メンタルにゅーすヒエダ

 

「薬物依存症者本人への

      家族の接し方」

2020年月日  Vol.298

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 SAM

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家族への12の助言 (斉藤 学)


−依存症者をかかえる家族が、依存症者本人に接する場合の原則−

1 本人に関する一切の思い込みを捨て、白紙に還る

家族は本人のことを一番よく知っていると思い込み、得てして第三者からの助言が耳に入らなくなってしまう。まずここから改めないと相談そのものが無益になる。家族であるから本人の発見している症状の本質が見えなくなってしまっている。自分の背中のホクロが自分には見えないようなものです。本人の症状、行動が家族内コミュニケーションの歪みから生じているとすれば、その歪みに一緒に巻き込まれている家族にその本質が分かることの方が珍しい。

2 本人を子ども扱いしない

本人の立場に伴う役割や責任を前提として考える。役割を剥奪(はくだつ)して無責任な立場におくことはしないで、良かれと思ってする。先取り心配と手配が子ども扱いになっていませんか…

3 本人への過度の注意集中を避け、自分自身に注目を向け変える

家族には本人の薬物を止めさせる力はありません。本人は薬物のことで頭がいっぱいです。家族は本人が薬物をやるかやらないかで頭がいっぱいですが、本人の行動は本人自身の責任において成されるのですから、本人が行動を修正しようとするのは、彼ら自身がその気になるときだけだという当たり前の事実に早く気付くこと。家族は、本人から自分に移して、自分の行動のうち修正すべき部分は何処かを考える。自分の行動は自分には評価できませんから、自分を映し出す鏡の役割を持つ他人と出会う必要があります。

4 孤立を避け、家族同士で集まる

薬物依存者の家族同士が集まる(NA家族会など)グループに出て友達を作る。そのほか、勉強会にでる。第一ステップ〜家族は無力である。

5 本人に対する脅し、すかしを止める

本人に対して脅したり、すかしたりしても無駄なこと。事態を悪化させるだけです。家族であろうとなかろうと、他人の行動を自分の思い通りにコントロールすることは出来ません。対策に必要なのは口ではなく、家族自身の正しい行動です。

6 本人に対する監視的、干渉的ふるまいを止める

家族は何とか薬物依存者の不始末を未然に防ごうと、薬物を捨てたり、隠したり、お金を持たせないようにしたりしますが、その努力は無駄というより有害です。こんな素朴な対応には反応しませんから、家族は行動を起こすたびに失敗し、絶望感を深め、本人への過度な注意集中を推し進めることによって、逆行する。

7 本人の不始末の尻ぬぐいを避ける

警察からの保釈、職場・学校への欠勤の言い訳、借金の支払いを止める。家庭内の問題に関しては、保護的な介助を一切しない。家庭外の問題は極力本人に責任を取らせる形で処理する。
  家族は問題を家庭内で止めようとして、家庭外で起こした本人の不始末のもみ消しに走りがちですが、問題が進行すると本人はこれを利用して家族を振り回します。

 

 

8 本人の行動に一喜一憂しない

本人が薬物をやってもやらなくても家族は日常生活をきちんとする。本人の言い訳に振り回されない。本人は病気のために強い薬物欲求にかられ、いろいろな理由を見つけ出す。その理由を取り除くのは無駄な努力である。

9 言ったことは実行し、出来ないことは言わない

言葉が一人歩きして、表現がエスカレートし、言葉の持つ本来の意味が消えてしまっています。薬物依存者の「もう絶対やらない」と言う嘘は、「今度やったら絶対に家に入れない」という家族の脅し、嘘に対応している。

10 適切な機会をとらえて、本人に問題点を直視させる

事実を伝える。干渉しないことを伝える。追放する期間をおいて。

11 本人の暴力に屈しない

身の危険を感じたら逃避する。手に負えないようならば、警察に通報して援助を求める。
  嗜癖の底に怒りが流れているのです。クスリをやっている時は、この怒りは向けやすい対象に向かってふき出します。適切ないい仮の表現を受け入れることはむしろ必要なことですが、暴力の形を取った、退行した不適切な怒りはささいなものであれ、徹底して排除する姿勢を持たねばなりません。初期の暴力に対してあいまいな態度を取っていると、表現は次第にエスカレートしていきます。暴力という脅しで周囲をコントロールすることになれた嗜癖者は、この二次的な歪みの矯正に手間取って、回復が遅れるものです。本人の暴力に対しては、家庭の内部だけで処理しようとせず、近隣の協力を求め、場合によっては110番の利用もためらうべきではありません。極端にまでエスカレートした形の暴力が、嫉妬妄想をもった薬物依存者に見られることがありますが、この場合には、もはや小手先の対策では功を成さなくなっていますので、専門家の指導のもとに別居をも含む解決策を計画すべきでしょう。

 

12 本人を病院任せにしない

身体の病気は医師に任せれば良いが、薬物依存症は心の病気であって、複雑なものであるから、まず家族が勉強して変わることが出来なければ解決しない。

共依存

共依存とは、他人に頼られていないと不安になる人と、人に頼ることで、その人をコントロールしようとする人との間に成立するような依存、被依存の関係をいい、一次性の嗜癖とか、人間関係の嗜癖とか、と呼ばれていることもあります。
 こうした関係の中の二人は、互いに貪り尽くすので「憎しみながら離れられない」とか「軽蔑しながら、いないと寂しい」といった、凄惨な愛憎劇が彼らの間に展開します。
 アルコール、薬物などへの依存や、ギャンブル、摂食、浪費などへののめり込みは、コントロールしきれない相手を断念しようとして生じる怒りと、寂しさの中から生じるものですから、二次性の嗜癖というわけです。共依存から生じる種々の"不都合"を私は「共依存症」と呼んでいます。


全国薬物依存症者家族連合会 2004-

 

【編集後記】

 私の父がアルコール依存症者でしたので、ここでの「家族への12の提言」はそうだなと納得します。12の提言のうち「1,2,5,6,7,8,9,11,12、共依存」の項目は確かに父に対してSAMの家族はそのように対応していました。今は、PCのネットでキーワードの検索すれば情報を見つけることが出来ます。便利な時代になりましたね。父は53歳で亡くなりました。結局父はお酒をやめることはできませんでした。母やSAMは父の尻拭いに奔走していました。父はそれを逆手にとって酒屋に借金、友人に借金をしていました。借金相手には、必ず配偶者の母が借金を払っていましたから、父はどこでも借金が出来ていました。それから、母は父に対して子供と接するような対応をしていました。また、原因の酒を流しに流したりしていました。そうすると父が怒って暴力を振るうなどの連鎖の繰り返しでした。父に対してSAMの家族の対応は、自分たちが父のことを一番分かっているのだと言う前提で接していました。案外、家族は何も分かってないのだなと思います。SAMの家族が良かれと考えて、父に対応していたのが間違いだったと実感します。父は、SAMが物心ついた3歳の頃には、仕事をしていなく酒に溺れていました。SAMが小学2年生には、父が難病のリウマチだと分かりました。関節が炎症を起こしたり、変形をしてものすごく痛かったのでしょう。私は父のおかげで、大人になるまで不遇でした。しかし立場を変えて、父の気持ちを考えてみるといったことが自分には出来るようになりました。お酒をやめようと思ってもその誘惑に負けてしまう。その繰り返しの連鎖の繰り返しが父の一生でした。ネットで見た12の提言が皆様のお役に立てばいいなと思い今回のメンタルにゅーすに取り上げました。

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