メンタルにゅーす

ヒエダ

 

「パニック障害

当事者の声」

~発症~

2020年月日  Vol.310

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 SAM

TEL(083)-263-2687

FAX(083)-263-2688

E-mail  s-cil@feel.ocn.ne.jp

URL    http://blog.livedoor.jp/npo_light/archives/cat_8979.html

ネットより参照

https://shohgaisha.com/news/my_panic_disorder/

 

私のパニック障害体験〜発症

Victor Rodvang

みなさんはパニック障害という病気をご存知でしょうか?昨今では芸能人の方が発症され話題になるケースもあるため、名前くらいはご存知の方もいらっしゃるかもしれませんね。私はこの病気を患ってかれこれ10年近くになります。発症から随分経つので、少し記憶があいまいになっている部分もありますが、今回はその発症時期の体験談をお話しようと思います。

受験のプレッシャーによる発症

私が初めてパニック障害らしきものを体験したのは大学の入学試験時でした。当時私は府内有数の進学校出身で、周囲の期待も大きく、また浪人していたこともあり、大きなプレッシャーの中で受験期を迎えていました。試験当日、試験が始まるまでは特に何もなく、眠気覚ましに緑茶などを飲みながら待機していました(後でわかる事ですが、カフェインはパニック障害を悪化させる一因になるようですね)。

そうしていざ試験(確か英語の試験だったと思います)が始まってみると、急に体がザワつきだしました。冷や汗をかき、動悸も襲ってきました。試験はもう始まっているのに、問題用紙に目を落としても全然集中できません。さらに目の前がグニャリと歪んだような感覚になり、頭はグラグラし、吐き気もあり、過呼吸気味でとにかくその場に留まっていられないような感覚に襲われました。

試験の制限時間は刻一刻と過ぎていきますが、私は問題を読むこともままなりません。焦りは募る一方で、自分でもどうしていいかわかりませんでした。そして、恥ずかしいと思いながらも手を挙げ、試験監督に「体調が悪いのでトイレに行かせてほしい」と申し出て、とりあえず試験室を後にしました。

とめどないパニックと試験終了

トイレに行って顔を洗い深呼吸をして少し落ち着いた私は、試験官に連れられて、再び試験会場に戻りました。ところが、少しするとまた同じ症状に見舞われました。自分は一体どうしてしまったのか。もう試験どころではありません。そうしてまた手を挙げ先ほどと同じ流れで退室させてもらいました。そしてまた一息ついて試験会場に戻る。しかし、やっぱり…。

3度目の退室にして試験官の男性からも「大丈夫?」と心配される始末でした。あんまり出入りしているのでカンニングを疑われるのでは、と危惧していましたが杞憂でした。それほど傍目から見ても体調が悪そうだったのかもしれません。そうこうしている内に試験時間は終了し、私はほとんど試験と向き合うことのできないまま、答案を提出することになりました。後日、送られてきた気になるテストの結果は…。

テストの結果とその後

テストの結果は不合格でした。予想のついていた事ですが、私も私の周囲もショックを受けました。私自身、身内や知り合いから大きなバッシングも受け、傷心の極みでした。それからもいくつか大学を受けましたが、同様の症状が出たこともあり、まともな状態で受験できた学校はほとんどありませんでした。唯一受かった学校というのが、症状が軽い状態で受験できた学校でした。

結局そこに進学することになったのですが、残念ながら私の通っていた高校から進学するとしてはかなり偏差値の低めの大学でした。なぜその一校が大丈夫だったかと言うと、試験が簡単でかつ試験による拘束時間が短かったからだと思います。当時は知る由もありませんでしたが、私は完全にパニック障害を発症していました。

そのためプレッシャーがかかる状況や身動きが取れない状態というのがダメで、そういった条件が整うと障害のトリガーが入ってしまいがちでした。そんな中、その一校の受験でも障害の症状は出ていたものの、前述したように他の学校に比べるといくらか負担が少なかったため、なんとかまともに試験に臨む事ができたという状況でした。負担が少ないと言っても3人掛けのテーブルの真ん中に配席されたため、試験中は苦悶していましたが(身動きが取れないというのが本当にダメなのです)。

ここまで私が最初にパニック障害らしい症状に見舞われた時のお話をさせていただきました。この後病院で正式に診断もされ、大学入学後、在学中、社会に出てからと、パニック障害との付き合いは続きます。大学受験期の症状はまだ序の口で在学中のある事件をきっかけに症状は一層悪くなり、病院への通院、社交不安障害・鬱の発症、ひきこもりへとも関係していくのですが、もし続きを書く機会がありましたら、また書いてみたいと思います。ここまで読んで頂きありがとうございました。

 

ライタープロフィール

灰

HSP30代男性。現在は就職活動中。
病名:社交不安障害・自閉症スペクトラム(グレーゾーン)・パニック障害・うつ病
趣味:ゲーム・音楽鑑賞。FalloutSkyrimWitcher3Babymetalのファンです。

【編集後記】

 SAMは、長い間自分だけが病気と障碍を持って苦しいと考えていました。私は統合失調症、躁うつ病、パニック障害を患っています。

 本文の作者灰さんも社交不安障害、自閉症スペクトラム、パニック障害、うつ病を抱えています。こうして考えてみると、SAMも自分だけが苦しいのだと、発病して病識がなかった20年間がありました。SAMが病識を持てたのは生活訓練施設援護寮に入寮して様々な訓練をしたからです。服薬管理・金銭管理・掃除・入浴・整理整頓・洗濯・調理・病気と障碍の勉強等身につけました。私は以前、福祉工場のランドリーで仕事をしていました。病気と障碍を持っている当事者仲間を見ていると、励まされます。仲間といろいろなことを話していると自分の残存症状の幻聴と妄想がある当事者が社会生活をしているのは少なくないと気付きました。今まで自分だけが苦しく辛いと思っていたことが、私より重度な仲間が頑張っているのを間直で見ていると自分だけが苦しいのではないと思いました。私は幻聴と妄想が残存してありましたので、当初は仕事が続くかなと思いました。今まで仕事をしても2,3日から1週間くらいしか続きませんでした。それで福祉工場で働くのには不安がありました。施設スタッフの対応や仲間のおかげで仕事が続きました。現在では、障害福祉サービス事業所A,B型があり就労移行支援、就労継続支援目的であります。施設や障害福祉サービス事業所や地域活動支援センターでもピア・サポーターが職員として雇われる時代にやっとなりました。私が福祉工場で働いていた頃から20年近くが経ちました。障害福祉サービス事業所と呼称は変わりましたが,当事者スタッフが重用されるようになりました。多くのピアスタッフが重用されることを願ってやみません。私は健常者も障碍者も共に働くインクルーシブ(共生的、包括的) 社会構築を願います。

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