メンタルにゅーす ヒエダ Vol.376 「白夢が考える世界」 |
2024 年 6 月 3 日 Vol.376 CIL (自立生活センター)下関発行 ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 白夢( SAM ) TEL(083)-263-2687 FAX(083)-263-2688 E-mail s-cil@feel.ocn.ne.jp |
白夢が何を言いたいかというと「障碍者の権利の実現を目指す運動を通して、全ての人が希望と尊厳をもって、ともに育ち、学び、働き、暮らせるインクルーシブな社会を創る」というビジョンを胸に、活動を続けてまいります。障碍者、健常者、健全者という呼び方が白夢は差別だと思います。障碍者、健常者、健全者という言葉がすでに死語になる社会を実現することができればなと思います。障碍のある人が完全な社会参画できる社会を実現できれば、目線が不自由を感じている高齢者・子供・女性も生きやすい社会がインクルーシブ(共生的、包括的)社会だと思います。その面では日本はまだまだ遅れていると思います。自由主義社会のヨーロッパで「ゆりかごから墓場まで」福祉・厚生が完備された国もあります。私は個人的には税金を上げてすべての社会を構成している人が安心して生活できる社会を構築できればと思います。
白夢は統合失調症を抱えています。この病気は若者の人生を台無しにする病気です。 15 ~ 30 歳くらいに発病する頻度が高い病気でどこの国でも、国民の 1 %が罹患しております。男女差はありません。白夢は 23 歳の時、発病して 1 年のうちに 2 度入退院をしました。それから 15 年間は入院しませんでした。何故かというと服薬・通院を守っていたからです。今振り返れば、服薬・通院は統合失調症の第一選択治療ですので、当事者の皆さん服薬・通院を守りましょう。また病気や薬の勉強をして積極的な治療を継続しましょう。これをアドヒアランスと言います。白夢は発病して 20 年間自暴自棄な生活をして暗黒の日々を過ごしていました。援護寮という社会と病院の中間施設で服薬管理・金銭管理・調理・掃除・整理整頓等で、身に着けて援護寮在所中に一般就労をして、通勤して一年がたった援護寮 2 年 9 ヶ月で退所し、自立生活を始めました。
退所に向けてアパート探しは PSW に、家財道具購入は指導員に手伝ってもらいましたが、電気・ガス・水道・電話の手続きは自分でしました。引っ越しは支援センターの職員と援護寮のメンバーさんが手伝ってくれました。こうして、自立生活をして、結婚。妻と死別しましたが私は生活・仕事と元気に過ごしております。自立生活も 22 年になります。妻の自殺はショックでしたが、妻の遺志を継ぎメンタルにゅーすの発行、自立生活運動を続けています。私の前を多くの当事者・支援者が通り過ぎました。その中には現在も連絡を取り合っている人たちもいます。
多くの仲間や支援者に恵まれて、日本では 1980 年代に障碍者の自立生活運動が始まり、今は法の整備がなされています。今私は、精神のホームヘルプを使い生活しています。
障碍のある人が過ごしやすい世界・社会になりつつあります。しかし、未来は不確定です、いつ戦争が起きてもおかしくはない状態です。今はかつての米露の対立から米中の対立へ様変わりをしてきました。極東での中国の違法行為は目に余ります。今後の注視が必要です。
白夢は今一人で介助を入れて自立生活をしています。厚生年金をかけて 20 数年が経ちます。不思議なのですが厚生年金を 40 年近くかけているのに障害年金が増えません。就労意欲が落ちます。年金センターに相談に行くと、救済制度ができるので今の職場で仕事を続けなさいと言われます。本当に救済制度ができるのかと思いますが本当なのかどうか眉唾物です。障害年金は手続きをした 20 数年前と変わらずとは言いませんが少しずつ下がっています。それでは、年金をかけた 20 数年間かけた厚生年金はどこに反映されたかというと老齢厚生年金に反映されるそうです。私には、障害年金が上がってもいいはずだと思いますが白夢だけが考えているのでしょうか。
白夢が考える世界は、すべての障碍者が安心して地域社会で自立生活をしていくことです。とくに精神障碍者については病識を持ちアドヒアランスを持った、積極的に病気の治療に当事者が参加することだと考えるのは私だけでしょうか?貧富の格差は今後も続くでしょう。人間働いた成果に対する報酬は差があって当たり前なのでしょうか。そういう考え方がない社会の構築は難しいのでしょうか?私はどんな人も生きがいを持った仕事と生活ができればいいではありませんか。格差のない差別のない社会の構築を白夢は望みます。しかし自由主義社会も社会主義社会も一部の人が過ごしやすい法と社会になります。こういった特権階級の存在の是非はいかがなものなのでしょうか?白夢は考え込みます。
【編集後記】
多くの国の人は生まれた国と親や体制は選べません。その国にある法の下に平等であればよいのですが……
私は日本の山口県で生まれ、父が働けなかったので生活保護を受けていました。それで小学・中学の給食で今の私があります。生活保護の支給費は父が受け取りに行っていましたので半分以上は父の酒代です。残りで母が米・梅・塩と味噌を買って一ヶ月をしのいでいました。世の中にお金に困った人はいないかもしれませんが私のように困っている人は多いと思います。アメリカは、戦後日本に理想郷を作ろうと国民皆保険制度を作りました。憲法や法律を修正しました。しかしそれがうまくいったのかどうかは後世の人が評価するものです。現在は貧富の格差が酷いです。精神障碍者差別もひどいです。精神障碍者と聞くと何をするかわからないといった時代もありましたが新しい法ができ地域移行へ転換してきました。障碍者がより多く地域移行へ乗り出す幕開けが相談支援専門員の登場から障碍者の地域生活をする人は増えてきました。
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