メンタルにゅーす

ヒエダ

Vol.335

「調理A」

2022120日  Vol.335

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 白夢(SAM

TEL(083)-263-2687

FAX(083)-263-2688

E-mail  s-cil@feel.ocn.ne.jp

URL    http://blog.livedoor.jp/npo_light/archives/cat_8979.html

 白夢は結婚してから調理はしていません。独身のときに調理はレパートリーが30種類くらいありました。1日朝と夕2種類としても15日分のレパートリーです。これで一月をまわせばいいなと考えていました。昼は弁当を頼んでいました。今も昼は弁当を頼んでいます。そしてそれを2等分に分けて妻とダイエットしています。それと独身のときは1日食費を1000円でまかなうようにしていました。ただ一つ問題は、SAMの作る食事はハイパワー・ハイカロリーでしたので太ってきました。これで今度はカロリーメイトを3食にしてダイエットしました。1年かけてやせましたが、あごの筋力が落ちてフガフガになりました。あごの筋力を戻すのに1年かかりました。白夢は何でも極端にしていました。それからはカロリー、栄養のバランスを考えて料理を作るようになりました。白夢は麺類が好きでしたので、パスタ3種類、焼きそば、焼きうどんで5種類とか似たような作り物が多かったです。ひどいのは焼きそばにご飯と言うような炭水化物に炭水化物のおかずで食べていましたので、太って80kgくらいありました。完全なメタボになっていました。それ以後は栄養バランスを考えて調理していました。それで野菜や、カルシウム、ビタミンなど栄養バランスが大切だなと思いました。でも料理のメニューが自分の好きなレパートリーなので偏りのある食事をしていました。それでも、食事指導などを受けてバランスを考えた食事を作るように努力していました。そのとき思ったのは、食事はおなかが一杯になるだけじゃない、栄養バランスも大切だということです。

 病院の食事指導となるとダイエットが主になり、バランスの良い食事を相談することができなかったのでもったいなかったです。それで食事指導は、支援センターでレパートリーを教えてもらいました。キムチが好きだったですので、自分でよく作っていました。熱いご飯にキムチだと食が進みとてもおいしかったのを覚えています。

 今は妻が食事を作っていますので。私は楽になりました。でも、毎日のメニューを考えるのは大変だと思います。妻が頭を悩ましているのが目に浮かびます。それで週に一回は弁当を夕食に買って帰るようにして妻の負担を楽にしてあげています。私が作ればいいのですが、ハイパワー・ハイカロリーになるので止めています。それでも妻は泣き言を挙げず黙々と毎日食事を作ってくれています。妻には頭が下がります。

 白夢がはじめて作ったのは焼き飯だったように思います。焼き飯の元で作っていましたが、次第に卵・肉・たかなをいれたりと、やきめしだけでレパートリーが4種類くらいできました。こんなのをあわせたレパートリー30種類ですので大したことはありません。結婚してからは妻が毎日3種類のおかずを一食に作ってくれているので満足しています。買い物は生協で一週間まとめて買っています。私は薬の副作用で太りやすいので、平日はダイエットして土・日は好きなものを食べています。ダイエットばかり毎日するとストレスになるからそうしています。このようなダイエット法をする人は世間に多くいることがネットなどで見かけます。今は、BMI(体格指数)22の標準を維持しています。しかしちょっと油断すると太るので毎日体重計に乗り、記録しています。それで平日62kg台、土・日が63kg台になるようキープしています。

 食事のとき、妻はビールを週3回飲みます。私はノンアルサワーを毎日飲んでいます。妻のビールのときは一本飲みますが、それ以外は半分に分けて飲んでいます。私は酒を飲むのは酔うために飲むのですが、妻はたしなむために飲みます。お酒の味が分かると言っております。私はさっぱりわかりません。

 私は料理で口出しはしませんし、出されたものは全部食べます。ただ妻が大雑把で料理の味をみませんので小言を言います。それ以外は、クレームを言いません。料理を作るって面倒で大変です。妻は毎日メニューを考えておかずを3品作ってくれるので有難いです。最近は作って欲しい料理があると3日前ぐらいに声をかけますと作ってくれます。結婚したときは家事を手伝っていましたが、今は腰が痛いのでできません。妻に申し訳ありません。学生時代は貧乏でしたので一日一食の生活で、母の料理は一種類のごった煮でした。母は料理が下手でしたので、無理も言えませんでした。今思うに母は知的な障碍があったのではと思います。戦時中が幼少時でしたので教育が行き届いてなかったのかもしれません。それで妻に料理は3種類作ってくれるように頼んでいます。

 今の障碍者は、家事ができなければヘルパーに、お金が管理できなければ、社協に頼むことができます。福祉が行き届いています。障碍者も地域社会で生活し易くなりつつあります。今は障碍者が社会で生活できるように法の整備なされようとしています。

【編集後記】

 白夢はあらゆるダイエットをしましたが、今は食事量を減量して炭水化物の制限をしています。理想的には食事と運動がいいのですが腰が、悪いのでSAMには難しいです。腰が痛いので散歩もできません。腰にはメスを2回入れていますので、またメスを入れるのは怖いです。それにしても毎日の食事って難しいですね。栄養を満遍なく取るのが難しいです。SAMの母を思い出しますが、中学校になると私が料理していました。大したレパートリーではありませんでした。私がガスコンロを使ったのが小学校1年くらいでした。インスタントラーメンを初めて作ったのを覚えています。私は調理をきちんと覚えたのは援護寮に入所した43歳のときでした。知らないことが多かったです。援護寮では調理のレパートリーを増やすのに一生懸命で、バランスのいいカロリー・野菜などの利用ができてなかったのを思い出します。結婚して妻はよくしてくれます。今は薬の副作用で太らないように二人でダイエットしています。一人でやるより二人でやるほうが続きます。またお互いに声を掛け合ってダイエットしていますので、サボることが少なくなりました。人間は毎日3回食べないといけないので大変です。ひょっとして毎日の家事ってすごく大変なことなのかなと思います。調理も大変なのですねー(妻存命時書いた文章)

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