メンタルにゅーすヒエダ

Vol.374

「性善説と性悪説」

2024 4 5 日   Vol.374

CIL (自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集  SAM

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 昔私は、中国の儒教の本を読んだことがあります。その時、真剣に読んでなかったので理解できたのは、性善説は人間は生まれつき善の心を持つ、性悪説は、人間は生まれつき悪の心を持っているということでした。なぜ私がここで性善説と性悪説を持ち出したかというと、私が統合失調症に罹患して状態がよくなり、寛解(かんかい)しても仕事をしないのに業を煮やした弟が「おい人間は働いて飯を食うんじゃ、働かんのじゃったら病院に入院しろ。」と言われて、病院へ弟に連れられて行き診察されました。主治医はお兄さんは入院するほど状態は悪くないと弟に話しました。それを聞いた弟は私に 500 円玉を投げてそのお金では、家まで帰れないのにお前これで一人で帰れと言われました。それから 2 3 ヶ月かけて仕事をしないわけでなくて仕事をする意欲がなくなっている自分に気づきました。「世の中で働かざる者食うべからず。」弟と妹にさんざん言われました。私は働く意欲はあっても仕事が続かない、何故かさんざん考えました。理由は分かりませんでした。私は自分は怠け者だとさんざん自分で自分を責め続けました。その頃を思い出して、今私は性善説と性悪説を調べています。私が覚えていたのと少し違っていました。性悪説は、人が生まれた後に物欲などの欲に走って悪に染まるようで、生れつき悪な人はいなく環境や、人間関係、物欲、人は性善説的に考えて後に性悪説的になるのだと思います。人間て大きく分けていい人・悪い人がいますが冷たい人・せこい人・お金にだらしない人・嘘をつく人・人をだます人様々な人がいます。人は人の中で育ちます。人はその人の正義感や理性をいかに持ち続けていい人になるかは難しいものです。

 後に分かったのですが私の弟が 43 歳で統合失調症になりました。障害等級 1 級で私より重度です。因果応報という言葉がありますが、まさにその通りになりました。私は合理的な人間なのでそんなこと信じていませんが同じ父親に虐待を受けていたので精神病になったのだろうと思います。父は弱気に強く、強気に弱い人でした。自分より弱い妻・息子・娘に虐待を加えていました。リュウマチで膝や肘・膝・手首・指が痛く全身が針の筵(むしろ)のようでしたのでアルコールを多飲してアルコール依存症になりました。最後は胃がんと肝不全で脳死となり死亡しました。父は生前、酒を飲まないときは猫のようで、酒を飲むと大虎のようになっていました。父も因果応報と言えば、まさにその通りで難儀していました。そのような人達の中で母は認知症のグループホームに入所して 76 歳まで生きて家族の中では大往生しました。生前、私が墓を建立したのでこれで安心して死ねると喜んでいました。あの母の笑顔は忘れられません。何度も言いますが私は合理的な人間なので因果応報とか徳を積むとか考えることはありません。私も今年( 2024 年)で 65 歳になりました。妻と死別して4年になります。いまはわたしの後方で私自身を俯瞰してみる自分に気づきます。この俯瞰した自分が他人に迷惑をかけないように注意してくれます。

俯瞰した自分は、いったい何なのか自分でよく考えました。統失を発病していないときはこの俯瞰した自分が フェイルセーフ( (フェイルセイフ、 英語 : fail safe )とは、なんらかの装置・システムにおいて、誤操作・誤動作による障害が発生した場合、常に安全に制御すること。 . またはそうなるような設計手法で 信頼性設計 のひとつ。 のはたらきをして私の良心となり注意してくれていました。しかし、統失を発病してからは、俯瞰した自分は幻聴や妄想でっしちゃかっめちゃかになりました。論理的でなく明らかに挙動不審で現実と非現実が分からなくわけのわからないことを話していました。今思い出せば、本当におかしい挙動不審でした。おまけに幻聴と会話していましたから、独り言を言っていました。

話が脱線したので元に戻します。私は儒教の性善説、性悪説を今考えますが、性善説を唱えます。やはり生まれつき善で生まれて、環境や人間関係、物欲などで性悪になるのだろうと思います。方やもう一つの考えは、性悪な後、分別がついて性善になることもあるのではと思います。つまり考え方次第です。私の愛読書「成功哲学」には、人間は自分で考えた通りの自分になるといいます。つまり人間には 2 面性があり、善、悪どちらでも物事の分別がついた後、善、悪どちらにもなりうるということです。私は小さなころから自分の頭の後方に俯瞰した自分がいました。良心と言いましょうかそのようなものがいました。それで悪の道に入らなかったのではと思います。今は病気の後、思い起こせば俯瞰した自分を附滞脳だと思います。あるいは自分の脳のある部分に病識がついたのであろうと思います。この附滞脳(病識)も服薬が不規則になったり、断薬すると病識はなくなります。これは統失がお薬で病勢を抑えているのである程度のお薬の血中濃度が必要なのだと思います。服薬では薬効は肝臓で代謝されますので毎日定期的に服薬が大切なのだと思います。統失は特に晩期寛解がありますので、私の淡い期待として向精神薬が少しずつでも減っていけばと思います。

【編集後記】

 もう半年間、メンタルにゅーすがネタが出ないし・編集できないでいました。認知症かと思いましたが、また復活できてよかったです。私は、メンタルにゅーすも筆折りの時期かと思いましたが、まだまだメンタルにゅーすを続ける自分がいることにびっくりしました。最近、物忘れが多く自分自身心配しましたが、軽い物忘れで、この対策は、スケジュールを iPad のみで管理するので解決しました。私の部屋には PC2 台、 iPad, 携帯電話各 1 台使っています。昭和生まれの私には難儀な時代まで生きてきました 64 歳になりました。私は PC より携帯電話の使い方が分からないことが多く困っています。仕事の殆どは IT 化されてそれについていくのが精一杯です。しかし、老骨に鞭打ってまだまだ頑張ります。最近、 PC に堪能な当事者が入社して事務所の殆どがペーパーレス化されました。その人は子供時代から PC を親に買ってもらったと言っておりました。つまり PC 少年だったのです。 PC 、携帯電話と両刀遣いのすごい人です。私が 21 年かけて覚えたことはいったい何だったんだろうと、思い起こします。でも仕事の殆どは IT にかろうじてついていってます。私は仕事と障碍者運動したこの 21 年間はいったい何なのだろうと思います。仕事は全部自分で覚えました。昭和の人間は仕事は他人から盗みとるものだといわれていました。

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