市営住宅に戻りたいと、私が面会に行くたびに話していました。私は、亡くなった父のことを思い出すといい記憶がありません。しかし亡くなった母については、その笑顔を思い出します。そうはいっても、両親が、二人で私の事を「兄ちゃん兄ちゃん」と呼びかけている3歳くらいの記憶は、共通の良い思い出です。

 そんな両親から生まれた私・弟・妹の3人兄弟のうち、私と弟の二人が精神病を罹患しました。妹だけが精神病を発病せずに健常に生活し、子供が2人います。私の代でSAM家は終わりです。SAM家の血は絶えてしまいます。妹の子どもに血は繋がってしまいますが、彼らの健常に幸せに・・・・と願っています。私は大器晩成型なのか、49歳のときに結婚しました。連れ合いとは時々口喧嘩をしますが、総じて仲良く生活しています。今後もボチボチ二人で仲良く長生きをしていきます。

 

【編集後記】

 大人になると時間の経過が凄まじく速く感じます。高校卒業するまですごくゆっくりな時の経過を感じました。私も、歳をとり57歳を迎えます。あと3年で定年になります。CIL下関の就職を最後の仕事として毎日頑張っています。私の仕事は障碍者の自立生活支援です。また、精神障碍者の啓発のニュースレターの「メンタルにゅーすヒエダ」を編集しています。読者の皆様の興味と関心・期待を裏切らないように頑張っています。

 少しずつ淡々とニュースレターを継続していければなーと考えています。私の罹患している統合失調症は、病識を持ちにくい病気らしく、寛解状態を続けるために服薬・通院が大切な事です。生活環境も規則正しく穏やかに静かに連れ合いと生活しています。結婚して9年目を迎えます。多くを望まず、僅かな望みを叶えるために淡々と生活しております。私の望みは、メンタルにゅーすをいつまでも続けるーということです。それでも私が始めたメンタルにゅーすですから多くを望まず、淡々と、ボチボチ生きながらえていき、その時々に当事者として考える事、精神の情報を私の後の当事者、家族・親族、医療関係者、世間の人たちに病気と障碍を抱えていても地域社会で生きていけることを伝えたいと考えています。私は、23歳のときに統合失調症の発病をして34年を迎えます。同世代の男性の平均年齢が80歳近くなっています。私も静かで穏やかなときを過ごして朽ちる老木になる日が、あと30年時間の貯金があります。少しでも多くの精神障碍者のためにメンタルにゅーすを続けて、後の世代の後輩のために時を越えて、メンタルにゅーすヒエダをホームページという場で知識の共有をしていく事を望みます。

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