メンタルにゅーすヒエダ 「人・物事の距離感」 |
2018年3月15日 Vol.248 CIL(自立生活センター)下関発行 ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 SAM TEL(083)-263-2687 FAX(083)-263-2688 E-mail
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健常な時、私は何の憂いもなく人間関係・物事の距離感がとれて生活をしていました。距離感という言葉の意味が皆さんには分からないかもしれませんので説明します。私は例えば仕事で考察してみますとすごく熱中します。休憩も取らず仕事を何時間もします。今は上司が気づいて、「SAM時々休憩を取ってゆっくり仕事をやりなさい。」と声をかけられることがあります。私はいったん仕事を始めると、このように休憩も取らず仕事をしてしまいます。休憩を取りながら、ゆっくりと確実に仕事をすればいいのですけれど、私には仕事との距離感が取れません。上司や同僚の声掛けで仕事の取り組みの距離感を調整しているのが現状です。このように、SAMは何か始めると、一心不乱に物事に取り組みます。すごく集中していますので、外界の刺激に対して過敏になって、幻聴や妄想が活発になる事が多いですね。休憩を取ったり、ゆっくりと確実に仕事や物事を中庸に対して取り組めればいいなと思います。
仕事や物事の取り組みは、統合失調症に罹患してから中庸に対する事ができなくなりました。自分の心の中で、仕事や物事の効率をどうしても考えてしまいます。効率や物事の処理速度を考えてしまうと健常者イズムに囚われてしまいます。しかし、私はそのように会社で効率や処理速度で評価されるとその網の目からふるい落とされてしまいます。結局、距離感がとれずに取り組みにミスやムラが発生したり、自分自身の調子が悪くなります。
現在は、物事に距離感が取れないのを自分自身が自覚しておりますので、適時に休憩や気分転換を図っています。上司や同僚はSAMが余りに熱中して仕事に取り組んでいたら「SAM休憩しな」と声掛けがありますので、現実のSAMに冷静に戻り、テンションバックしています。このように、現在では、自分自身で気づけば一呼吸おくことや周囲の上司や同僚のおかげで何とか仕事や物事を処理しています。
もう一つ、対人関係でも距離感をとるのが上手くできません。幻聴と妄想がありますので、どこまで自分のことを話していいのか今でも分かりません。人と話して、話したその人そっくりの声で幻聴がありますので、心を開いて話をする事ができません。それで、私は、必要最小限の話ししかしません。周りは私のことをぶっきら棒で、無愛想な人だと思っているかもしれません。それでも、職場で長く勤務している人とはその人となりが分かりますので話をします。もともと私は無口なのと話をしても上手く話が出来ませんのでそのせいで無口でぶっきら棒に見えるのかもしれません。このように、SAMは、もともと話を上手くする社交的な人間ではありません。それでも真面目で律儀なことと障碍のせいで人や物事と適当な距離感がもてないのかもしれません。
健常な頃から、友人も少なく余り社交的ではありませんでした。統合失調症に罹患してから、幻聴や妄想があり悪口・被害妄想がありますので、自分自身なかなか周囲の人と心を開いてコミュニケーションを上手く取れません。もともと無口なこともあります。統合失調症の幻聴と妄想のこともあり、周囲と言葉を交わす事が少ないですね。
幻聴や妄想が、現在では昼間覚醒時、間欠的にその症状があります。最近顕著に現れるのは、幻聴のボリュームが大きくなって調子が悪くなるのが、辛いです。休憩や気分転換、頓服などで何とか対処しています。
この間、主治医と診察のときに「人生がやり直せるならどのように過ごしたいですか?」と尋ねられました。私は、「どの人生でも、統合失調症を発症していると思うので、今の人生で満足している。」と答えました。「ただ、今の人生で、統合失調症と上手く付き合えるように向き合い方に対処・工夫の努力を学習しながら参考にしてよりよい人生にしていきたい。」とも答えました。
今では、SAMが統合失調症を発病したのは自分でも母でも父でも誰のせいでもありません。本当にそう思っています。今の、職場の障碍者団体で障碍者の自立生活支援をしております。自分の経験や知識や病気や障碍を持った経験が仲間の障碍者のお役に立てば、啓発になればと仕事をやっております。メンタルにゅーすの編集を継続しています。私の仕事や活動が皆様のお役に立てばと思っております。
【編集後記】
この間、妻の書棚からの本を見ていたら、ある本の帯封に以下のような事が書いてありました。SAMも感心しましたのでここに掲載したいと思います。
「これが私の人生で、これが私の仕事。
ほんとは他のこともしてみたかったけれど、
これがこの世にたった一人の私。
だからこの道をゆっくり歩いていく。
私が得た光のかけらはあまり目立たないけれども、
後から来て同じ道を歩いている人がもし気づいて拾ったら
水や食料とおなじぐらいに役に立つかもしれない。
そんなことをいつも願っている。」
この文章は、「イヤシノウタ」新潮社 吉本ばなな(著)の本の中の一文です。帯封の一言が私の心の目に留まり、私も吉本ばななさんのように謙虚で正直に責任感を持って、メンタルにゅーすヒエダや冊子の編集を続けていけたらなと思います。