先日、当事者の母親から電話で相談がありました。当事者の息子さんの結婚についてです。私は、メンタルにゅーすで結婚している事を宣言しています。その母親から結婚は籍を入れてるの?子どもは?・・・・とか尋ねられました。私も、妻との籍を入れる入れないで、かなり話し合いました。彼女は、夫婦別姓でいきたいと言っていました。彼女の父親は、妻が夫婦別姓を宣言して、それを実行したいようなので妻と電話で結婚するまで数ヶ月話し合っていました。彼女の周りの友人の中には、籍は入れているが夫婦別姓を貫く人がいました。妻は、事実婚で夫婦別姓を完全に貫きたいと言っていました。
私は事実婚と同棲の違いが分かりませんがその事を妻に聞いて理解できました。私の年代の人たちなら私と妻の関係は同棲と言うでしょう。それで妻に事実婚と同棲との違いを教えてもらいました。事実婚は結婚式をあげて皆に祝福されている。同棲は二人が結婚式を挙げてなく祝福されていないと教えてくれました。事実婚の考え方は人により違います。ここでは、私たちの事実婚の定義を皆さんにお話しました。一般には、事実婚は2人の間に「私たちは夫婦だ」という認識があり、周りからも「あの人達は夫婦だよね」と思われていなければなりません。
ここで私の妻との関係を公文書に記録するためにどうしたらいいのか考えました。籍を入れるのなら結婚届を出せばそれで済みます。それで、私と妻の関係を公文書に残すにはどうしたらいいのか考えました。結局私は、住民票に未届けの夫として、公文書に結婚の証として残しました。妻とは、結婚届を出さず、住民票に私が妻の未届けの夫として記載して公文書に残しました。
ここで、事実婚をしていた芸能人は、私が知っているのは万田久子さんです。彼女の未届けの夫の名前は知りませんが、芸能界にいる人達は割りと進歩的な生活スタイルを実践しているようです。特に違和感はなかったのでしょう。
次に、子供の事ですが二人とも結婚したとき、49歳、47歳でしたので子どもは無理だと思いました。自分たちは精神の当事者なので子どもに遺伝するとかありましたので子どもは作らない事にしました。妻は、進歩的な女性なので私の庇護の元で一緒に生活するより、自分の生まれたときからの姓名で生きていくことを選んだわけです。彼女は、自分の生活スタイルを自分で決めて生きていくことを選んだのです。私は、事実婚の生活スタイルを彼女が選んだので彼女には責任ある行動をとってくれることと思っています。私は彼女の繋がりで彼女の実家と繋がりが持てました。出来るだけのことをして彼女の実家との関係を長く持ち続けたいですね。妻は聡明で頭のいい人です。私たちは結婚して9年目になります。長く生きて二人で共に生活していきたいですね。私は妻に出会えて、結婚できて幸せです。この関係を長く続けて、順境なときも逆境なときも二人で協力して生活をしていければと思います。
最近、嬉しい事がありました。彼女のお父さんが、そろそろSAMの名前になるのもいいのではと妻に話していたことを聞いて嬉しかったです。私は、妻と結婚して幸せな日々を送れています。それから、結婚してから、インスタントな食べ物を8年間食べていません。妻に感謝です。家庭生活の中では、食事は妻が作ります。しかし調子が悪いときは私が作ります。洗濯は妻がします。乾いた服は私が畳みます。これらも妻が調子が悪いときは私がやります。私が調子悪いときは妻がやります。
私の今が在るのは妻のお陰です。彼女は優しくて、思いやりがあります。長く生きて、仲良く、協力して苦難を乗り越えていきたいと思います。
精神の当事者の皆さん、結婚を考えて下さい。結婚生活っていいですよ。まずは、パートナーと一緒に住んで未届けの妻・未届けの夫から始めて、何とか二人で生活が出来てくれば順境ですね。お互いがお互いを大事にしてください。出来れば家族・親族の祝福をお願いします。私の妻とは職場結婚です。私は、妻が入社したときから、彼女を見初めていました。数年彼女の人となりを観察しながら、万を喫してプロポーズしました。私にとって彼女は母親であり・妹であり・恋人であり・妻です。彼女と仲良く長く生きていければと思います。
【編集後記】
私が精神分裂病(=統合失調症)を発病して、病名を主治医から告知されたときのことを思い出します。ああ。私は、「仕事が出来ない・結婚できない・一生病院暮らしだ」と頭の中に思い浮かびました。発病して34年が経過しましたが何とか仕事をして、結婚して、地域社会で生活しています。妻は頭が良く・優しく・思いやりがあります。こんな頭のいい人が何故統合失調症に罹患したのか?
私は統合失調症に罹患して偶然、妻に出会いました。「長く生きていると良い事があるから自殺なんかしないでね。」と母に言われた事があります。この言葉は、母のことを思い出すたびにフラッシュバックします。母に言われたとおりに長く生きていると良いことがあります。おかんは、学はないけど生活に密着したいい言葉を言います。私は長く生きて行こうと思います。少なくとも母の亡くなった歳77歳以上に生きていきます。私は母の長男です。初めての母の子どもでしたので母は、私を大事に育ててくれました。何年か前に墓を建立しましたので、母も亡くなったらここに入れると言っていました。母は我慢強い人で泣き言を私は聞いたことがありません。母は、計らずも私と弟が精神病を発病しました。その事を自分で自分を責めていた節がありました。私は、統合失調症に計らずも罹患してしまいました。今では、いい体験です。この経験を生かして精神当事者の相談支援に生かしていければと思います。
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