メンタルにゅーすヒエダ 「SAMの生い立ち」 |
2018年7月17日 Vol.256 CIL(自立生活センター)下関発行 ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 SAM TEL(083)-263-2687 FAX(083)-263-2688 E-mail
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SAMは何時から父に虐待を受けていたか定かではありませんが、物心ついた3歳の頃理由もなく虐待を受けていました。この頃、父は仕事もせず毎日お酒を飲んでいました。今でも覚えているのは、4歳の時に父にこの瓶に焼酎を2合買ってくるように言われていました。「名前を言ってツケでと言え」と言われていました。小さな子供が焼酎を買いに来て酒屋の主人もSAMがお酒を買って帰らないと虐待を受けることは容易に推測できることでした。それでも小さな幼児のSAMは父の言うことを聞いて度々焼酎を買いに行かされました。私には、弟と妹がいますが2人はこのような買い物を父に言われたことはなかったです。
家族の中でDVを受けていたのは母とSAMの2人です。父が夜9時を過ぎても帰宅していなければ酒を飲んで暴力をふるうので、母とSAMは自宅から退避して夜中眠らず外にいました。これが春や夏なら外にいても我慢できますが、秋や冬になると寒くて震えて外にいました。このようなDVが日常茶飯事のことなので、この生活が普通の生活だと思っていました。
SAMが小学校2年くらいになって、父がなぜ働かないでいるのかやっと理解できました。父は難病のリウマチに罹患していました。関節が腫れて炎症を起こしたり、骨が変形したりして酷い痛みが襲っていたようでした。それで仕事ができず、毎日酒に溺れていたようです。小学校の頃からSAMは父に包丁を持って追いかけられ、いつかSAMは父に殺されると思っていました。
父が働けないので、母が内職したりしていましたがSAM、弟、妹がまだ小さかったので母は外に働きに行くことができませんでした。それでSAMが小さなころから家族は生活保護を受けていました。私たち家族は最低限の生活をしていました。生活保護のお金を受給する日は父が受け取りに行っていました。毎回のことですが、父は生活保護のお金を殆どその日に酒屋を何軒もはしごして使い込んでいました。母は残ったお金でコメと梅干と塩を買っていました。そんな感じで小学校の時分の食事はおにぎりか梅干の茶漬けが殆どでした。SAMが10歳ぐらいのときから、母は働き始めました。私の母は身長が139センチで小さな人でしたが、いつも父からDVを受けていても仕事を休まず働き続けていました。父が母に追い打ちをかけたのは、母の職場にまで酒を飲みに行くためのお金を無心に来ていたことです。これは今でも父を思い出すときにフラシュバックしますが酷い父親でした。
時々、父がどこに行ったのか半年から1年くらい家から突然いなくなることがありました。そんな時家庭の中が穏やかでほっとする期間がありました。小学校の頃は、この期間が気の落ち着く日々でした。
今思い出すと、父はこの頃すでにアルコール依存で精神科病院に入退院していたのだと思います。父はお酒を飲まないときは猫のようでおとなしい人でした。ひとたび酒を飲むと大虎になり、母やSAMに暴力をふるいます。私も父に何度か包丁で切りつけられケガをしたことがありますし、その傷は私の身体に残っています。
私の小学生・中学生・高校生の時分は不遇でした。今でも私の不遇な時代を知っている人は私に次のようなことを言います。「お前よく不良にならず、やくざにもならずよく頑張ったな」と言われます。喧嘩したり、窃盗したりすることなく真面目に生きてきたと私に会うたびにそう友人が声をかけてくれます。友人は私が末はやくざか悪代官になるだろうと思っていたようです。このように不遇な時代を高校生まで過ごしていました。
SAMは、父と共に生活するのが嫌で高校を卒業したら都会に就職しようと考えていました。ところがSAMはH製作所に就職して会社の学校の選抜試験に合格して学校に行ったときに酷いうつ状態になり、何とか卒業しましたが、元の職場に戻り仕事をしましたがまた酷いうつ状態になり退職しました。山口に帰り再就職しましたが、そこで統合失調症を発病しました。
神様はいるのかと恨みました。高校を卒業するまで不遇で、就職した後に統合失調症(精神分裂病)に罹患してしまいました。発病後20年間自暴自棄な生活を繰り返してきました。私の転機になったのは3度目の退院後、下関の援護寮ヒエダに入所したことです。ここで社会復帰を目指し、生活技術を身につけ、病気と障碍に対処する術を身につけたことが良かったことです。やっと自分の人生に自信を持てるようになりました。それからCIL下関NPO法人らいとに就職して現在に至ります。
【編集後記】
SAMは今現在思います。どんな困難な・不遇な目にあっても希望を捨てず、真面目に誠実に生きることです。私は自分のありさまに神様はいるのかと、神様を恨みました。私は統合失調症発病後、紆余曲折はありましたが、現在は結婚もし、妻と穏やかな毎日を過ごしております。平穏な日々を送っています。下関に移住して17年自分の人生を立て直しています。16年CIL下関NPO法人らいとで勤務しています。上司・同僚、主治医・看護師、支援センター職員に良くしていただいています。そして現在は、傍らには妻がSAMを支えてくれています。なんと幸せで有難いことです。自分のできることをパズルに積み上げています。少しずつ成功感を味わって、様々なことを達成しています。今では、SAMは病気と障碍に対処して生活しています。因果応報という言葉があります。良いことをすれば良いことが、悪いことをすれば悪いことが巡り巡って自分に起こってくるということだと思います。科学万能の時代にそんなことがと思います。人間自分の心の中に良心があります。それが自分自身を責めさいなむと、病的になり精神病になるのでしょう。私は自分の命のともし火が消えるまで真面目に誠実に生きていきたいと思っています。