メンタルにゅーす

ヒエダ

Vol.343

「心の距離感」

2022520日  Vol.343

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 白夢(SAM

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E-mail  s-cil@feel.ocn.ne.jp

URL    http://blog.livedoor.jp/npo_light/archives/cat_8979.html

 

人と自分の距離感に苦労したことってありませんか?私は、仕事のとき雑談は一切しません。仕事で必要な話はしますがそれ以外はしません。私は幻聴と妄想があるので、自分の言動で幻聴・妄想に跳ね返ってくるので雑談しないことにしています。仕事中は仕事のこと以外は話さないようにしています。そのようにしているのは人と私の心の距離感が分からないからです。ここまでは話して大丈夫と思える自信がないので、人の交流はしません。寂しい人間関係だなと思いますが、私には適正な心の距離感というか人間関係の距離間が上手く取れません。良い手がありませんので気をつけているのは、人の批判・噂話はしないようにしています。当事者同士では気楽に話せるのに、健常者との話は上手くできませんね。もっぱら昼間の仕事中は仕事に最低限必要な話以外は、同僚と話はしません。当事者との距離感は取れるのに、健常者との距離感が取れないのが自分でも不思議です。その健常者の中でも、普段から噂話をしない、人の悪口を言わない、その人となりが分かる人にはわりと話せるのにと思います。

 人との心の距離感って難しいですね。タバコを吸わなくなって14年になります。以前は喫煙中に雑談をしていましたが、今はその機会がありませんので同僚と話をしなくなりました。話す内容も臨機応変に話が出来ないので、あらかじめ話す内容を考えないといけないので、面倒くさくなり雑談をしなくなりました。

 私は話しかけられると話し込むときがあるので、話が嫌いなわけではありません。しかし、それも人となりが分かっている人には話し込みますが、人となりが分からない人とは話しません。究極に話すと、その人が信用でき、噂話や悪口を言わないような人としか話しません。自分の仕事が1人職で、1人で仕事が完結するので人と話をする機会がないのだと自分では分析しています。仕事が終わって帰宅して連れ合いと話しますが、守秘義務にかかわることはお互いに話しません。自宅では、たわいのない話を連れ合いとしています。それと私は、余り社交的ではありません。それも原因の一つかもしれません。しかし病気と障碍を抱えてから、人と話はしなくなりました。当事者同士では普通にしゃべれるのに健常者とは話せなくなるのは不思議です。今では、周りの人が声掛け等してくれますので安心して仕事ができます。

 連れ合いは、人望が厚く、人と臨機応変な対応ができています。おなじ統合失調症なのに連れ合いにできることが私にはできないと、統合失調症でも人が違うと症状が違い、できることとできないことがあるのだなと自分では考えています。普段から、人間関係を構築して、信頼関係をとることに気をつければなと思います。私は統合失調症になって、家族・親族に差別・偏見・汚名を受けてきました。ですから健常者が怖いです。話をするのもどこまで話したらいいのか距離感が分かりません。それなので人と話しこむことができません。ふりかえって話を思い起こすと、何故あの場面であんな話をしたのかと自分を責めます。何も気を使わないで話せる人がほしいです。それは無理かもしれません。私は根っから真面目で誠実ですのでいい加減な話が出来ません。話さなくていいことも話すことがあります。それで自分を責めます。適切に話が出来ればなと思います。また、当事者同士では話が出来るのに、健常者とは上手く話が出来ません。当事者には分かる話も、健常者には理解できないこともあるのだなと理解しています。

 ところで私は、当事者だけで運営する自助会の世話人をしています。偶数月の第1日曜日14:00から16:00までミーティングを行っています。自助会も当事者だけと健常者も参加するミーティングがありますが、私は当事者だけで運営するのが本来的な自助会だと思い14年続けてきました。健常者が参加すると当事者は萎縮して話さないことがあるのかと考えて自助会を続けてきました。特に幻聴や妄想をミーティングで話すときに健常者が参加していると、当事者は話し難いのではと思います。それで、私は当事者だけで自助会を運営しています。自助会の参加者は、数人だけですが14年続いています。みんな落ち着いて話をするし、落ち着いた意見を言います。そういえば私も参加者も成長したなと思います。歳をとったせいかみんな丸くなってきました。参加者も再入院もせず穏やかで、落ち着いています。人の話を傾聴できるようになって来ました。14年と言う年月は人を成長、自身の病気と障碍に向き合うようになりました。受容できるようになりました。

 人との「心の距離感」は難しいものです。病気と障碍、本人の性格によりますが、基本は過ごしやすければいいのではと思います。知り合いが多いのが幸せだ、少ないのが不幸せだと、一概に決めることはできません。私は寂しくなったら友人に電話をかけてストレスを解消しています。まあ、自分の過ごしやすい生き方が幸せなのだと思います。

(妻存命時の文章)

【編集後記】

 私は人と話をしないことは寂しいことだと考えたことはありません。職場だけの狭い世界の仕事・生活だけに右往左往するだけでなく、広く世界を眺めて生きていくことが幸せなのだと思います。仕事に行って帰るだけの生活するのでなく、外出したり・散歩したり・趣味をもったりして穏やかに・安静な生活・仕事が出来ればと思います。私は運営委員や理事になっておりません。入社したときの就業契約で、仕事上の秘密を抱えると調子を崩すので兵隊で働かせて下さいと言っていましたので、その通りに上司はしてくれています。定年から嘱託になり、就業時間を短くしてもらいました。障碍の重度化で非定型抗精神病薬の量が1.5倍に増えて、残存する幻聴と妄想が間欠的になりました。このまま穏やかに安静な生活をして、仕事・生活が過ごせればと思います。多くの仲間や自分の後に続く精神病者の啓発に、メンタルにゅーすが関係者一同の役に立てばなと思います。私はたいして頭は良くないですが、何か物事を始めたら継続する才能があると思います。私は、以前は物事を始めたら継続する才能はなかったように思います。下関に来て、当事者・関係者に啓発するニュースレターの編集で身についたものでした。

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