メンタルにゅーすヒエダ

 

SAMの調子が悪いとき」

2020105日  Vol.306

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 SAM

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 SAMの調子が悪いときやる事があります。大した事ではありません。普段から、朝起きたときの気分を注意しています。最近は下がることが多いです。抑うつ状態になるときと、上がるときのそう状態が多いです。自分の場合2週間から1ヶ月休むと落ち着いてくるので、これまでの自分の判断に間違いはなかったと自負しています。そういう時は休暇をとります。休暇中、3分の1は安静にしています。3分の1は昼から起きます。3分の1は規則正しい生活をしています。状態が悪いときは、下がっていても上がっていても外出をひかえストレスを自分自身にかからないようにしています。いままでも調子が悪いときが何十回もありましたが、休暇をとってこれらの対処をして持ち直しています。イライラしていると音楽を聴いたり、本を読むことができませんので、横になって布団の中で安静にしております。

 それと食事は3食とっています。腹八分目くらいです。1週間から10日くらい経つと落ち着いてくるので、仕事復帰に向けて規則正しい生活に戻すようにしています。

音楽を聴いたり、本を読むという人もおられると思いますが、SAMの場合状態が落ち着くまで、そのようなことができません。でも時間が経てば状態も落ち着いてくるのを体感していますので、そのようにしています。

 職場では時々周囲の人が声掛けをしてくれますので、安心して仕事をしています。時々親しい同僚から最近のSAMの調子が悪い時にしてくれる声掛けで、休暇をとったりしていますのでとても助かっています。SAMも周囲の声掛けを素直に聞くようにしています。職場では、調子が悪くなると、早め早めに休暇をとってやり過ごしています。状態が悪いときに無理すると辛いですので、SAMは早めに休暇をとっております。SAMの仕事の信条は仕事を細く長くすることですので。長い目で調子の悪いときの休暇も大したことではないと思っております。毎回のことですが、仕事の復帰も短時間労働から徐々に増やしています。最近は調子の悪いのが年34回に増えて勤務時間の調整も難しいので、短時間でも働いている姿を同僚にみていただいています。同僚も私に無理は言わず、温かく見守ってくれています。私は今の職場の上司や同僚がこれまでの人生で一番温かく仲間として迎えられていますし、働き易いです。

それと薬を増量したことで、幻聴と妄想の頻度が減ったように思います。以前はヘッドフォンをして音楽を聴きながら仕事をしていましたので、あれから考えるとだいぶ楽になりました。勤続年数も毎年記録更新しています。職場の上司や同僚には感謝しています。私は、勤務中はあまり話をしないのと一人職ですので、仕事の企画から実施までしております。上司には報告・連絡・相談をこまめにしております。上司も私の仕事を心配していないようです。よく言われるのは、仕事は植物を育てるのと同じで、種を撒き、水をやり大きくなるまで面倒を見ることだといわれます。植物が枯れたら、また種を撒き、水をやり育てなおす事だよと、上司に言われます。SAMの仕事はSAMにしかできない仕事だから、仕事が止まったらSAMがまた始めることだよといわれます。ですからSAMが休暇明けのたびに種を撒き、水をやり、育てなおして仕事をしております。一人職の仕事は自分で仕事のペースを調整でき、休暇や早退ができるので非常に寂しい反面、遣り甲斐もあります。また、普段から自分のメンタル管理をすることには注意して余念がありません。

 今の職場で勤務して十数年が経ちます。私は、私のペースで亀のようにゆっくり確実に歩を進めていこうと思います。スタンドプレーじゃなくて、陰で下支えする仕事が自分にはあっていると思います。毎年、決まって調子が悪くなる時期がありますが、焦ったり頑張ったり無理したりせず、自分の調子のメンタル管理をしながらゆっくり確実に仕事をしていこうと思います。そうやって、休暇・早退をとりながらでも続けられたことに、自分で自分を褒めたいと思います。それもこれも上司・同僚のおかげです。

 人は社会性を持った生物です。障碍者運動と障碍者の介助の事業の仕事を調整しながらこれからもSAMはボチボチやっていきたいなと思います。

【編集後記】

 健全な頃と病気と障碍を持って働いていた頃を比べると、今の職場CIL下関・NPO法人らいとで働いているのが一番長く勤務しています。仕事を覚えるのに精一杯で何年も実績が出ないときも、SAMを温かく見守ってくれていたことを考えると、上司がKMであったことに自分には幸せに思います。私が障害者運動をしたのは、下関で初めてでした。ニュースレターの発行でしたが、私には効を奏したようです。僅かずつですが、ニュースレターを中心に続けてきたことはSAMにとってよかったように思います。援護寮ヒエダから始まった援護寮ヒエダ新聞、メンタルにゅーすヒエダと編集が続きました。そしてある人のアドバイスで、何らかの形でホームページから皆さんへ精神障碍者の考え方が変わるきっかけになってくれればなと思ってホームページを作りました。今では、全国にメンタルにゅーすを楽しみにしてくれる人達がいることに有難く思います。援護寮ヒエダ新聞からメンタルにゅーすヒエダへニュースレターが続いています。当の私もこんなに長く続くとは思いもしませんでした。

 読者の中にはホームページから声援を送ってくれる人がいます。その方たちとは、顔も声もわからずメールで繋がっています。私には有難いことです。彼らがいることでSAMの励みになります。有難うございます。下関で援護寮ヒエダ新聞から始まったのがメンタルにゅーすヒエダへと繋がっています。これからも、ニュースレターの編集を続けていけたらと思います。読者の皆さんも知り合いにメンタルにゅーすヒエダを繋げてくださればなと思いますトップページに戻る