先日、「人間は考える葦である」をネットの中で調べていたら見つかったきらりと光る文章です。「人間は考える葦である」について考察した文章です。
「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。「人間はひとくきの葦にすぎず、自然の中で最も弱いものである。しかし、考える葦である。」がおおよその訳である。「茎のように人間はひ弱なものであるが、思考を行う点で他の動物とは異なっている。」という事を示す言葉と言われている。普通、『パンセー
Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚(こうかん)な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言(しんげん)集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
それはつまり、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってしまいます。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
少しの風が吹くとしなり、風に前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮(ふる)う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。【文:ネットの中のある無名のすごい人】
【編集後記】
「人間は考える葦である」何の気なしにネットで調べていたら、その意味などパスカルの言葉と知りました。人間を植物の葦に見立てた、弱い存在だとたとえたものです。しかし、葦は群生する植物で強い風の中で柳の木のようにしなりながら生き続けています。
葦はパスカル自身を指していたのかもしれません。人間はさまざまなことに喜怒哀楽し、思い悩み過去から未来へ脈々と世代を超えて生き続けています。自然の中で弱い弱い存在の人間は、2足歩行して手が自由に使えるようになり、道具・火・言葉を操る存在に進化してきました。
人間は思考することができることで様々なことを発見・発明してきました。言葉を操ることにより、人間は後世に英知を伝え続けています。地球だけで伝え続けた人類は、宇宙進出して、地球外生物にも火・道具・言葉を操る人類のことを伝えるようになりました。地球型の惑星が銀河系の中には少なくとも330億個の生命居住可能な惑星が存在している。これは最低ラインの数字である。銀河の辺縁にある太陽系の地球に存在する自分、道具・火・言葉を操る自分、何の縁か精神当事者の自分、メンタルにゅーすと言うネットのホームページを管理し文章を編集する自分、生き続ける僅かの星の寿命の瞬きにもならない自分の存在をいかに残すか考えている。「我川辺の葦に過ぎず生き続ける存在なりしや・・・・・・・」
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