メンタルにゅーすヒエダ

 

「幸い」

20171115日  Vol.240

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 SAM

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私は、統合失調症を発病して3ヶ月入院して退院した後6年間1日も休まず、毎週日曜日に礼拝に行っていました。それと同時に、聖書を少しずつ読み始めて読破しました。何故、礼拝に出席を始めたかというと静かな厳かな雰囲気が好きで、礼拝に通っていました。

宗教を信心したのは、このときが初めてで最後のことでした。何故キリスト教を信心したかというと、わずかな献金で良いお話を聞くことができたのと信心すれば統合失調症が治ると思ったからです。6年間礼拝に通って、自分の病気が治らなかったので、結局礼拝を止めてしまいましたが、同時期に聖書を読んで今でも私の記憶の片隅に残っています。それは、マタイによる福音書51節からはじまる山上の垂訓という説教です。この山上の垂訓の「幸い」というのを以下に表します。

 幸い

 「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。

 

  悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。

  

柔和な人たちは、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。

  

義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。

  

憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。

  

心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。

 

  平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。

 

  義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。

 

  わたしたちのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことで

 

          あらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。

 

  喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。

 

あなた方より前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」

 

 私は、結局礼拝には6年間で行くのを止めてしまいました。私は、洗礼を受けずに礼拝を続けたのですが私の統合失調症が治らなかったので、礼拝を止めてしまいました。今思えば、それからも神様は、いろんな試練に私が押し潰されそうになると私のために使者を差し向けてくれました。神様は、私を絶えず見ていてくださいました。キリスト教の信心をやめたあとにも神様は私に使者を差し向け私を励ましてくださいました。

 結局神様のお計らいで、私は精神の病気と障碍を受容して、対処できるまでになりました。今でも、時折神様は私に使者を差し向けてくださいます。神様は、私のそばにいて私を支えてくださいます。それだから、神様の御心をこの山上の垂訓で思い出し口ずさみます。それから私は、私が受けてきた恩恵を社会に還元するために私のできることでニュースレターを編集しています。精神の当事者の仲間や、私の後に精神病を発病した人たちのためにメンタルにゅーすを編集し続けています。私は苦しいとき辛いとき寂しいとき、この山上の垂訓を思い出し口ずさみます。そして神様を、私のそばでまた私の心の中で神様を感じます。神様の存在を身近に感じます。私は神様のお計らいで、今日58歳になりましたが、何とか病気と障碍を受容し対処して生きています。自暴自棄になった過去の20年間を思い出します。そんなときも私を神様は見放さず、私に使者を差し向けてくださいます。メンタルにゅーすの最新刊ができると一番初めに見せるはまゆうの土井氏は、もうかれこれ15年ニュースレターを添削してくれます。私の周りで私を支えてくれる人たちはたくさんいます。有難いことです。私は、宗教を信心しませんが、神様は私と共に近くにいます。天上から私を遥かかなたから見守ってくださいます。神様と私を見守って支えて下さる方たちに感謝・・・・・・

【編集後記】

 地に生きる人々を隅々まで神様は見守ってくださいます。私は、キリスト教の押し売りをしているのではありません。私は病気と共に生きてきた道を振り返りますと確かに私を見守り励ます人がいました。人生の選択を迫られたときに、冷静に今振り返れば私のためにだれか、それというか、私を見守る人が絶えずいました。私が自暴自棄になったときにも私を支えた母がいました。今は、私を支える妻に恵まれました。人生の選択肢は毎日あります、ですから自己選択・自己決定・自己実現・自己責任を持って、自らの人生に責任感を持ち臨みましょう。いい加減な選択をしても神様は絶えずよき道へ軌道修正を気づかせてくださいます。それは神様かも、先祖かも、精霊かもしれません。私たち人間を良き事に気づくように、悪しき道には近づかぬよう絶えずシグナルを送ってくださいます。

皆様、心の中で耳を澄ましてください。あなたのそばに神様、それかも精霊かもしれません。私たちのターニングポイントに臨んだとときに耳を澄まして声を求めましょう・・・・・・・・・神様は、そばにいます。私たちと共に・・・・・・・・・・・・・・・・

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