メンタルにゅーすVol.199

メンタルにゅーすヒエダ

 

「親亡き後に備えてA」

2016年  Vol.199

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 SAM

Tel(083)-263-2687

FAX(083)-263-2688

E-mail  s-cil@feel.ocn.ne.jp

URL http://blog.livedoor.jp/npo_light/archives/cat_8979.html

 私が毎月読んでいる雑誌があります。それは、「心の元気+」という精神関係の雑誌です。その、2015年1月号を読んでいましたら「親亡き後に備えて、今出来る事リスト」で、読者の54人からのアンケートで以下のような結果が出ました。

1.   家事が出来るようにする(16)

2.   貯金をする(12)

3.   金銭管理をする(10)

4.   相談機関や支援者とつながっておく(9)

5.   結婚やよきパートナーを見つける(8)

6.   友人や近所の人等とつながりをつくる(7)

7.   自分でお金をかせげるようにする(4)

 以上です。私は、この7つのうち6が出来てないです。援護寮ヒエダを退所したときは独身者の入居するアパートで生活をしておりました。その後、市営住宅に入居して1年後に、結婚して妻の入居している公団に引っ越しました。それは、妻から隣近所との付き合いの関係の薄い公団での生活について聞いたからです。今は私も生活をするのが楽です。 

 しかし、こうやって精神当事者のアンケート結果を見てみると、当事者一人ひとりが抱えている問題を反映していると私も思いました。しかし、当事者の皆さんが1から7の事がすべてできないといけないかと言うと、そうでもないのです。1はヘルパーの手続きをすれば掃除・洗濯・整理整頓・調理をしてくれます。2,3のお金の管理は社協で権利擁護事業を利用すれば、定期的にお金を決まった期間ごとに自宅に届けてくれます。仕事をする事で調子を崩す当事者は生活保護を受給すればいいし、地域社会で社会資源や制度、相談機関や支援者とのつながりを持って生活をすればいいわけです。あんまり心配しすぎる事もよくないと思います。地域社会生活をしながら、少しずつ出来る事を増やしていくのも一つのやり方ではないかと思います。まずは、衣食住の住を次に考えてみようと思います。

 私が生活しやすい物件の順位を付けてみました。皆様のお役に立てば幸いです。

1位 UR機構(公団)

2位 一般の不動産

3位 県営住宅

4位 市営住宅

 この順位を決めたポイントは、隣近所の関係が薄い事と施設内の町内掃除がない等で順位を決めました。特に、公団を1位にしたのは、施設の中の維持(掃除・草刈等)に人を雇っている事が決め手になりました。

 また、妻と生活する事で、私に幻聴と妄想があるとき、彼女に今こんな悪口があると気軽に聞けるので私の精神的な部分で生活が楽です。妻には、幻聴と妄想がありませんので、私としてはそれが幻聴か本当の音や声かの確認が出来ます。また、市営住宅では、入居者の井戸端会議があるので、私のように幻聴や妄想があると辛いですね。

 公団では家賃と施設内の共益費のお金がかかりますが、掃除や草刈等に人を雇っていますので、私達夫婦にとっては非常に有難いです。夫婦2人とも仕事をしていますので、公団に住めているのかなと思っています。金銭的には家賃が高いのかなと思いますが、44800(家賃42000円、共益費2800)くらいです。以前住んでいた一般の不動産の独身者のアパートでは家賃は43000円くらいでした。市営住宅では、私の所得で家賃が決まるので13300円くらいでした。しかし、結局は自分に残存する幻聴や妄想で市営住宅での生活は辛かったですね。

 妻と結婚して新たにアパートを借りて引っ越すかどうかいろいろ話し合った結果、引越しはせずに妻の住む公団に二人で生活する事にしました。妻も公団を選んだ理由は、@隣近所の関係が薄いA町内掃除がないB連帯保証人が要らない、の3つの事があったからです。私も彼女の公団選択の理由に同意して、一緒に公団で生活しています。このように、私たちは以上のような理由で公団に住む事にしました。私と妻の場合は、@〜Bの理由で公団に8年住んでいますがそれがそのまま、私達以外の当事者にあてはまるかどうか分かりません。当事者の皆さんアパートの選択はよーく考えて決めてください。

 

【編集後記】

 私も今思い出せば、4年間の長期入院の後、援護寮に29ヶ月入所しました。援護寮で入所中に一般就労して、そこから1年間通勤しました。援護寮職員と相談して自立生活の衣食住の住のアパートを探しました。不動産で物件を探して、5年間独身者用のアパートで生活しました。一人で生活するのは寂しかったです。その後、1年は市営住宅に住んでいました。実際家事は、援護寮で訓練していたので大体は出来ていました。私は、調理に関してはあまり苦労をしなかったように思います。洗濯物は、全自動の洗濯機がやりますので干すだけです。洗濯物をたたむのは、福祉工場(ひえだランドリー)で教えてもらっていたので、苦労なく今でも教えられたとおりにたたんでいます。

 お金の管理は、援護寮で家計簿を付けるように指導されて、2ヶ月くらいで身につけました。結婚してからも、家計簿は私が管理しています。

 何でも始めてやる事は、不安です。そんなときは、支援センターに行って、教えてもらいました。そこで雑談していると、気分が落ち着きます。仲間もいますし、楽しかったです。私は、多くの仲間、支援センターの職員、福祉工場の職員、病院の主治医・看護師・心理士には大変お世話になりました。時々、援護寮に入所したときの事をよく思い出します。いやな思い出はありません。どちらかと言うと楽しかったことが多いです。援護寮での仲間にはピア・サポートをしてもらい今でも感謝しています。皆有難うねー。

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