メンタルにゅーすヒエダ

 

入院

200712月  Vol.23

メンタルひえだ発行責任者 SAM

CIL(自立生活センター)下関

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 しばらくの間、調子を崩して精神科病院に入院していました。前回、メンタルにゅーすヒエダ(MNHVol.22「昂揚」の続きとして、皆さんには是非ともお伝えしなくてはならないとMNHの編集にペンを執っております。皆様、いかがお過ごしでしょうか?

  2007年1月より、精神科セカンドオピニオンで減薬していきましたが、服薬が不規則になり、ついには、入院となってしまいました。自分自身を人体実験のごとくしてしまい、その間のてんまつをお伝えします。

事象:2007(H19)1A氏より精神科セカンドオピニオンを紹介される。ネットのオピニオンよりB県ドクターC氏より電話連絡あり、オピニオンの目的をたずねられる。私は、服薬していて喜怒哀楽がない、身体が重い、残存した症状(幻聴・妄想・うつ状態)が取れないかと話した。それには、副作用止めの抗パーキンソン薬、胃薬などの減薬が必要とアドバイス受ける。最初は、これらの薬(統合失調症のメインの薬以外の周辺の薬)より減薬を始める。結局、統合失調症の薬(非定型抗精神病薬)を減薬していかないといけないといわれ、いじりはじめる。安定期6mgから4mgへ2ヶ月半で急速に減薬していく。

経過:減薬に際して、統合失調症周辺の薬より減薬したが限界があり、メインの非定型抗精神病薬(リスパダール)を急速に減薬。減薬に際して、「昂揚(こうよう:高揚)」と「不眠」の症状があったし、あらかじめ調べて分かっていたが、進行した。私は、感情の高低のコントロールができなくなり、自ら服薬量を安定期の量に戻すことを主治医に申し述べた。薬が効き始める2週間から1ヶ月の間に爆発的な精神運動性興奮をきたし、診察を受けたその日に入院となった。

原因:減薬。統合失調症とは柳の木のように向かい合うスタイルであったが闘ってしまった。そして負け、入院となった。

対処:減薬に際し、出現する症状(昂揚、不眠など)を調べ上げ、自分の生活のかかわりを整理した。上司にも報告した。また、仕事を休暇、短縮就労、在宅勤務にした。最後には、私の寛解(かんかい)期を知っている薬剤師、施設職員に相談し、定期薬を安定期の量に戻した。

総括:私にとって減薬は自殺行為であり、精神病には向かい合う態度であること。自分の病気と障害に対する生き方が「慢心」していたことが「初心」に戻れた。焦ったり・頑張ったり・無理しないで生活すること。服薬の用法・用量の遵守の大切さは身にしみて分かった。

【編集後記】

  今回、7年ぶりに入院して分かったことがあります。病院職員の、患者に対する接し方(接遇)が明らかに変わっていました。人権を配慮して接しています。私が二十数年前に入院したときは、看護師の指示に従わない患者には「電気かけるよ」「隔離(保護室)入れるよ」とか、状態の悪い患者には看護師数人で強制的に保護室に入れていました。看護師の人数が病棟50人の患者数に対して数人だったのが10人以上になっていました。大部屋、一部屋に昔は68くらいのベッドが、現在では4ベッドになっています。

  現在では、病院の職員の接遇は様変わりして、穏やかで物腰のやわらかい態度になりましたし、保護室入室も患者を説得して強制的に入れることは全くありません。

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