メンタルにゅーす

ヒエダ

Vol.346

「多くの健常者が持つ偏見」

202275日  Vol.346

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 白夢(SAM

TEL(083)-263-2687

メンタルひえだFAX(083)-263-2688

E-mail  s-cil@feel.ocn.ne.jp

URL    http://blog.livedoor.jp/npo_light/archives/cat_8979.html

 偏見とは

  

「ある対象,人,集団などに対して,十分な根拠なしにもたれる,かたよった判断,意見などをさす。このような判断や意見は強固なものであり,それらが誤っていることを示す証拠をみせられても容易に変らない場合が多い。」

 

白夢にも偏見があります。障碍種別が違うと、他障碍が分からず偏見をもつことがあります。自分でも偏見を持たないように、調べたり、観察したり、自分がその当事者だったらとかいろいろ考えます。

 

人間には多かれ少なかれ偏見を持っているのかもしれません。白夢も障碍種別が違うと偏見を持ちますので、私以外の障碍種別の人も白夢に偏見を持っているのかもしれません。

 

健常者が一番多く偏見を持ちやすいと思います。やはり当事者と一緒に仕事をしたり、接したりしていないと違うのかなと思います。

 

いずれにしても、当事者自ら偏見をもたれないように啓発・発信しないと仕方がないと思います。偏見と言う言葉があるように、人間にはあるように思いますし、なかなか偏見をなくすのは難しいと思います。

 

白夢がメンタルにゅーすを編集している理由にもなります。広く平たく、精神障碍に理解を啓発するために編集しています。私は、自分の意見を強く発信することはありません。ただ自分でも、偏見する側とされる側を、立場を入れ替えて考えることがあります。

 

人間は自分以外の他人の気持ちを同情したり共感する能力があります。その力を慮って(おもんばかって)自分以外の他人に対して考えて生きていきたいものです。

 

多くの歴史が示すように偏見は様々の人が発信して、偏見をなくしてきました。白夢もその人たちを見習って精神の病気と障碍の偏見をなくすために活動しています。主な活動はメンタルにゅーすの編集が主たるものですがなかなか難しいものです。

 

多くの精神の仲間、関係者には啓発は届いているように思いますが、精神の当事者は文章を読み取れない状態の人がいます。当事者から、家族が病気と障碍に理解を示してくれて生活が楽になったと手紙が今までに2回ありました。

 

私はメンタルにゅーすの読者がどのくらいいるか知りません。ネットで調べるとランキング検索が200タイトルぐらいありますことを知っています。自分で調べ方を知っていますので分かります。いずれにしても全国で3か月で千人くらいじゃないかと思います。これは3万人に一人くらいです。また92の国と地域で1年で1千人くらいです。もっと多くメンタルニュースを読んでくれる読者が増えたらなと思います。メンタルにゅーすが当事者には、食料や水に匹敵する役目をすることができればなと思います。

 

偏見・・・・・

簡単には人々からこの言葉の啓発は精神障碍、特にこの言葉を啓発するのは難しいです。白夢自身も他障碍に偏見を持つことがあります。でも一番偏見の啓発があるのは、身体障碍、次に知的障碍、最後に精神障碍です。精神障碍の偏見をなくすのは難しいです。特に統合失調症のように何をするか分からない、怖いと、一方的に偏見を受けていると、偏見だけに啓発は難しいです。しかし、当事者の誰かが発信しないといけないのも事実です。白夢は、自分のできる、メンタルにゅーすの編集で関係者に偏見の解消に下関を主体に活動しています。下関市民30万人で150人くらいは関係する読者がいると思います。これは2千人に一人の割合です。

【編集後記】

 白夢は家族に差別・偏見・汚名を受けてきた当事者だからこそいえるのは、それらは僅かずつですが解消されつつあります。しかしそれらは、遅々としたものです。一番運動して偏見を鎮めているのは、身体障碍・知的障碍、最後に精神障碍です。多くの健全者は、統合失調症(精神分裂病)に悪意に満ちた偏見があるのは、当事者である白夢が特に感じます。私は知り合いの健常者に怖がられているのを知っています。それは彼らが私が統合失調症であると知っているからです。何も知らない健常者には、なんとも思われていません。この統合失調症のレッテルがあるかないかで、ここまで対応が違うのを、当事者として感じます。これはいったい何故でしょう?私は、これは健常者たちの単に差別・偏見・汚名が複合されたものだと思います。それでは、理由は・・・・単に健常者が統合失調症のことを知らないこと、自分達の心の中からこの病気を排除していることです。健常者は精神の病気のカテゴリーではないことでわれわれ当事者を排除しようとしているからだろうと思います。まさに優生思想です。精神の病の啓発はいずれにしても時間が掛かります。

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