メンタルにゅーすヒエダ

 

「精神障碍の特徴」

2020年月日  Vol.301

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 SAM

TEL(083)-263-2687

メンタルひえだFAX(083)-263-2688

E-mail  s-cil@feel.ocn.ne.jp

URL    http://blog.livedoor.jp/npo_light/archives/cat_8979.html

 「精神障碍者は病人か?」という問題があります。

 知的障碍者や身体障害者の場合には、病人ではないでしょう。しかし、精神障碍者は病人であったり、あるいはいつ病人に戻るかわからない状態を卒業できないという現実があります。これが他の障碍と大きく違うところでしょう。

 だから、今調子がいいから健常者と同じようにがんばれるというわけにはいかないのです。だから、いつも自分の心身の状態に神経質になります。ここで「心身」といったのは、脳の病気であっても、身体の変調という形で問題が起こり始めることが多いからです。

 しんどい、眠れない、身体が思うように動かない、動悸、めまい、吐き気、震え。精神障碍者の数だけ症状があります。

 もちろん精神面での異常も起こります。妄想、幻聴、思い込み、幻視。これらの症状が一過性のものなら、少しの間静養すればよくなることを、長く精神障碍者を続けているとわかってきます。

 しかし入院をしなければいけない時には、適切な処置をうけるためにスタッフの手助けが必要です。自分から入院する人も多くいますが、自分の状態が悪いということを認識できなかったり、認識しても入院を拒む人がいます。

 このときにスタッフの力量が試されるのですが、この時、対等な人間関係としてのメンバーとスタッフの関係を維持し続けなければならないことを、たいていのスタッフは知っています。この問題では、私は疑問を持っていません。

 精神障碍者が病人云々で言われることは、精神病が「治癒」という言葉が使われず、「寛解」という言葉が使われます。寛解とは病勢を抑えたり、状態が永続的に軽快することで、このことは服薬を守ることで寛解状態を保つものです。現在では非定型抗精神病薬の選択肢が増え、当事者のQOLに合わせた用法・用量、薬の選択ができます。ですから、精神障碍者だから一生病院に入院しとかないといけないという事はありません。地域社会で服薬・通院を守って生活する当事者は、多いと思います。

 それでは精神障碍者は服薬・通院を守っていれば寛解状態を保てるかというと、環境が変わったり、人間関係などのストレス、季節の変わり目に調子を崩すことがあります。幸いSAMは自分が状態を崩すと分かりますので対処します。短縮就労、早退、休暇をとるなどしてなんとか対処しています。それと、調子を崩したかなと思ったら通院をして主治医の診察をしてもらっています。統合失調症者だけでも国民の1パーセント100万人以上います。入院している人は30万から40万人精神障碍者は入院しています。

300万人以上の精神障碍者は地域社会生活を送っています。当事者は地域社会でひっそりと穏やかに生活している人が殆どです。SAMもその中の一人として、もう地域社会生活を20年以上続けています。精神障碍者が何をするか分からないので入院させっぱなししとけばいいというのは偏見です。特に20世紀抗精神病薬の選択肢が余りなく、当事者のQOLに合わせる薬が少なかった頃に比べ、今は選択肢が多くあります。当事者のQOLに合わせられる薬が多くあるということは、当事者の生活のニーズに合わせることができるということです。この事は多くの当事者に朗報をもたらしました。精神の当事者で就労する人達が増えてきました。

PCが家庭の中にまたスマートフォンなどある機会が増えてきました。そのことで、当事者は、自分が精神病ではないかと、それらで検索して受診に繋がることもあります。今の当事者は、幸せかもしれません。多くの選択肢の薬があるし、PCやスマートフォンで調べることができるし、就労する機会が増えてきました。また呼称が精神分裂病から統合失調症に変わりました。最近の若い当事者は、統合失調症という名前しか知らないので、差別や偏見、汚名も少ないのかもしれません。

反対にSAMは精神分裂病の世代の人間ですので不遇な時代を過ごしましたし、自暴自棄になったこともあります。今は前向きに生きていますが、昔は悲惨な処遇に置かれ家族・親族に差別や偏見、汚名を受けたことがありました。いずれにしても今から思い起こせば思い出です。いま、SAMは前向きに生きています。今は国民の15人に一人ぐらい障碍者に関係する人がいるそうです。SAMは自分の後に続く当事者が不遇な立場に置かれないように考えていますし望んでいます。

 

【編集後記】

 SAMが発病した時期1980年代はまだ差別、偏見、汚名が酷かったように思います。家族や親族からのバッシングが酷かったです。家族からは「働かざるもの食うべからず」と食事を抜かれたこともあります。自分たちはタバコを吸っているのにSAMにはタバコを吸わしてくれなかったりの毎日が8年間続きました。退院して8年後に、家庭教師の仕事をしていましたので、何とか普通の生活が出来るようになりました。それまでは、家族・親族に馬鹿のふけもんのキチガイと呼ばれていました。口も聞かずまったくの無視の時代が8年間続きました。私は別に悪いことをしたことがないのに酷い扱いを受けていました。

 家族や親族は完全な優生思想の塊でした。私は上手く説明はできませんでした。考えることは何とかできました。状態が悪く、一人の大人の人間として認めてくれず、犬や猫の扱いを受けていました。ひょっとして、それ以下かもしれません。「働かない人は生きている資格が無い」と良く弟に言われていました。私は自分の病気の実態が分からなかったので統合失調症で幻聴・妄想があり、仕事が続かないことが理解できない状態が20年間続いていました。

今は下関に来て一般就労して、結婚もしました。妻も優しくて聡明な人で良かったです。SAMの公私に渡って彼女がサポートしてくれているので今の私があります。

トップページに戻る