メンタルにゅーすヒエダ Vol.357 「白夢が地域生活 している訳」 |
2023年1月5日 Vol.357 CIL(自立生活センター)下関発行 ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 白夢(SAM) TEL(083)-263-2687 FAX(083)-263-2688 E-mail s-cil@feel.ocn.ne.jp |
SAMが下関に移住して、21年が経ちました。私は何に支えられて地域生活を続けてきているのでしょう。第一に服薬・通院している。第二に人に支えられている。第三にメンタルにゅーすヒエダを編集していることです。元々メンタルにゅーすヒエダは当事者の精神病への啓発・自立生活推進のために編集していました。細々とメンタルにゅーすをアナログの紙面で継続していました。それが12年前くらいに、看護師さんが新聞に投書したらとか、ホームページにしたらと2年間くらい勧めてくれました。私は当時PCの事は何もわかりませんでした。ワードとエクセルが少し使えるだけでした。さすがに2年間もメンタルにゅーすをホームページにしたらと熱心に勧められると、ひょっとして当事者や家族・支援者や医療関係者に横断的に役に立つのではと考えるようになりました。それで自分でPCの本を買って勉強していました。開発に1年半くらいかかりました。今では年間4000人くらい見てくれています。そのうち海外から1000人くらい見てくれています。
メンタルにゅーす発行の前に援護寮に入所していましたので、援護寮ヒエダ新聞を編集していました。援護寮で3年間分援護寮ヒエダ新聞を編集して、私の自立生活に合わせてメンタルにゅーすヒエダを編集しようと安易に始めました。私が自立生活に合わせて仲間の当事者に役に立てばと思い始めました。今ではメンタルにゅーすのネタに苦労していますが編集を始めた当時はポンポンとネタに苦労しないで100号くらい続きました。100号を超えたくらいからネタに苦労していましたので、時間があればメンタルにゅーすの編集をしてストックしていました。現在では50号ぐらい先までストックがあります。
振り返れば下関に移住して、援護寮ヒエダ新聞・メンタルにゅーすヒエダと22年ニュースレターの編集が続いています。私が精神病と制度の勉強で身につけた知識を仲間の皆に伝えていけたらなと思い立ち始めたのがニュースレターの編集へと繋がりました。ニュースレターから冊子を4冊編集してきました。
冊子の在庫はほとんどありません。同僚の相談支援専門員から、時々私の編集した冊子を、当事者を抱える家族・親族が熱心に読んでいるのを見たといわれると、私はうれしく思います。
私はメンタルにゅーすをいつまで続けられるかわかりません。もし認知症でPCが使えなくなったら、ある日突然メンタルにゅーすの更新ができなくなります。しかも無料のサーバを借りていて、これは3ヶ月おきに更新しないとメンタルにゅーすはネットから消えてしまいます。ネットにサーバーを借りてそこに保存していればいいのですが、それもお金がかかります。メンタルにゅーすがある日突然消えないように、SAM自身のメンタルヘルスに注意していますが、私も今年で64歳になります。老化にはさすがに勝てませんができるだけ長く頑張ってみます。皆様それまでメンタルにゅーすをよろしくお願いします。メンタルにゅーすのデーターが欲しい方は連絡下さい。無償で皆様にプレゼントします。結構なデーターベースになりました。データーベースはWORD版とPCで動くプログラム版とあります。ご連絡ください。私の20年分のデーターベースの総括です。多くの人に役立てばと思います。
医療関係者が統合失調症には服薬と通院が大事といいます。私は服薬と通院を自分に課して実験しています。服薬と通院を続けて13年入院していません。私はこの実験は継続していきます。そういえば統合失調症は晩期寛解するといわれていますが、私は状態が増悪して数年前に非定型抗精神病薬リスペリドンを6rから9rに増やしました。私の状態は今後どうなっていくのでしょうか心配です。
私は車を処分して5年になります。維持費に困窮していたのと、自分には車の運転は危険だと判断してやめました。わたし自身の状態が増悪して薬が増えたので、車の運転に懸念してやめたのが大きな理由です。結婚した16年前、あの頃は元気でしたし車によく乗って連れ合いと旅行していました。私は今、車に乗らなくなってその維持費分を老後の資金に貯金しています。微々たるものですが貯金できてよかったです。しかし結婚して7,8年は車を多用して私も元気でしたが、最近は老化をひしひしと感じます。私はもともと腰が悪く、日常生活に支障をきたすようになりました。おまけにうつ状態を3年我慢して意欲が消退しました。でもまだまだ仕事は続けます。予定では70歳まで続けられればと思います。老化がこんなに早く来るとは想定外でしたが、私は自分のできる範囲の自分にしかできない仕事をこれからも続けていこうと思います。人生100年時代だと昨今言われています。私も意欲が減退しないようにして、まだまだやる仕事がある限り続けていこうとそう思っています。
【編集後記】
CIL下関・NPO法人らいとで勤務して20年が経ちました。私が病識をもって服薬・通院を遵守して統合失調症という病気と障碍に対処してきて、数々の実績を残しました。病気と障碍をオープンにして働けて良かったです。1年に何度か調子を崩して休暇を取りながらなんとか64歳まで働いてきました、あと6年の勤務が私の目標です。この21年よく働くことを続けられてよかったです。気づけば21年の勤務、継続は力なりと考えて仕事をやってきたのには間違いはなかったようです。残すところ、6年勤務があります。私は病気と障碍を抱えて仕事を継続してきたことに間違いはなかったように思います。私が入社して初期の団体・法人立ち上げのメンバーは数えるくらいになりました。20年経過しても私の仕事は変わりません。その中でニュースレターのメンタルにゅーすヒエダの創刊から350号が優に超えてきました。多くの人・友人が私の前に現れては消えました。その中で私の上司のKは、私のことを一番理解してくれている人で、Kと出会わなければCIL下関・NPO法人らいとの実績はなかったと思います。Kに感謝します。