メンタルにゅーすヒエダ

 

「新天地下関で16

人生のやり直し」

2017315日  Vol.225

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 SAM

Tel(083)-263-2687

FAX(083)-263-2688

E-mail  s-cil@feel.ocn.ne.jp

URL     http://blog.livedoor.jp/npo_light/archives/cat_8979.html

 

 私は、3度目の入院で状態が安定してきたときに、いろんなことを考えました。

 

@一つは、二度と調子を崩さないで精神科病院に入院しないぞと固く心に誓いました。

 

A一つは、一般就労をして自立生活をしよう。

 

B一つは、自分の病気をオープンにして働こう。

 

C一つは、人間関係を再構築しよう。

 

D一つは、福祉関係の仕事をしよう。

 

E一つは、どんな時でも、遣り始めたことは続けよう。(継続)

 

F一つは、病気と障碍の対処法を生活訓練施設援護寮ヒエダで身に付ける。

 

G一つは、生活技術を援護寮ヒエダで身に付ける。(掃除、洗濯、調理、整理整頓等)

 

H一つは、服薬管理・金銭管理を身に付ける。

 

I一つは、何でも話せる友人を作り、長い付き合いをする。

 

J一つは、統合失調症の勉強を長く続ける。

 

K一つは、その都度その都度、よいと思うことは続ける。

 :

 :

 :

以上12項目これから増えるかもしれませんが@とHがうまくいきませんでした。

 

4回目の入院をしてしまいました。また、入院する前に服薬を守りませんでした。

 

 私は、入院しないでいた期間は、16年間です。浮き沈みはありましたが、再発しないで地域社会で生活していました。16年間は、再発しないでいた最長記録です。記録と言えば、私が健全なとき約5年間働いていました。統合失調症を発病して状態が落ち着いていたとき、仕事はせいぜい27日くらいしか続きませんでした。仕事中、幻聴と妄想がひどく働くことが出来なくなり、仕事に行かなくなりました。

 下関の援護寮ヒエダからひえだランドリーの福祉工場に勤め始めたときは、仲間に慣れるまで幻聴と妄想がしょっちゅうありました。これから自分はどうなるのだろうと思い悩んでいました。少しずつ、当事者仲間との対人関係もとることができるようになり、少しずつ仕事を覚えていきました。人とは、誠実に付き合いました。ひえだランドリーは精神障碍者の福祉工場でしたので、職員たちも私たち当事者の接し方を理解してくれていました。当事者同士の同僚とも仲良くつき合い、仕事は楽しかったです。仕事が楽しいと言うと語弊があるかと思いますが、本当に仕事が楽しかったですね。このひえだランドリーで当事者仲間と同じ釜の飯を食べながら、仕事をしました。いまでもひえだランドリーには、時々仲間に会いに行きます。時々と言いましても、メンタルにゅーすを配付しに月に2回行きます。対人関係は、福祉工場と援護寮ヒエダで最低限自分の考えを伝えることが出来るように練習しました。しかし、咄嗟の話などは、臨機応変に対応することが出来ません。

 私は、援護寮で2年目から、ボランティアで週に1回CIL下関で身体障碍者と知的障碍者の人たちの勉強をしながら仕事を手伝いに行っていました。CIL下関では、自己決定・自己実現・自己責任を持った自立の生き方に感心しました。障碍を持っていても自己決定・自己実現・自己責任は障碍を持った当事者にあります。出来ないことは、介助者に頼みます。毎日、調子が変わりますので、昨日は出来ていたことが今日は自分には出来ないことがあります。いろいろなことを頼むことが我儘に見えるかもしれませんが出来ないことがあります。統合失調症の人は、責任感が強くまじめな人が多いと聞きます。ですから、我儘に見えるかもしれませんが本当に出来ないのです。

 健全者が精神障碍者は、「5体満足で何にも出来ないのは甘えている。」とか言う人、「精神障碍者は最終的に介助者を使わないで自分で何でもできるようになることが目的なのだ」とか言う人もいますが、皆さんはどのように考えますか?

 新天地の下関で人生を一からやり直して生きてきました。喜ぶこと怒ること、哀しいこと楽しいこと、人間にはさまざまな感情があります。私は、さまざまな感情を騙し騙し抑えてきました。人生は、自己選択の連続です。人生は自己選択だけではないかもしれません。なんとなく選択することがあります。揺れ動く未来に対して、私たちは何となく最適化された人生になるかもしれません。少なくとも私は、今から未来にかけていい加減に私の貴重な時間を無駄に使いたくないですがね。

【編集後期】

 私は、今のところ人生の方向はいい感じに向かっています。方向が間違っていれば方向修正しながら、立ち止まって考えます。自分の未来に憂えても仕方ないことです。心を常に自然体に保ち、憂えることがないように生きていきましょう。前途多難な人生でも私は自分の人生を生きていかないといけません。分からないことは相談し、精神的に落ち込んだときはまた休養して、サポートを受けてまた自分の人生の方向を修正しています。

 何も分からなければ、立ち止まって推敲してください。私は、誰も経験したことのない私だけの人生(経験)を遂行しています。哀しいときの後に楽しいことが、怒ったときの後には喜ぶことがくりくり回って巡ってきます。物事は近くのことから始めて順々に遠く未来のことを考えていきましょう。人生、難しく考えるより案外簡単なものではないかと思います。私自身58年間生きてきましたが、事象は後で考えると簡単なことでした。何せ私には、職場の上司、同僚、病院・施設の職員らに相談できますし、私には連れ合いもいます。彼らに、相談・サポートを受けながら、生きてゆけばいいのですから・・・・・

トップページに戻る