暑い日が続きますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?私はのんびり・ぼちぼち、仕事に生活に何とかやっております。
職場復帰は上司や同僚に、6年間かけて、精神障害のことを個別に理解と啓蒙に励んでいましたので、うまく職場に溶け込んでいきました。ただ、退院してから11ヶ月の間に色々な症状がでてきました。私は、昨年の11月9日に退院して、当初は超短縮就労(午前中のみ就労)、それからすぐに完全就労(9:00〜17:00)、その後は、また超短縮就労、今は、短縮就労(9:00〜15:00)をしています。最初はすぐに職場復帰をできるだろうと高を括っていましたが、そんなに簡単には移行できていません。病気や障害は時間という薬が必要なことが分かってきました。
どうも私の統合失調症の症例では、自分で自分を増悪していく癖がついているようです。物事を否定的に考えたり、失敗したらどうしようかとか、自分の人間関係の構築の仕方が上手くいきません。なぜ、自分で自分を責め続けているのでしょうか?自分で自分が生きにくくして仕事に生活に、時間を費やしているようです。
以前、私は考えることが好きだと話したことがあります。私は何故こんなに生き方が下手なのか考え続けています。答えはまだ出ていません。ただ、一ついえるのは、何か物事が起これば、何か原因があるはずだと考えてしまいます。私は自分の病気と障害の予後のことをしらみつぶしに勉強して、自分のつたない理解力で考えています。
統合失調症のメカニズムはわかります。一般にいわれているのは、ストレス脆弱性モデルと脳内の神経伝達物質過剰分泌だといわれています。ストレス脆弱性モデルは普通、健全者は物事に対して、目の前にフィルターをとうして情報を見聞きしているものが、統合失調者はそのフィルターに綻びがあって情報を直に脳内に入れることによって脳内活動が活発になり過ぎて暴走してくるのではと考えられています。私ごとき一当事者が何を言っているのかと医療関係者は考えているのかと思うかもしれません。私は、物事に興味を持つと理解できるまで鬼のように調べつくして勉強します。統合失調症がわかって何になると健全者はいうかもしれません。
しかし私は、統合失調症のことが無茶苦茶しりたい、自分を人体実験とするごとき去年の入退院は懲り懲りです。私は、知的好奇心旺盛な人間だと自分ではそう思っています。
いつまで生きていけるかもしれませんが、私はこのメンタルにゅーすは続けていきたいと思います。どうかみなさん、宜しくお願いします。
もう、このメンタルにゅーすも、今号で32号になります。私が自立生活を始めてもう6年が経とうとしています。いつまで続くかしれませんが、皆さんのお役に立てれば幸いです。まだまだ、私の下関市・稗田病院内での当事者としての任務はたくさんあると思います。
私は無理ができません。それでも、少しづつ確実に前に前に進んでいきたいと思っています。何が誰が、私を動かし続けているのか分かりません。援護寮ヒエダ新聞、メンタルにゅーすヒエダとつづけています。平成13年の3月からニュースレターを書き続けています。「継続は力なり」ということわざがあります。私は、当事者として、仲間の当事者に私のものの考え方・情報をいろんな当事者に伝えていきたいなと思います。
精神の一当事者が同じ当事者にどんなピア・サポートができるのかと思うかもしれません。私は、私のやり方で、私のできることをやっていけばいいのだと、最近、よく考えます。そうして、どんな人にも誠実に、穏やかで静かな生活・仕事ができればなと思います。
【編集後記】
私は、昔々25年前、お医者さんに「精神分裂病(統合失調症)」と告知されたとき、私の人生はもうないと、そして、一生病院の中で生活するしかないものだと考えていました。自暴自棄になり、病気と障害のことを本でも買って勉強してみれば良かったのにと今そう思います。私は病気と障害を40歳を過ぎて勉強しました。もっと早く勉強していればと思う反面、私には病気と障害を受容するために約20年間が必要だったのだと思います。私は稗田病院・各施設の当事者がこのメンタルにゅーすを見て何かの参考になればと思って編集するたびに考えています。いつか、どこかで、誰かがメンタルにゅーすを目にしてくだされば、私はこの上なく幸せだと思っています。
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