メンタルにゅーす

ヒエダ

Vol.338

「あれから23年」

202235日  Vol.338

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 SAM

TEL(083)-263-2687

FAX(083)-263-2688

E-mail  s-cil@feel.ocn.ne.jp

URL    http://blog.livedoor.jp/npo_light/archives/cat_8979.html

 SAMは、措置入院でH9年からH13年まで入院していました。1年で自傷他害の症状は取れたのに、一向に措置入院が解除されませんでした。措置入院の消退届けのメインテーマは、病院長の診断書が大きな力を発揮しています。院長は病院内ではちゃんとしていても社会に出ると何をするか分からないと措置入院の消退届けを書いてくれませんでした。ところでそのころSAMの入院していたA病院は措置入院患者が10人くらいいました。短い人で20年長い人で31年という措置入院患者がいました。そんなに長く措置入院が続くのは治療がちゃんとなされてないからではないか。本来なら県の健康増進課が、治療のちゃんとなされる病院に転院させるなりの目を光らしておかなければなりません。しかし、県健康増進課も知らぬ存ぜぬで何もしてくれませんでした。私は県の精神医療審査会、人権委員会に違法拘束で訴えました。その結果措置入院は取れたのに、医療保護入院になりました。医療保護入院の妥当性はないことを県精神医療審査会からも結果が出ましたが7ヶ月医療保護入院でした。ただSAMが措置入院の解除を県知事に送ったことが院長は怒っていたのでしょう。病院のなかに県知事や県精神医療審査会に手紙を書いて措置入院、医療保護入院の処遇を変えることなどを記したポスターが貼ってありました。院長は私がこれらのところに手紙を出したのに怒っていたのでしょう。母を騙して医療保護入院の手続きをしてしまいました。最後には新聞に告発して、任意入院になりました。私は病院を退院したら社会復帰施設に行き将来は福祉の仕事がやりたかったのです。県健康増進課は転院を私に勧めていたのでしょうが、私は頑として断りました。ここで白黒はっきりしていないと、何を紹介状に書かれることかと思いました。それで任意入院から社会復帰施設に行くまで、病院に入院していました。院長の威光に逆らったので何を書かれるか何をされるか不安でした。しかし、私のキャリアのために何を紹介状にかかれるか心配でしたので、この病院でかたをつけようと思っていました。いまでもA病院に不満がありますが23年位前のことをまだ覚えているように、相当酷い目にあいました。院長は最後に私と医療契約をしたくない早く出て行ってくれといわれました。これは民法でのことですが、相当に私は院長に嫌われました。今でもA病院はありますが院長は97歳ぐらいだから、現役は引退しているだろうと思います。

 精神科病院の患者が病院長に逆らったのですから、満足に看護は行われませんでした。

しかし、今でも覚えているので本当に私は遺憾に思っています。後に私のような事例で病院とやりあったのを調べたら当事者が結構いるのが分かったので私は安心しました。A病院だけが精神科病院ではないのだと私は割り切りました。私にとっては遺憾な病院でしたが、私以外の患者には良い病院だったのでしょう。

 それから、A病院を退院してその足で、稗田病院敷地内の援護寮ヒエダで社会復帰の訓練をしていました。私はめったに人に遺憾な態度を示さない人間ですがA病院では、今でも覚えていますので私が相当酷い目にあったことが皆さんにお分かりでしょう。

A病院では私を支援してくれる主治医がいたので私も病院の院長を安心して訴えました。1人だとできなかったので今の私があるのは、その頃私を支援してくれた主治医のおかげです。A病院の院長は自分に都合の悪いことはもみ消していましたし、患者を脅迫したりして念書を書かしていました。山口県の紳士録にも掲載されていましたので、相当お金を持っていたし、力を持っていたのでしょう。

 このように3回目の入院で相当酷い目にあっていたので、精神保健福祉の勉強はよくやっていましたし、支援してくれた主治医が毎日一つずつ教えてくれていたので、後にCIL下関・NPO法人らいとで仕事に役に立ちました。私を支援してくれた主治医のおかげでしたが、これがなかったらまだA病院に入院していたでしょう。精神科病院は閉ざされた社会ですのでそこで何が起きているか行われているかは院長や理事長の采配が強いものですし、本当に怖い病院は全国にありますね。私は何とか任意入院になり現在がありますし、これまでの実績は入院していなかったら、なかったことのように思います。本当に酷い病院に入院していたことが後の、私の社会生活・仕事の実績に役に立ちました。ひょっとして私も措置入院で20年入院していたかもしれません。県の健康増進課とも癒着していたのかもしれません。本当に酷いA病院でした。

 A病院退院後は稗田病院をかかりつけ病院にして、敷地内の援護寮ヒエダでも職員に良くして頂きました。私は社会復帰訓練に専念して今の自分があります。稗田病院、援護寮ヒエダには大変ありがたく思います。社会復帰後に4回目の入院を3ヶ月しましたのも援護寮ヒエダでの訓練が役に立ちました。大変有難く思います。

【編集後記】

 私は、この41年で、4度の入退院をしました。特に社会復帰施設で援護寮ヒエダ新聞、自立してメンタルにゅーすヒエダなどニュースレターを23年続けています。医者や看護師等には当たり前の知識が、当事者や家族には何も分かりません、横断的な知識がありません。私は専門職を否定しているわけではありません。メリットがあります。しかしそれが当事者や家族、専門職に横断的にあれば適切なアドバイスができます。それでメンタルにゅーすを続けています。私は精神保健福祉にアンテナを張っています、精神障碍に苦しむ当事者・家族の気持ちは痛いほど分かります。今自分も落ち着いて穏やかに生活・仕事が出来ていることに感謝しつつ、私は社会の中で育てられましたので、当事者の気持ちを社会に還元しています。それが神様から私に与えられた役目だと思ってメンタルにゅーすを続けてきました。もうニュースレターを続けて23年になります。勤務も21年になります。いずれも記録更新中です。私は,1000人に一人でも役に立てばと思っています。これからもメンタルにゅーすは続きますよ・・・・・・

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