メンタルにゅーすヒエダ

Vol.383

 

「友を送る」

2024 1 6 日   Vol.383

CIL (自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 白夢( SAM

TEL(083)-263-2687

FAX(083)-263-2688

E-mail   s-cil@feel.ocn.ne.jp

URL     https://cilsimonosekiraito.wixsite.com/website

 

精神障碍者福祉の仕事をして知り合いの死を送ったのが 4 度あります。友人が二人と妻の一人です。 C IL下関が一人です。

これは私が CIL( 自立生活センター)の仕事をして20年くらいで送った精神障碍者の数です。 JIL の精神プロジェクトでも知り合いが精神病の人を送るのは普通の人より多いといい、精神病と自殺は切っても切り離せないといいました。特に鬱の人、心気妄想の人は自殺が多いです。鬱になりはなと回復期に自殺が多いです。心気妄想は自分が重度の死ぬかもしれない病気に罹ったように妄想し、死を選ぶ人は多いです。

 私は、被害妄想があります。ですから妻の心気妄想も対処できると思い、病院から退院させました。私は心気妄想を軽く見ていました。私も被害妄想があり自分のように妻も心気妄想も対処できると確信していました。これが間違いでした。妻は妄想の対処ができませんでした。そして2020年11月16日に5 F から投身自殺しました。私の考えが甘かったです。自分には妄想が対処できたから、妻も心気妄想が対処できるはずだと確信したのが間違いでした。

 友人の一人は鬱で一人は統合失調症でした。突然ある日、自殺したと聞かされました。私も統合失調症に罹患して退院してから、自殺を考えましたが、生来意気地がないのと残した家族のことを考えると実行することができませんでした。そうすると私の鬱は軽度だったのかと思います。精神障碍者が死ぬということは余程決心が必要だと思います。私は妻の分も長生きしようと思います。妻のおかげで現在の私があります。妻には感謝しても足りない恩があります。優しくて親切で聡明でした。私は後悔するばかりでした。妻を友としたのは、友達の様に仲が良かったからです。妻は友人であり、恋人であり、子供であり妻でした。性格がずぶとくてめったなことではたじろがない人でした。そしてよく気の利く人でした。私は今でこそ彼女の死を受け入れ落ち着いていますが私も死を選ぶことを考えていました。しかし、寛解期の妻なら私に負担のかからないように止めるというでしょう。これからは妻なら言うだろうことを思い出して悩んだときはこうアドバイスしてくれると考えて生きていこうと思います。私は人生を悔いなく全うします。妻がメンタルにゅーすは続けるのよと言っていましたので、妻の意志を尊重して生きていきます。友人の死は少し時間が経つと受け入れていましたが、妻の死は4年たっても受け入れられません。妻は優しく聡明でこんな私でも尽くしてくれました。こんなにやさしくしてくれた人は61年の人生でいなかったです。私の事を知り尽くしていたので、私が気分を害することはなかったです。苦言を呈することは白夢のために言いにくいけどいうよと一言言って理路整然と話してくれました。私は整然と聞いていました。ある日、白夢の誕生日にレストランに行って祝ってくれました。テーブルマナー知らないよというと私が教えるから食事をしようと言われ誘われました。妻の記憶はきりがないです。

 精神障碍と死、悲しいかな避けられない人生です。精神障碍者の死も統計値の自殺にカウントされるのでしょうか?これは私の疑問です。2020年自殺白書 21,081 人、 2019 年交通事故白書 3,215 人、自殺者がいかに多いか窺い知れると思います。

めったにない自殺の葬式に行ったのがここ 20 年で 4 人というのは多いのか少ないのか、普通なのかはわかりませんが、、、、、、、、

 私は妻がいたから現在の私があります。妻が寛解期に私にアドバイスしていたことは忘れません。今の白夢の調子が悪いときのパターンよとはっきりと教えてくれました。やけくそになり自暴自棄になるのが私のパターンです。それを何十回も教えてくれました。しかし、妻も人間、人のことはよく観察していましたが自分の調子の悪いパターンは分かってないようでした。妻のパターンは重大な病気にかかって死ぬかもしれないという妄想に駆られてドクターショッピングをして数か所の病院に行き始めることです。私は幻覚・妄想に対処して生活しているので妻も心気妄想に対処していたので妻も対処できるという変な確信を持っていました。私は妻の調子の悪くなるパターンを知らなかったのにです。私は一人の私の聡明な理解者を失いました。しかも心気妄想の事例がたった一人で必ず妻も対処できると考えていました。なんと愚かだったことか ‥‥‥‥

 

【編集後記】

 友を送るで、また妻の話が出てきました。皆さんうんざりしていることでしょう。皆さん自分をだれかと比較するとき誰を基準にしていますか。殆どの人が自分を基準にしていることでしょう。友を妻に、妻は少し控えめにしていましたが、本当に何でも言える友なんですよ。妻と私の関係は対等です。ただ私が上がっているときは、少し控えめにしていました。私が怒って暴言を吐くのを聞きたくないのと、私がますます調子が悪くなるのを落ち着かせるために控えめに私に対応していたのでしょう。頭のいい人だからそこはそれうまく対応して今思い出します。私が措置入院の経験があるのを話していたので妻は、私が興奮しないように対応していました。ここまでは私が上がっているときで、下がっているときは、私は安静にしていましたので枕元にずっとついていてくれました。本当にやさしい妻でした。特に私がパニック障碍で苦しんでいたときは、仕事を早退して私が回復するまで枕元で手を3時間も握っていてくれました。私が頓服を飲んで2,3時間すれば回復するのを体験的にわかっていたからでしょう。本当にやさしい人でした。妻と死別して 4 年が経ちました。私も妻の死を受けえ入れて少し明るくなってきた兆しが出てきました。妻は私が高卒なので自分が大卒なのを得意がることもなく控えめでとっても優しい人でした。結婚式の時、神様の前で約束したことを思い出します順境な時も逆境な時も共に手を取り、共に協力してことにあたることを・・・・・・・・・

 

 

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