メンタルにゅーすヒエダ

 

「疑問:

何故私が精神病に

罹患したのか?」

2019823日  Vol.279

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 SAM

Tel(083)-263-2687

FAX(083)-263-2688

E-mail  s-cil@feel.ocn.ne.jp

URL    http://blog.livedoor.jp/npo_light/archives/cat_8979.html

多くの精神当事者が自分の病気と障碍を受容するのに通過しなければいけないゲートに「何故自分が精神病に罹患したのか?」があります。入院加療が終わり退院してからの周囲の人たちの対応の冷ややかさ、物とも動物ともいえぬ人間ともいえぬあらぬ差別、偏見、汚名それらがあるから何故自分だけが精神病に罹患したのか考え続け、自分や親を責める。ここで結論を言いたい、こういった挙動は精神障害者には多い事だ。しかし結局は、結論は出ない。しかし、当事者には、周囲の対応の冷ややかさには愕然とします。人間としてみてくれる事はないです。子供・犬や猫のような対応ならまだ良い方、そこにいても存在を認めない空気のような対応(無視、黙殺)、何ともやるせない死にたい気分になります。私には周囲の人達は20年間このような対応をされてきました。自分に何が起きたのか冷静に考えることができなかったです。

このような偏見・差別・汚名が何処からか生まれてくるのは何故だろうか?まずは周囲が精神病について何も知らないけれど、TVのドラマ、映画、小説で精神障碍者を否定的に扱ったもので精神障碍者観を自分自身で育てたのか、差別と偏見のある話を経験もしないのに情報を仕入れたとしかSAMには思えません。誤った情報で、全ての精神障碍者差別をする事は人間には多いことです。うわさ、デマというのは静かにひそかに広まり当事者を責め苛みます。

私は、3度目の入退院から偶然生まれ故郷から下関の稗田病院敷地内の援護寮ヒエダに社会復帰の訓練のためにやってきました。SAMは、自分のことを知らない土地下関市で人生のやり直しを始めました。まだ、途中経過ですが依然として差別・偏見・汚名があります。なんと人間というものはさもしいものなのでしょうか。

私はここで決心しました。人が何と言おうと「今自分に出来る事をやろう、続けよう」「私を否定的に見る人にはそう思われて結構」と「自分は自分の信じた道を進もう」と考えてここまできました。私は、人生で最適な道を自分の頭で考えて決定して実行してきました。今のところ上手くいっています。SAMを精神障碍者でもちゃんと認めてくれて、仕事や運動、業績を評価してリスペクトしてくれる人もいます。私の選んだ道はある一定の方向は正しく向いているようです。

本来、人の評価はその人となり、信条、行い、業績など精緻に考察されるべきものです。それが、精神病に罹患した当事者は、それらがまるでなかったようにゼロ評価となってしまいます。障碍を持って社会の中で賢明に生きている当事者にもその冷ややかなゼロ評価は変わりません。ゼロ評価ならまだ良い方で「無」となり存在すら認められない人は多くいます。社会から全くの無視で精神科病院に長期入院している人は少なくはないです。

 本来、人間とは存在する事で何らかの使命を神様から頂いて担っています。私ならば、こうやってニュースレターを編集して、読者の当事者、家族・親族、支援者の啓発になればと16年メンタルにゅーすを編集しています。本来私にはニュースレターの編集能力は全くありませんでした。必死でメンタルにゅーすを編集して長く続けて少しずつ認知されてきました。どこかの段階で、私がニュースレターの編集を止めてしまえばそこまでのことと思います。人間社会は均衡化されています。どこかで誰かが生まれれば、どこかで誰かが死ぬ。どこかで誰かが何かやれば、どこかで誰かがやっていたことをやめてしまう。戦争が始まれば、平和を望む声が生まれる。インターネットの普及で世界中の情報がそこにいなくても手に入る。PC一台あれば世界情勢は分かります。ものすごい情報化社会ですね。

 私は、思います。「人間始めた事は続けようよ。今やらなければいけないことは今やろうよ。」と・・・・・・・。続ける事でそれが力となりうねりとなります。本来、人間にはすばらしい力が潜在します。「今やらなければいけないことを今やりましょう。皆さん・・・・・・・」

@   私は自分に出来る事は努力して今やります。

A   自分にも他者にも誠実に対応します。

B   嘘偽りは言いません。

これらのお約束をします。

 私は精神病に罹患して、自分のやるべき使命を担って生きています。神様は、まだ私を見限っていないようです・・・・・・・・・

 

【編集後記】

 多くの精神障碍者がみな同じように「なぜ自分は精神病に罹患したのか」と自分や親を責めます。特に母親は、自分の責任だと強く思い続けています。しかし、母を責めた経験のあるSAMですが、母の何とも言えぬもの悲しい表情を見ると言わなきゃよかったと後悔しました。今思うに、私から言われる前から、息子のSAMが精神病を罹患したのは自分がそう生んだせいだと考えて母自身自分を責めていたことの節が窺えていました。私は、母になんてひどいことを言ったのかと後悔しました。私の口から言葉を発した瞬間から、母は陰に日向にそのことを考え続けていたのだろうと思います。後悔先に立たず。時すでに遅すぎたと思います。私は彼女に、人間として言ってはいけないひどいことを言ってしまったと思います。母は、何とももの悲しい雰囲気で、私に反論すらしませんでした。すごくショックだったのだと、今私が思えば推察されます。私はこのことを今でも後悔します。言わなきゃよかったと・・・・・・・・・・・

トップページに戻る